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終戦の日には富野由悠季の『リーンの翼』を! 

[2009/08/15] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 毎年終戦の日の前後には、高畑勲監督の『火垂るの墓』がテレビで流れるんですが、富野由悠季監督をこよなく愛する私としては、『リーンの翼』もぜひオススメしたい作品です。それで、DVDを借りてきて見てみようと前から思っていたのですが、今回はちょっと気まぐれに切り口を変えて、コミック版の『リーンの翼』を読んで見ることにしました。

リーンの翼 3 (角川コミックス・エース 146-3)

 富野監督のお誕生日を祝して、全話無料配信が行われたのは、もう3年近くも前になるんですね。6話で完結する作品ということで、映画的に一気に観るのがいい作品のように思います。
 ただ、富野アニメは皆そうですが、特にこの作品は情報量の濃密さが半端じゃなく凄い!まさに映画的に画面に集中して観ないと、富野アニメ慣れしてる人でも物語に圧倒されてしまうんじゃないかというパワーです。

 そこで、このコミックです。コミックは歴史的にもアニメとも親和性の高いメディアと思われているんですが、読者のペースで反復しながら読み返せる点では、本来のアニメとは異質だと思います。(アニメには、映像と、音声・音楽と、物語とが一気呵成な時間の中で表現される演劇的メディアの性格があり、対するコミックはむしろ文学的です。)
 そういう意味では、富野アニメをコミカライズするというのは、かなり難しい試みだと思うんですが、この『リーンの翼』のコミック版は、原作アニメの物語にはほぼ忠実なまま、コミック的な表現にそつなく再構成してあり、アニメには圧倒されてしまった人でも読みやすく仕上がっていると思います。(ただ読み出すと、結局一気に読んでしまいますけどね。w)

 富野作品の場合、登場人物たちは何かの主義主張を体現するものとして、その物語の場にいるのではない。どれかの主義主張が正しいとか間違っているとか、本質的にはそういうこともない。自分の主義主張が正しいと思い込んでいる人が危険なだけ。(そこが「難しい」と言われるところですね。)
 因果の「理」が破綻したところに物語は立ち上がるんですが、そこに因果の「律」は厳然としてあるので、物語そのものは破綻を免れる。

 このコミック版の欠点は、そうした高濃度の富野アニメを正面から受け止めて製作しているために、絵の部分では煩雑になりすぎてしまって、何がどうなっているのか読み取りにくいということがあります。(特に今回のオーラバトラーのデザインはアニメの中で動いていてこそのもので、止め絵でみるには複雑すぎます。)
 ただ、かなり大胆に、言葉の部分で語るべきことをしっかり明確にしており、それによってアニメではサコミズ王の迫力の前に印象が薄いものになってしまった主人公のエイサップ、そしてヒロインのリュクスのポジションが分かりやすいものになっています。

 サコミズ王=迫水真次郎というキャラクターは、太平洋戦争末期に特攻兵器“桜花”のパイロットだった軍人であり、富野監督が1983~85年にアニメ作品のノベライズではない初のオリジナル小説として書いた『リーンの翼』から来ている人物です。これを読んでいなくても、2006年のアニメ版(あるいはコミック版)の『リーンの翼』の鑑賞に支障はないと思いますが、彼に関心を抱いたなら、ぜひあわせて読んでみてほしい作品です。
 迫水真次郎は異世界バイストン・ウェルで戦い続けながらも、戦争中の日本の状況を何度も反芻していました。その異世界で生きざまを輝かせたはずの英雄が、なぜアニメ版では21世紀の日本に帰ってこなくてはならないと思ったのか。私たちが忘れてはならないものは何かということについて、深く考えさせられる、『リーンの翼』はそんなすさまじい力作だと思います。

 今度は時間のあるときにじっくりと、アニメ版を観てみたいと思っています。

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『日本動画興亡史 小説手塚学校 1 テレビアニメ誕生』 

[2009/07/29] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

 とても面白かったです。『鉄腕アトム』テレビ放映はついにはじまったものの、誰もが危惧していたとおり、第4話で放映に穴をあけてしまうのか!というところまでで第1巻は終わり。このブログ的には残念ながら、まだまだ富野由悠季(っていうか、「富野喜幸」)は出てきません(笑)。
 詳しく研究しておられる方には、既知のことが多いのかもしれませんが、テレビアニメとは何か(少なくとも、どういうところからはじまったのか)ということに、関心を持つ向きには非常に参考になる、とてもよくまとまった本だと思いました。

4062155559

 巻末に13ページに及ぶ脚注。私は無精者だし、見てもわかんないから、いちいち確認しませんけど、文中での描写がどういう文献に基づいてるのか明記されてます。近い過去とはいえ、いろんな立場からいろんな証言が残ってるものだけに、どの記録をベースに書かれたものかは大事なところなんでしょう。研究者の人っていうのは大変だなーと頭が下がります。(私には絶対、真似できませんよ、こんなのは。w)
 でも、この本は研究論文タッチではなく小説仕立てなので、私のような素人には読みやすくてありがたかったです。

 皆川さんの思いは「あとがきにかえて」ということで巻末に書かれています。これ自体がよいまとめにもなってますね。“手塚治虫の物語”ではなく、彼がまいた種を育て、引き継いだ人々の群像劇。彼らの姿は「手塚流リミテッド・アニメーション」を推進した作家集団として一種の学派(School)のようでもあり、その若さゆえの無軌道ぶりは学校のサークルのようでもある。そんな意味で『手塚学校』と名づけたと。(『日本動画興亡史』という大仰な副題の意味もそこでは語られていますが、この部分は2巻以降への思いでしょうね・・・。)
 だいたい手塚先生からして、すでに売れっ子漫画家として地位を築いていたとはいえ、まだ30代。なんて若い!

 虫プロ以前のアニメ(というか「漫画映画」)の状況というのは全然知らなかったので、資本をバックにした大手・東映動画のほかに戦前から続く小さなプロダクションがいくつかあったことや、意外に大きなものだったコマーシャルフィルムの需要、そして当時のテレビに『ポパイ』など輸入物の「漫画映画」が多くあったことなど、大変興味深く読ませてもらいました。
 それら輸入物の質の低さから国産の“テレビまんが”が待ち望まれていたが、生産性と採算性の壁を前に、どの会社も製作に踏み切れずにいた状況。その中で、300人以上の社員を抱える東映動画さえも手を出さないビジネスに、社員数十人の虫プロが挑んだ無謀さ!(これはプロジェクトXですな w)

 とはいえ、彼らにもまったく考えがなかったわけではなく、強いキャラクター性と高いドラマ性で観衆を引きつければ、あまり画を動かさなくても堪えられるのではないか、という(“コロンブスの卵”的な)発想の転換があり。アニメーションでは命と考えられている“動き”を、物語の道具として限定するという「手塚流リミテッド・アニメーション」の発明がそこにはあったのでした。
 すなわち彼らは、単にテレビ放送されるアニメーションを作ったのではない。アニメーションの歴史の中に<アニメ>という新たな手法を創造したんだ、ということ。

 ストーリーとカットワークさえ優れていれば、例えば目をぱちぱちと動かすだけのカットに「驚き」という意味を与えることもできる。
 当時のテレビで人気のあった輸入もののアニメは単調なパターンの繰り返しが多く、物語的な内容が薄かったという背景も。(これ、今のアニメファンには通じる話なのか、ちょっと自信が無いけど、私はよく分かる気がします。私は年寄りなので、このへんの低俗な輸入アニメというものも何となく知ってますが、若い皆さんはご存じないかもしれないですね・・・。録画からコマ送りの静止画をべたべたネット上に貼られる時代には、通じにくい話ですか?)

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小説 『リーンの翼』について、もう少し書きたいこと 

[2009/06/16] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

 富野由悠季の小説『リーンの翼』の感想を書いたところですが、少し辛らつじゃないかというリアクションもいただいておりまして、そうなのかなぁと。

 今日における富野由悠季作品偏愛に至るまでの、超個人史的なことを言うと、今現在、感想に手こずっているテレビ版の『Zガンダム』のリアルタイムの時点で、私は富野離れを一度体験しているというのが実はあるんですね。それで無意識にしても同時期の作品である小説『リーンの翼』については、どうも同じような抵抗感があったんじゃないかと。

 つまり「個人的な感情を吐き出すことが、事態を突破するうえで一番重要なことではないか」という思いは理解できるにしても、それに共感できるのかどうか、それを普遍的に価値あるものとして認めるのかどうかということですね。(バカな話ですが、当時の富野監督と同じような年齢に今の自分がいるのでよけいにそう思います。)

 ご都合主義というのは悪い言い方ですが、都合というものは絶対にある。誰しも世の中にあふれる都合の中で、折り合いをつけながら生きているんですよね。これの否定はナンセンスです。
 ただ物語の中の都合にも、いろいろな種類があって、物語の外的要因(スポンサーその他含め)もあるし、内的要因の中には、物語それ自身が要請してくる都合と、作者の個人的な都合もあるんじゃないかと。

 これは主観的な印象ですが、小説『リーンの翼』の中でばたばたと死んでいったキャラクターたちは、必ずしも物語それ自身の都合によって死を与えられたものではなかったような気がしてなりませんでした。その死(あるいはその生きざま)が、物語の中で適切に意味を持つ(物語表現の一角を正当に占める)ことができないと、どんな端役であれキャラクターの生は空しいと感じるのです。

 本来、富野由悠季という演出家は、こうした物語の「本線の情」を一貫させる(物語の世界に生命を吹き込む)ことに卓越した才能を持っていると思います。『リーンの翼』におけるこれはテクニカルな問題というよりも、「自分独自のもの」で作品を充たそうとする“作者の都合”だったんじゃないかと私は感じてしまったのです。

 以上は一見ネガティヴ一辺倒で辛らつな評価に見えるかもしれませんが、私にとってはそうした地点から、「あるかも知れぬ事なれば、あるかも知れぬとして聴くのだぞ!」(『ファウ・ファウ物語」)という形で、自意識の井戸を掘るばかりではない物語(ファンタジー)の意味を再構築しはじめた富野由悠季という個性に惚れ直したという経緯があるんですよ。
 なればこその『新訳Z』でありOVA『リーンの翼』ということです。(この両作品については、「なればこそ」が多少の問題かもしれませんが。)

 ちょうど小説『リーンの翼』と対にして語るべきアニメ『聖戦士ダンバイン』について、半径1クリック圏内で話題になっていたりもするんですが、『ダンバイン』はそんな意味ではとってもアンヴィバレントだと思うし、どうもうまく言葉が出てこないので、そこはまた今度ってことで。

 もうひとつ、『リーンの翼』巻末のあとがきにあたる「オーラ・ロードへの遥かな道」はツッコミビリティ満載で思い切り書き殴りたい思いもあるのですが、富野監督にとって克服してきた過去のことを書いてみても世間の誤解を招くだけで意味がないのかもしれないと、ちょっとためらっています。

 それと、読後感想で気になっていることのもうひとつは、作品についてのネタバレ度が高いので、「続きを読む」のあとで。

 以下ネタバレ注意!

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小説 『リーンの翼』 (富野由悠季) 個人的な感情を吐き出すことが・・・ 

[2009/06/15] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(4) | TOP ▲

 ちょっと失敗して3巻だけ未入手で未読なんですが、いちおう6巻まで読み終わったので、感想をメモしておきます。(別のところにラフスケッチを書きましたが、もう少しだけまとめられないかな、と。)

 相変わらずだらだらと長くばかりなるので、ポイントを先に書いておいてみます。

  1. 小説『リーンの翼』の執筆時期は1983~1985年。アニメでは『聖戦士ダンバイン』、『重戦機エルガイム』、『機動戦士Zガンダム』の製作時期。アニメ『ダンバイン』と小説『リーンの翼』の物語はほぼ並行して書き始められ、バイストン・ウェルの世界観を創った。
  2. この小説の主人公・迫水真次郎は太平洋戦争末期に特攻兵器“桜花”のパイロットだった軍人。現代っ子が異世界へトリップするのではなく、過去から来た主人公。主人公が戦争中の日本の状況についてあれこれと反芻する描写が作中で非常に多く、そして長い。
  3. 『リーンの翼』は富野監督にとって、はじめて(アニメのノベライズではない)オリジナルの小説を書く機会となった作品。
リーンの翼―バイストン・ウェル物語より〈1〉 (角川文庫) リーンの翼―バイストン・ウェル物語より〈2〉 (角川文庫) リーンの翼―バイストン・ウェル物語より〈3〉 (角川文庫) リーンの翼―バイストン・ウェル物語より〈4〉 (角川文庫) リーンの翼―バイストン・ウェル物語より〈5〉 (角川文庫) リーンの翼―バイストン・ウェル物語より〈6〉 (角川文庫)

『彼は、個人的な感情を吐き出すことが、事態を突破するうえで一番重要なことではないかと感じたのだ』

 小説『リーンの翼』の感想の話をするのに、何故いきなりアニメ『Zガンダム』テレビ版でのクワトロ大尉のセリフかというと、この小説は『野性時代』(角川書店)1983年3月号~1985年12月号に連載(全34回)されたものであり、この時期がアニメ監督としての富野由悠季にとっては、『聖戦士ダンバイン』、『重戦機エルガイム』、『機動戦士Zガンダム』の製作時期に当たるということは、これは見ておくべきだろうということです。

”バイストン・ウェルの物語を覚えている物は幸せである” このキーワードで始めた物語のはずが、 僕自身の不幸さを実体験するようになろうとは思わなかった。 僕は、その記憶を持っていないのに気づいて、なんと不幸な人なのだろうとカンカクするからだ。

(「リーンの翼1」より)

 『ダンバイン』とこの小説が並行して書き進められたということを、私はあまり意識していなかったのですが、なるほどバイストン・ウェルという架空の物語空間は、アニメと小説の双方で創り出されたものなんですね。私は『ファウ・ファウ物語』や『オーラバトラー戦記』、『ガーゼィの翼』のほうを先に読んでしまって、バイストン・ウェルものの中では、この『リーンの翼』を読むのが最後になってしまいました。

 しかし、それにしては作者の筆は、自ら創造した異世界バイストン・ウェルを描写することに、それほど嬉々として走ってはいないなぁという印象でした。「僕は、その記憶を持っていない」っていうのはそういうことじゃないかと。
 その代わりに。他のバイストン・ウェルものにはない、この作品の特色は、主人公の迫水真次郎が太平洋戦争末期に特攻兵器“桜花”のパイロットだった軍人で、つまり現代っ子が異世界へトリップするのではなく、過去から来た主人公だというところだと思います。

迫水真次郎はどこから来た男なのか

 物語の素直な読みではなくて、斜から執筆の舞台裏をのぞき見るようなことばかり考えてしまって恐縮ですが、何しろ物語の流れをしばしば遮ってまで、迫水が戦争中の日本の状況についてあれこれと反芻する描写は作中で非常に多く、そして長いです。この違和感はどうにかすっきりしたい。

 はじめに思ったのは、富野監督は戦争を知っている世代だからなぁ・・・ということですが、しかし1941年生まれの御大には、幼時に防空壕に逃げ込んだ記憶ぐらいはあっても、さすがに迫水のような記憶を持っているはずはないですよね。
 だとすれば、たぶん迫水は、監督が小学生ぐらいのときに夢中で読んだ戦記ものとか、そういう世界から来た男なんじゃないでしょうか。ただ富野監督のことだから、そんな頃からそれらの物語には飽き足りぬものがあって、やがて中学生ぐらいになると自分で小説もどきを書き始めてしまったり・・・。

 『ガンダム』、『イデオン』と小説は書いたものの、アニメの(それも“ロボットもの”の)ノベライズであることに忸怩たる思いを持っていた富野監督にとって、はじめてオリジナルの小説を書く機会となった、この『リーンの翼』を書くにあたって、少年の頃から持っていた物語のイメージをここに投影したいと考えたことは容易に想像されます。

 そして、もうひとつには、あえて言えば「露悪趣味」とでも名づけるしかない、自分の趣味嗜好の濃厚な表出。(逆さ吊りとか、ねぇ・・・。w)
 これもあわせて考え出すと、アニメ『ダンバイン』ではやれない大人のストーリーをやりたかったというのは分かる。分かるんだけど、オリジナルの小説であるのを免罪符にして、「自分独自のもの」を入れ込むことに執心しちゃっている面があるのではないか。そういう疑念がわきます。今回は「ロボット」を出さないというのはそんなに大事なのか、何でそれがそんなに嬉しいのか、などとも。

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小説 『装甲騎兵ボトムズ』 (高橋良輔) この物語はやっぱり面白い! 

[2009/06/05] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(5) | TOP ▲

 相変わらずネットでのお買い物があまり得意でないもので、例えば本だったら大概のものはブックオフで探すと、こういう感じの旧型人間であります。
 で、「えー、まだ『リーンの翼』も読んでなかったんですかー」みたいな恥ずかしいこともあるんですが(笑)、リアル本屋さんは探してるつもりじゃなかったものがつい目にとまり、衝動買いしちゃったりするのがいいところでもあり、悪いところでもあり。そんなわけで、先日入手したのがこれ、『装甲騎兵ボトムズ』の高橋良輔監督によるノベライズです。

装甲騎兵ボトムズ〈1〉ウド編 (角川スニーカー文庫) 装甲騎兵ボトムズ〈2〉クメン編 (角川スニーカー文庫) 装甲騎兵ボトムズ〈3〉サンサ編 (角川スニーカー文庫) 装甲騎兵ボトムズ〈4〉クエント編 (角川文庫―角川スニーカー文庫)

 元祖ボトムズのストーリーを丁寧になぞったノベライズでした。昔からあったのを私が知らなかっただけかと思ったんですけど、4巻の巻末にある高橋監督のあとがきを読むと、2002~03年にかけて書かれたものってことでいいのかな?
 ご自身で「テレビの放映後20年経ってのノベライズなど寡聞にして聞きません」と書いておられるとおりで、ちょっと意外な感じがしますね。

 ついつい富野監督の小説と比べてしまうのが私のサガですが、アニメ版を小説版にしたからと言って、あまり改変を加えていないというのが、高橋監督らしいところでしょうか。もっとも、富野監督にしてもアニメのすぐあとで執筆した小説版の『機動戦士ガンダム』では「えぇーっ」てぐらいストーリーを変更したわけですが、ずっと後年になって書いた『密会 アムロとララァ』では、だいぶアニメの物語に沿った内容になっていたという印象があるので、放映から長く間があくと、かえってそういうふうに馴染むというか何というか、そんなものなのかもしれません。

 そんな感じで文章としても、富野監督よりもずっと読みやすい、きれいな小説にまとまっていたと思います。もちろん富野監督のは、あの毒気が味なんですけど、少々読者を選ぶと言わざるを得ない部分があります。この高橋監督の小説版『ボトムズ』は、誰が読んでも(アニメ版のファンだった読者であれば)抵抗感なく楽しめる、素直な内容だったんじゃないかなぁ。

 アニメのノベライズは映像で表現された部分を文字にしてしまうことで、解釈が加わってしまうというところがあって、特に後半の「サンサ編」から「クエント編」あたりの「んぐぐぐぐ・・・?」と思いながら映像を眺めていた部分もすらすらっと読めてしまうのは、よいところでもあり、ちょっと食い足りないところでもあり。まあオチは分かっていますから、普通はこういうもんでしょうね。(そのへんが富野監督との違いかな?)
 とにかく真面目な高橋監督は、あとがきで、ワイズマンがどうしてキリコに欺かれたのかという部分をこの小説版で補完しちゃいました、ということに義理堅く触れています。ああ、そういえばなるほど。言われなければ、そんなに違和感もなかった感じでしたけど。そこの「どうして」に関心のある方は、ぜひ読んでみてください。

 私はこの作品は、キリコとフィアナのラブストーリーとして好きなので、「サンサ編」で「私を置いていって」というフィアナに、「冗談はなしだ。俺はくそ真面目な男だ」というキリコのシーンが一番好きですけどね。(笑)
 そんな風に考えていくと、アニメ版で魅力的だったサイドキャラクター(私の好きなのは「クエント編」でのキリコとシャッコとの絡みとかですが・・・)の描写とかも、あっさりと読めすぎてコクが足りないかなぁ?・・・これを読むと、アニメをもう一度見たくなります。それはいいことなのか悪いことなのか。あと、アニメ版を見たことがない人がこれを読んでも面白いかどうかも、私にはよく分かりません。

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