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宇野常寛さんの「富野由悠季」観 

[2009/12/16] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(3) | TOP ▲

 最近、twitterなどというものを始めてしまって、そのへんでブツブツつぶやいていると、何か話したいことは話してしまったような感覚もあり、気がつけば12月ももう半ばなのに、今月初めての記事じゃあるまいか。(笑)

 だいたい12月というのはあれもこれもと気ぜわしく、1年で一番嫌いな季節といってもいいのです。定番BGMは中島みゆき『十二月』 on 「グッバイガール」(歌詞はこちらに。)。

 何しろ書きかけている記事はいくつもあり、たいした内容でもないのだけど、書き上げようという気力が湧かないのであります。

 twitterでは氷川竜介さん藤津亮太さん小黒祐一郎さんの話などをいつも興味深く読ませていただいてますが、最近、宇野常寛さんが富野アニメに言及されたツイートが面白かったので、今日はちょっと勝手に編集してメモしておこうかと。

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『機動戦士Zガンダム』 第49話 「生命散って」 / 第50話(最終話) 「宇宙を駆ける」 

[2009/09/03] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

 テレビ版『Zガンダム』の再見日記も、ようやくラストにこぎつけることが出来ました。書きはじめたのが昨年12月ですから、何度も中断を交えながらとはいえ、足掛け10ヶ月がかりですか。w

 個人的にテレビ版の『Zガンダム』という作品にはいい印象はなかったんだということを、最初の頃にも書いていたはずですが、富野ファンですから何とか良さを見出そうと思いながらここまで見てきて、最後の最後に頓挫していたわけです。何度見直しても、この「fin」の打ち方は私には受け入れられません。ならば・・・第一印象に正直に、この作品は富野アニメの系譜の中でも最悪に近い失敗作と言わねばならないのでは、というのがこのところの苦しさでした。

 最終盤の戦局は、トンデモ兵器であるコロニーレーザーを巡る三つ巴の攻防戦。ティターンズが建造したそのグリプス2は、アクシズを経て現在はエゥーゴが掌握している。考えてみればエゥーゴは、戦略的脅威となる超兵器を守りきれない見込みが高いのならば、二度と使用できないようにそれを破壊してしまうという選択肢もあったはずです。(グラナダという急所を抱えたエゥーゴに比べ、ティターンズにもアクシズにも、“ここを撃たれては終わり”という目標はないのです。)
 なぜそういう可能性が検討されないのか。ブレックス亡き後のエゥーゴのリーダーは(曖昧ながらも)シャアですが、シャアはといえば、実はシロッコが喝破したように「その手に世界を欲しがっている」男だったからではなかったでしょうか。

 アクシズのモビルスーツ隊は、ジュピトリスの撃破を目指して発進したんですが、見境なくシャアによって掃討されています。(こういうところはちゃんと描かれているんですよね。)以後、シロッコとハマーンがシャアを集中的に叩いたのは、この男こそが危険極まりない人物と判断されたからでしょう。コロニーレーザーがついに発射されてティターンズの主力艦隊が消滅したときに、ハマーンがアクシズの艦隊を戦場から遠ざけたのは、結果から見れば非常に妥当な判断でした。事実、シャアが行方不明になった後のエゥーゴは、コロニーレーザーをそのままにして戦場から撤退していますし、この超兵器はその後の戦局に大きな影響を与えていないようです。
 バスク亡き後、コロニーレーザーに一番固執していたのはシャアであり、(やはりシロッコの指摘したとおり)それは冷静さを欠いた判断だったんでしょう。

 何でこんなことになってしまったのかと言えば。『Zガンダム』の当初の構想に従い、(劇場版として別に製作されることになった『逆襲のシャア』までを含むはずだった)本来の物語のあり方を想像するならば、主人公のカミーユが最後に倒すべきラスボスは、実はシャア・アズナブルその人だったのではなかったでしょうか。
 『逆襲のシャア』そして『ZZ』の製作を受け入れてしまった時点で、それに代わるラストが富野監督にイメージできていたのか分かりませんが、出口を見失った物語はつらいですよね・・・。

 結果として既にジャミトフもバスクもいないこの時点では、ただ戦いの亡者として戦場に留まっているようなジェリドやヤザンなどとの遭遇戦なんて、限りなく不毛な消耗戦でしかなくて。そんな中で死んでいくカツもヘンケンも、全く浮かばれません。

「こんな死に方、嬉しいのかよ。満足なのかよ。誰が、誰が喜ぶんだよ!」

 「生の感情丸出しで戦うなど」とシロッコは言うけれど、では「指導する絶対者」の資格とは何なのか。シロッコに従って戦場にいるはずのレコアを見れば、彼女とエマの戦いは「生の感情」がぶつかり合った悲劇そのものですよね。その悲劇を止めようと叫んでいるのはカミーユだけで、シロッコもハマーンも、そしてシャアも(半ば面白半分に)覇権を争っているだけ。
 でもカミーユが感じたのは、もっと本源的に、生命こそが宇宙を支えている力であり、その生命をこんなふうに簡単に失っていくのは許せないということ。この感じ方から得た力をアニメ的に表現すれば(評判の芳しくない)“ハイパー化”になったということですね。こういう超常の力をガンダムで扱うのは似合わんという説には私は反対。ファーストガンダムの最後でアムロが示した洞察力だって普通に超常の力でしょう?ただそうやってケチを付けられるのは、物語の説得力が弱いんでしょう。

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『機動戦士Zガンダム』 第48話 「ロザミアの中で」 

[2009/08/10] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 元祖『機動戦士ガンダム』を観なおしながら、宿題になっている『Zガンダム』テレビ版の結末に向けての感想をまとめるのは、私にはけっこうつらい気もするんですが、これを終わらないと前に進めないので、頑張って書き殴ってみます。

 グラナダへアクシズ落下の危機。エゥーゴにとっては最大級のピンチだが。「休んでいろと言っただろ」というブライトのセリフからは、すでにカミーユが誰の目にもヤバい状況だということが伺えます。ファまでアクシズに入ってく状況で、本当に休んでるぐらいですから。(ラストから逆算してるから言えることですけどね。)
 ハマーン・カーンを殺せなかったことを悔やむカミーユを見て、「いい方向に変わっているようだが…」というクワトロ大尉がよく分からん。彼は前回、敵とでも交感し合える可能性をかいま見たカミーユに、「アムロ・レイの二の舞」になるのは「危険」だと言った。戦士として、迷うことなく敵を殺すのが、シャアにとっては「いい方向」ということなんだろうか。

 ファもカミーユに「休んでいなくちゃ」と言う。「戦争が終わったら、また前みたいに学校へ行って喧嘩して、昔みたいになるわよね?」というのは精一杯、明るい話題を振ってるんだろうが、「元通りにはならないさ、俺は自分の役目がわかってきたから」というカミーユの返事はズシッと重く、意味深だ。

 ジャミトフを失ったバスク・オムのドゴスギアが、ロザミアのニュータイプ部隊を連れて、こんなところで何をやってたんでしょうね。ろくに描写はなかったが、ヤザンのモビルスーツ隊は、シロッコ傘下のレコアたちのモビルスーツ隊を真面目に防戦したんだろうか。

 安静にしてたので、いっそう勘の冴えるカミーユは、サイコガンダム・マークIIの接近を感知しますが、何故か「この感覚は・・・フォウだ!」とそこだけ電波が混線。サイコガンダムだからなのかと思ったけれど、ロザミアだと分かった後でも、しまいには生身の彼女を見てさえも、一瞬フォウに見えるという状態。
 まして相手が“強化”されすぎて精神ガタガタのロザミィだから。アクシズ内部で邂逅したファとの「あたし、ファなのよ、ロザミィ」「何で、お前がファなのだ?」なんて、笑えそうだけど笑えない会話だ・・・。

「かわいそうね、戦争の仕方しか教えてもらえない強化人間なんて、何になるの?ニュータイプだってそうよ。そんなの始めっからないのに、そのおかげで戦争が起こって、ここで暮らしていた人達も、また戦争へ出て行ってしまったわ。家族と暮らしたことのないあなたにはわからないでしょうけど。」

 カミーユに馴れ馴れしくまとわり付くロザミィに、もともとファは心穏やかではなかったですから、言い方がきつくなるのは仕方ないにしても、「そのあなたの記憶は偽物なのよ」って、これはキツイ・・・。そしてロザミィの後ろ姿に「フォウ・・・」と呼びかけてしまったカミーユを見てしまったときの、彼女の怖い顔!(よく分からないなりに、「そういうことだったのか!」みたいな女のカン?)

 ・・・結局それが引き金になったんだよね。サイコガンダムに乗り込み、手の付けようもないほどに暴れるロザミィを殺すしかないと、ついにあきらめたカミーユに、「早く!」と呼びかけるフォウ、そしてサラのイメージ。これも最終回から逆算すると、ちゃんとこのへんでこういう描写が入っているという意味ではクールに計算が立ってますよ。

「見つけた!お兄ちゃん!」

 最期の瞬間にまで、そこまでやりますか、と思います。見事なまでの残酷さです。

 このエピソードが劇場版で削られたのは分かりますね。こんな目にあわせて、カミーユが正気でいられるわけがない。
 「ニュータイプも強化人間も、結局何もできないのさ」「できることと言ったら、人殺しだけみたいだな」という絶望の深さ。
 そんなカミーユに向かって「あまり気にするな」だって!?・・・クワトロ大尉、あんた本当に最低だわ。(たぶん、正しい理解だと思う。)

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『機動戦士Zガンダム』 第47話 「宇宙の渦」 ・・・トミノ濃度が高すぎます w 

[2009/07/09] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

  • 「エゥーゴとティターンズの潰し合い」で漁夫の利を得ようとするアクシズ。その構図をさらに高みから見物するシロッコ、という入れ子構造。
    • ハマーンは何を思ってザビ家の再興にこだわっていたのか。単に立ち位置から来た方便か?
    • シロッコにはどういうヴィジョンがあったのか?

 いちおうメモしとく。『Zガンダム』テレビ版最終巻感想のひどいスタブ。感想の体をなさない。この際、なさなくてもいいや。w

機動戦士Zガンダム 13 [DVD]

第47話 宇宙の渦

  • 「ちゃんと戻って来いよ、カミーユ」「カミーユのこと心配なんだ」
    • シンタとクムのすっげぇフラグ立て。まるでもうアーガマに帰ってこないんじゃないかという勢い。(今回は無事に帰ってくるよ。今回は、ね。)
  • ブライトは「メール・シュトローム作戦の陽動」と言ってるけど、カミーユ単独先行の任務内容はハマーンの狙撃っぽい。艦隊戦は押せる、と予想→ハマーン出てくる(これはヤバい)→先手を取る(狙撃失敗でも最悪足止め可能)というような感じかな。
    • この辺の段取りを容赦なく略すのが、富野アニメらしい不親切なところ(笑)。
  • 「サラの仇は、僕が取らなければ」というカツの暴走は、ありがちな自己正当化で、それはまあいいか。(引き金を引いたのは自分だから、八つ当たりというものなんだが。)
  • 「なんだ、メタスも?」というほうは、そう単純じゃなくて、「カミーユのこと心配なんだ」「えっ、どういうことなの?」の後が略されてる。(実に富野アニメらしい、奥の深い不親切設計 w)
    • こういうのは、謎解きアニメみたいな意地悪さとは違って、答えはちゃんと作品の中にある。ただ分かりにくいのは間違いないですね。
  • 計画を狂わせるカツとファの行動なんだけど、「構うことはない、カミーユがうまくやる」というブライトの信頼。(カツのGディフェンサーはアクシズに「モビルアーマー」と誤認されたり、たしかに結果オーライっぽい。こういう柔軟性も他の監督のアニメにはあんまりないところかも。w)
  • ここ重要。「憎いから、戦えるんだろ」とわめくカツを制止しようとするカミーユだけど、「カツを制止するように、カミーユは自分のことを制止できて?」というファの問いかけ。これはキツいよなぁ。
    • 「えっ、どういうことなの?」の後にあった会話はこれだったんでしょう。だから「カミーユのこと心配なんだ」と、たぶんそういうことですね。
  • アクシズの兵は実戦慣れしていないとか、メール・シュトローム作戦って何かとか、そのへんはこまめな説明ですな。
  • それでカミーユの殺気はハマーンにはバレバレなんだけど、ミネバもそれを察していて。この子の感覚の鋭さは前にも描写されていたけど、ただのお姫様じゃない。
    • ハマーンとの会話で面白いのは、「いざとなればシャアが協力してくれましょう」「シャアか!頼りになる男だ」というくだり。シャアが好きなミネバをなだめるのに持ち出しただけか、そこにハマーンの願望も入っていたのか。こうまで察しのいいミネバは口先だけで騙せる相手じゃないよね、たぶん。
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65万ヒット御礼申し上げます 

[2009/07/04] | ブログ日記 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 このブログに設置してありますアクセスカウンターの数字が65万を超えました。6月の更新も月間最低記録タイの5回だけ(最低記録を更新したのは4月・・・)っていう低空飛行を継続中で、これまでだいたい3ヶ月に5万ヒットというペースを維持してきたんですけど、前回60万ヒットのご報告から約4ヶ月かかっての節目報告になっております。

 この間にちょっとアクセスの多かった記事というと一つしかありません。

たかが『感想』なんていうな!
『感想』は実は難しいんだよ!!

 難しさを骨身にしみて味わい続けている今日この頃です。(笑)

 特に今は『Zガンダム』のテレビ版を見直しているのでなおさら。

 あ、仕事の超忙しいモードは、ようやくひと段落しました。もう死ぬかと(苦笑)。
 それで『Zガンダム』の最終巻を何度か見直していて・・・なんかいきなり、矢も盾もたまらず衝動的に『星の鼓動は愛』を見てしまいました。

機動戦士ZガンダムIII -星の鼓動は愛-

 テレビ版の感想を真摯に書くんだって宣言してたのにねぇ。 ^^;

 その話を書き出すと、最終巻の感想が書けなくなっちゃうので、あんまり触れずにおきますが、やっぱりトラウマなのかなぁ。

 その代わりにトラウマ話のついでといっては何だけど、新劇場版ヱヴァンゲリヲン祭りにイマイチ乗れない自分というのを考えていて、どうもその、『新世紀エヴァンゲリオン』という作品自体にそもそもあまりハマれていなかったからなんだろうと。
 それはどういうことかというと、私は人生で一番多感な時期に、『伝説巨神イデオン』のあの発動篇を直撃で食らっちゃっているんですよ。これはもう、絶対的なアニメ体験になっちゃっているんで。(あくまで個人的な話ですが。)

 ただ、「この体験を超えるものは絶対にないだろう」という確信を揺るがしたのは、『ブレンパワード』だけでした。(『∀ガンダム』よりブレンなんです。個人的に。・・・説明不能ですが。)

 だからエヴァの新劇場版がブレンぐらいにヴィヴィッドな展開をここから示してくれるなら話は別ですけど、とてもじゃないが結末まで見ないことには手放しで褒めるなんて無茶はできないんです。断然、保留。

 まあ、それはともかく。発動篇は「禁じ手」を使っちゃったという言い方があるんですけど、あれは一生懸命やってたらああなっちゃったと思うので、受け止めようはあったんです。
 だけど『Z』のテレビ版の結末も禁じ手だったんじゃ?・・・それも半ばは意図した禁じ手。そういうものは受け止めきれない。

 受けずにそのまま流すのは、どうもねぇ。

 考えてみれば、『Zガンダム』をもう一回見ても大丈夫じゃないかって思えたのは劇場版の新訳Zがあったからこそなんで。『星の鼓動は愛』を見ずにはいられなくなったのも、そんなに否定することじゃないのかもしれません。

 まるきり個人的な話に終始してしまって申し訳ありません。
 更新ペースは思うように上がらないかもしれないですけど、ぼそぼそと感想を書き続けていきたいと思いますんで、よろしかったら引き続きお付き合いくださいませ。

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