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「理想的共同体」 

[2006/02/08] | 御大 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

yasuakiさんのところナウシカ論に「風の谷について」を更新されたとのことで、さっそく読ませていただきました。
「うんと尊敬される場合と、妬まれて村外れに住むケースがある特殊技能者」といった民俗学的視点など、面白いところは(宮崎さんは風の谷の生活を描きたくてたまらなかった、とかも)たくさんあったのですが、今日、特に目にとまってしまったのは、参考として挙げられている押井さんの「風の谷」的共同体を批判したコメントでした。

宮崎さんたちの世代とはノウハウにちがいがあるんです。つまり、あの人たちが信じているものが、ぼくらには信じられないんです。「ナウシカ」では、理想的な共同体が”風の谷”という形で、描かれています。それは「ホルス」や「コナン」でも同様に存在する。
ところが、ぼくらは共同体や仲間という存在がストレートには信じられないところに立って作品を作っているんだと思います。だから、人間が守らなければならないものを描くにしても、あんなふうになんの疑いもなしにはそれを描けない。
こういった違いが、ぼくと宮崎さんの思春期の体験のちがいなのか、資質のちがいなのか、さっきいった世代のちがいなのか、はっきりとはいえませんが、でも、とにかくぼくには、ああいうふうな臆面のなさはないと思うわけです。


これ、本当はノウハウが違うとかの次元の話じゃないような気がします。

・・・"共同体"と"社会"とは、「違うよ」ってたぶん言われるんだろうかなと思いながら、ついつい「絶望しちゃいない!」のかどうかの話の続きで読んでしまったりするのが、私の悪いところなのですが・・・。

どこで読んだのだったか忘れましたが、『逆襲のシャア』について書かれた文章で、アクシズが奇跡的に墜ちなかったのは、アムロの末期の夢(笑)で、あれは間違いなく墜ちたんだ、少なくとも富野さんはそう思ってるに違いない(あれは世間の手前、自分で思ってもみない良識的エンディングにまとめただけだ)っていう感想を読んだことがあって、「えぇーっ!?」って思ったのをふっと思い出しました。
(それは「信じられない」というところを徹底すると、同じ作品の同じ結末でも、まったく違う読み方ができてしまうという、実に考え込まされる文章だったのですが。)

宮崎さんとの「世代」の違いとして、はじめは言い出した話を、「思春期の体験のちがいなのか、資質のちがいなのか、さっきいった世代のちがいなのか、はっきりとはいえません」と押井さんも言いなおしています。そこで押井さんの念頭にあったかどうかは保障の限りではないですが、宮崎さんの同世代であるはずの富野さんは、もはや「信じられないところ」にたぶん立っているのに、(それこそ臆面もなく)アムロに「絶望しちゃいない!」と断言させたわけです。
「なんの疑いもなし」どころか疑いに疑いぬいて、読み方次第ではこれだけ疑っている人間が、まさか「信じている」わけがないだろう、というようなやり方ではありましたが。

クリエイターは公共をもっと意識すべきだ。押井守も、なんであんな風に自分の作りたいようにだけ、作れるんだっ!(『萌えてはいけない』メモ


こういった言葉を吐いていることを見れば、富野さんが、世の中はどうでも、自分だけは自分が美味いと思うものを追求すればいい(社会がどうあれ、関係はない)というスタンスを、激しく拒絶していることは明らかだと思います。
(そう、確かに『うる星やつら』あたりがターニングポイントなのかもしれない。他の人の論議と御大の話は全然かみ合ってないように見えますが。)

オタクが"萌え~"と言っているものたちはともかくとして、例えば富野さんはもちろん、押井さんの作品よりもはるかに、宮崎アニメは圧倒的な大衆の支持を得ています。
人気があるものには「それなりの良さがあるはず」と言われるものを、もしここで探してみれば、それが絶対にあり得ないものだろうとどうであろうと、人々の心には「理想的共同体」への渇望が、いまだにあるのに違いありません。
ただ、今日ではそれが「頭の中の理想の女に比べれば、現実の女なんてどうでもいい」(オタキング)といったことと一緒くたになって押し寄せてきています。その時に、果たして「理想」をあたかも現実であるかのように見せるだけでいいのかということもまた、あると思うのですね。(アニメーションにはそれだけの力があると思うのです。)

今、『ブレンパワード』を見始めてますが、目がきらきらしたキャラクターが(萌え系でもないと思いますが)どうしても好きになれない。趣味じゃない。ところが御大も、あれはどうも好きじゃなかったらしい。あえてそういうのを使うのってどうなのよと思ってたわけですが、趣味じゃないので変な思い入れが起きない。そういう現象があるなと思いながら、興味深く物語の成り行きを見ています。

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『ナウシカ』雑談(放談?)の続き、その他 

[2006/02/05] | ブログ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

この週末はブロバイダの障害やら、自分の風邪やらで、思うようにブログも書けませんでした。おまけに愛機(Windows98!)のご機嫌まで斜めになってくると、せっかく書いた記事が消えてしまったりとか。もう涙ナミダ・・・。
『ナウシカ』の話も本当は、もう少しいろいろ書きたかったし、『F91』のこともまとまらないまま、『ブレンパワード』の話など、いろいろたまっているのに・・・。そこで、コメントにお返事しがてら、少し延長戦を。

『ブレンパワード』は最低3回見るべし(子犬さん)
了解です!しかし今から見る私に「失敗作」宣言とは、かなり御大が乗り移っていらっしゃる?(笑)
とはいえ、私の場合は過大な期待を持って見て、裏切られると逆恨み(?)するタイプなので、低めの見積もりは堅実な作戦のような気もします。

『ナウシカ』当時の記憶とその後の思い(41さん)
そうなのですよ、漫画版を知ってしまうと、劇場版は出来の悪いダイジェスト(パイロットフィルム?)みたいになっちゃうんです。あれで感動してちゃいけないことに、いつのまにかルール改正されてしまったようなもので。
こんな事に目くじらを立てる人はあまりいないのでしょうが、極言すれば、これは「失敗作」と公言するよりも、さらに後味の悪い裏切りではありますまいか?
・・・漫画版をいわば『新訳ナウシカ』だと考えれば、「毒」と「浄化」の関係が、富野さんと反転しているかにも思われる所がまた、興味深いわけで。(笑)
しかし『漫画版ナウシカ』では、(少なくとも私の知る範囲では)「劇場で感動したファンへの裏切りではないのか!」と憤るファンの姿などは目にしません。大勢は、「宮崎さんの真意は、漫画版のほうだったんだよね」ということを、あまり違和感もなく承認しているように思われます。いや、別に私も憤るほどの思いがあるわけではないのですけど、こうして比較してみると、興味深い事象ではないかと。(作家の体質と、ファンの体質。)

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追記はブログ関係のあれこれ
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『ナウシカ』のこと、その他 

[2006/02/04] | ブログ日記 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

今日はプロバイダの障害(?)でネットに繋げず、もうどうしようかと思いました。やっと復旧したみたいです。

昨日は『風の谷のナウシカ』がテレビで放送されていたので、久しぶりに見ました。宮崎作品のことは普段あまり書かないですが、『未来少年コナン』はとても好きな作品のひとつです。この『風の谷のナウシカ』も公開当時、劇場で見て、大変感動した覚えがあります。
しかし改めてみてみますと、「あれ、もっと(いろんな意味で)ゴージャスな作品じゃなかったっけ?」と正直…。音楽はすごいんですけど、絵はこんなものでしたかねぇ?記憶内の美化というのは怖ろしいものというべきか。
しかし原作の漫画は、映画終了後もずっと描き続けられて、全然違う結末を迎えているというと、この映画で感動してしまっていいのだろうかという複雑な気持ちもあるわけです。
黒トミノ展開という言い方はあるわけですけど、宮崎さんの場合は漫画版ナウシカで「毒」を出し切って、映像では「浄化」なのでしょうか?プロとして、あるいはクリエイターとして、どちらが正しいのか、考えさせられます。(あるいはどちらも正しい?)

追記は恒例のランキング観察日記を。

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