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『無限のリヴァイアス』 最終話まで 意外にすっきりしたラストでした 

[2008/10/20] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

 いろいろかまけておりまして、全部見終わっての感想をまだ書いていませんでしたね。

 「しかし、あと一巻で完結・・・するのか、この話は?」と前回には書いていたんですけど、こういう終わり方でしたか!なんだか「えぇーっ?」って感じもなくはないんだけど、でも、ここにたどり着くためにここまでのしんどい話があったっていうのは、何となくだけど納得できて、印象が悪くないのは不思議な感じです。

無限のリヴァイアス Vol.9

 あの場面で、コウジが「おおっ!?」っていうぐらいがんばったんだけど、でも無理やり(物語の都合上)っていう感じではなくて、ここまでこう来ていれば、彼はそうできるかもしれないという描き方をされてきていたような。
 ・・・というのも私に確信があって言ってるわけじゃあなくて、妙に「そうか・・・そうだよな。」と納得をしてしまったので、たぶんそういうことだったんだろうと逆向きに思い返してるような気もします。(笑)

 なんでしょうかね?自分の無力さをつくづく味わいつくして、そのときに傍に女の子がいてくれて、そんなお互い同士をそれでも認め合うことができたなら・・・みたいなことなんでしょうかね。ダメなやつっぷりに親近感が持てるのか、それとも近親憎悪を感じるのか、微妙な主人公ではありましたけど、あんだけひどい目にあったから、最後にそのぐらいがんばらせてやっても「まあ、いいか」、っていうようなところですかねー。これも一つの成長譚だったということでしょうか。
 状況に流される主人公のつらさが視聴者にもしんどいドラマをずっと見てきて、最後に主人公がようやく意を決して立ち上がったところ(普通はここからがドラマだ!)で唐突にドラマが終わる。なつかしの『中学生日記』のパターンにも似てますね。これは決して悪口ではないですけど。(笑)

 第一話の構成をなぞってみせた最終回では、主人公らの成長ぶりがよく分かり、その方面ではいろいろ丁寧な作品でした。その分、SF的な物語(っていうか背景の世界観)のオチは、最後にチラッと暗示的に見せておしまい。ま、そんなもんか。

 谷口悟朗、やはり曲者だったな(笑)という作品でした。

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『無限のリヴァイアス』 18話~23話 話は荒れてきましたが・・・ 

[2008/10/06] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 この間は第17話までの感想をぐだぐだと書いたんですが、違和感は違和感として書いてみて、また、コメントもいただいたりしたことで、この作品と接するについての、自分なりの覚悟(?)というものが出来てきたような気がします。(笑)
 で。物語のほうも、ひどく救いのない感じに荒れてきてるんですが、その半面で、どうやら主人公のコウジにも、(ようやくにして?)何かの覚悟が出来てきたような感じで。正直、ここまで見てて、何ともしんどかったなぁと思います。・・・と思ったら、もう次で終わりじゃないですか?うひゃあ~・・・

無限のリヴァイアス Vol.7 無限のリヴァイアス Vol.8

 間違っちゃならないのは、この作品、あくまで現代社会の「戯画化」であって、決してまっとうな「縮図」ではないですよね。シミュレーションっぽく装っているけど、たぶん誇張された結果を導き出すために、そこからあらかじめ逆算されて設定された初期パラメータが、そもそも変な感じ。「教師のいない学校」と言うべきシミュレーションの仮定条件も含めて、いろいろ恣意的過ぎます。話に馴染んできてしまうと最初の違和感も忘れてしまいがちなんですが、そういうふうにシミュレーションっぽく装っているところが、悪くいうと胡散臭いというか、たちが悪いというか。
 ただ、作品のターゲットを中高生に絞って考えていくと、たしかに彼らの視野から見える範囲では、“大人なんていないのも同然”という感覚は分かる。谷口監督も言ってましたが、たぶんそうした感覚は現代に特有のものでもなくて、胸に手を当てて考えてみれば、大人はウザいだけ、“教師≒大人≒社会”これら全部まとめて否定してしまいたい、という気分は、自分が中高生のときにもたしかにあったような気がします。
 だけど谷口監督にしても、シリーズ構成の黒田洋介氏にしても、私と似たような世代の“いい大人”(笑)のはずであって、いくらお客さん重視とはいえ、リアル中坊の目線で物語を描いてしまうことについて、どう考えているんだオイ、というのがあります。

 この作品に限らず、こうした疑念はいつだって持つべきものかもしれません。私で言えば『機動戦士ガンダム』や『伝説巨神イデオン』を体験したのが中高生のときでした。この年代に接した作品の影響力というのはとても強いですよね。『Vガンダム』や『エヴァンゲリオン』を中高生で体験した人にとっては、これらの作品が比類ない重要さで語られるようなことも、しばしば感じるところです。
 そもそも“いい大人”がアニメ見てるほうがおかしいだろ、中高生ターゲットで作品を作るのは当然だろ、というのもありますなぁ。(苦笑)
 だけど、売れたいがためとか、話題になりたいがためとか、そういうターゲットマーケティングでもないような印象があるので、よけい掴みどころが分からないのです。面倒なことを言う大人がいない社会を描いて見せたのに、しんどいし、重いし、なんだってこんなに気持ち悪いんだろー。

 フィクションなんて、いつだって現実の戯画化だろうという問いもありますよね。だけど『イデオン』だってしんどくて重い人間関係の中で、よく分からない謎の力に突き動かされながら、迫り来る状況に追い詰められていったけど、だけどこんなふうじゃあなかったぞ、と思わずにはいられません。
 前にも書いたかもしれませんけど、「一ヶ月たった」「二ヶ月が過ぎた」というのを工夫もなく素のままでナレーションやテロップに乗せてしまうのは、小説とか漫画でならいいけど、アニメでやるのは不細工だと私は思うほうです。『OOガンダム』もそんなところがあるので、(本当は疑わしい)シミュレーション的な物語構成というのは黒田流なのかもしれません。

 文句が多すぎますが(笑)、ついにパニックに陥って現実を見られなくなったヒロインを前に、無力感に絶望して泣き崩れる主人公のシーンは凄かったです。あれは二人そろって涙ぼろぼろという絵づらの力だったような気がします。“物語”を“アニメ”が救うのがいい、と思うんですよ。口幅ったい言い方ですが。
 しかし、あと一巻で完結・・・するのか、この話は?

富野由悠季というあり方から、谷口悟朗は多くを学んでいる気がします 

[2008/09/28] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(14) | TOP ▲

 『コードギアス』がいよいよFinマークを打とうというタイミングで、日経ビジネスオンラインで6回にも及んだ谷口悟朗監督のインタビューも完結したようです。毎回なかなか面白い内容でしたが、最後の回に近づくにつれ、現実的な落としどころとの間で揺れる部分なども出ていたように思われました。
 ごく個人的な感想ですが、アニメーター出身ではない谷口監督は、その点では同様の富野由悠季監督の歩んできた足跡から、是非の両面を深く学んでいると感じました。本人の意識の持ち方は分かりませんけど、立ち位置を考えれば、結果的に当然そうなるだろう、それは考えざるを得ないだろうとも言えます。まあ、思いつきレベルですが少しメモ。

しょせん谷口悟朗という名前は記号でしかなくて、ただの使い捨ての何かだろう

 人気作を作れば、ファンが支持してくれるのでは、という問いかけに対し、「それは『コードギアス』という作品に対してであって、私に対してではない」と答える谷口監督の発言。『コードギアス』を『ガンダム』に置き換えれば、「富野由悠季という名前は記号でしかなくて、ただの使い捨ての何かだろう」という言葉がそのまま導き出せると思いました。これは、富野アニメのファンという立場を外して客観視すれば、たぶん状況はそうなのだろうと私も考えます。この話は、下記の記事などにも関連します。

 それはともかく。結局『コードギアス』の完結までに、私は『無限のリヴァイアス』を最後まで見ることが出来なかったんですけど、この作品は富野アニメの系譜で言うと、『無敵超人 ザンボット3』に照応するんだろうと考え始めたら、ものすごくすっきりしました。

無限のリヴァイアス サウンドリニューアルBOX [DVD]
 富野谷口
挫折の経験ライディーンガサラキ
ここに我ありザンボット3リヴァイアス
エンタメの実験ダイターン3ガン×ソード
勝負作ガンダムコードギアス

 すごく雑駁に図で示すとこんな感じでしょうか?(以下、長くなるので追記で。)

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『無限のリヴァイアス』 いつの間にやら第17話 

[2008/09/22] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(4) | TOP ▲

 見はじめに一度感想を書きました。その後も続けて見てはいたんですが、感想をブログに書くことはしていなかった『無限のリヴァイアス』です。
 『ガサラキ』(1998)の助監督を務めた翌年、谷口悟朗監督のテレビアニメ初監督作品。・・・なのですが、シリーズ構成の黒田洋介さんの印象が強いのかなー、と前に書きました。って言っても『ガンダムOO』と似たような重さだなーという程度の話ですけど、その印象は話数を重ねていってもあまり変わりません。
 あるいは“スペシャルコンセプター”(『ガサラキ』ではシリーズ構成を担当)の野崎透さんのカラーもあるのか? 世界観の設定というのがこの役職の仕事だとすると、物語の背景になっているSF的な部分(→ 無限のリヴァイアス | 用語解説)は面白いもののような気がします。ちっともそこに話が向かっていかないというところがいやはや何とも。いくら子どもばかりという設定とはいえ、登場人物の誰も「そもそも、このリヴァイアスって船は・・・?」的な疑問を示さないのには泣けてきます。(笑)

無限のリヴァイアス Vol.3 無限のリヴァイアス Vol.2

 まあ徹底して現代社会の戯画化をして見せているこの作品なので、そういうふうに「そもそも世界の成り立ちがどうなっているのか」といったような、考えても始まらないことなんかにかまってらんないだろっていうスタンスなのでしょうか。
 人間ドラマを重視しましたよっていう言い方も、もちろん可能なのかもしれませんが、ドラマっていうよりもシミュレーションを見せられているような印象が強いですね。この種の作品ではドラマがSF的なものと密接に絡んでこそ面白いというのは、ある程度鉄則だと思うのです。(この点ですごく良かった作品には、例えば『ゼーガペイン』などがありましたね。)
 だから良くないとまでは言わないのですが、何ていうか、もったいないなぁという印象があります。

無限のリヴァイアス Vol.6 無限のリヴァイアス Vol.5

 この作品には“ヴァイタルガーダー”という人型ロボット兵器も出てきて、いちおうロボットアニメというくくりもできる作品なのですが、何とか姿を現したのは第9話。がっつりそれらしいアクションを見せたのは、ようやく第15話という具合で。そこも全然やる気がないような。(笑)

 いや、別にそれも大いにけっこうなんですけど、最近メディアに露出度が高くなって、いろいろ発言している谷口監督の諸々の発言で触れていたような“娯楽性”の趣旨とは、一致していない部分も多いというのは思わざるを得ないです。

 特にロボットに関しては、アニメーションで最も有効なツールだと思っています。
 ロボットは、漫画や実写の映画にも登場しますけど、そこではメインストリームにはなり得ないんですよ。アニメにしたときに、初めてメインストリームになり得るんです。アニメーションはロボットが最大の武器なんですよ。

 うーん、すこしむつかしいいい方になりますが、ロボットは虚構でもあり、現実でもある、という事ですかね。それらしく見せることもできるし、ウソだけど気持ちよいでしょう、と表現することもできる。情報の整理がとてもしやすい記号なんです。

 “ロボットもの”にこんな前向きの言葉を与える人を最近あまり見たことがないような。(笑)
 だから、このリヴァイアスなんかは(もしかしたらガサラキなんかも)反省材料になっている点もあるのかもしれないなーと、そういう印象も持ちます。

 逆に『コードギアス』と比べても変わってない部分としては、「世界は自分には優しくない」、「抑圧した上で、突き破ろうとして出てくるのが個性だから」というスタンスは、このリヴァイアスからブレてないですね。これは薬じゃなくて毒なんだ、それがサブカルチャーなんだと言ってますが、毒を口に持って行かせるのが本当に上手くなったと。これははっきりと思いますね。(笑)

 それで、娯楽に乏しいと不満たらたらかというと、そうでもなくて、戯画化された人間模様の落としどころをどこに求めるつもりだろうかと。物語の成り行きを、あまり感情移入せずに眺めています。子どもばかりの集団の中で、いちおう上級生(エリート?)の“ツヴァイ”あたりは官僚なんだろうし、ブルーらの不良グループは政治をやったんだろうな、とか。あとファイナにはカルトっぽい宗教の気配もしてきたし。こんなに分かりやすく記号化しちゃうのか。
 描写であまり垢抜けないなと思うのは、劇中時間の経過なんかがほぼセリフで進行している感じで、アニメ的というより、これは小説の手法なんだろうと。エロチックなほのめかしの用法が少し下卑ているのも不快だけど、主人公周り以外の“その他大勢”をチャラかして描いているのも、娯楽の方向性を間違っている気がしちゃいます。人々がこんなことだと、普通にシミュレーションしていれば(主人公周りがどうあれ)、ここまで長い物語時間には本来耐えられずに、リヴァイアスという船はとっくに自壊していそう。
 その辺のリアリティバランスも考え直されて、後年の『ガン×ソード』とか『コードギアス』になってるんでしょう。善良な市民さんが、この『無限のリヴァイアス』と『コードギアス』にしばしば言及しているんですけど、両者を(批評的な目でなく一観客の目で)平たく見比べてしまうと、リヴァイアスの先駆性というよりも、’90年代的なものの残滓からゼロ年代的なものへの伸びしろというか、変化というか、私はそっちのほうを強く意識してしまいます。

『無限のリヴァイアス』 とりあえず第2話まで 

[2008/08/15] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 いろいろ中途半端が多い、この頃ですが、前から気にかかっていた『無限のリヴァイアス』を見始めてみました。やっぱり『コードギアス』で谷口悟朗監督のことをもっと知りたくなったっていうのが大きいですね。だけど、借りてきてみてから、DVD1枚に2話しか入ってなかったことに気付いちゃいました。(あひゃ!)

無限のリヴァイアス Vol.1

 この作品は1年ぐらい前に、バンダイチャンネルで3話ぐらい無料放映してたのを見てたんで、この冒頭部分を見るのは二度目のはずなんですけど・・・。
 うー・・・。相変わらず、なるべく先入観になりそうな情報などは目に入れないようにして、一期一会の出会いを楽しもうと思っています。で、今回けっこう集中して見たつもりなのに、この情報量には頭が追いつけないかも。(笑)

 いやいや90年代後半~。「私の大いなる黒歴史(笑) ~ 1990年代のテレビアニメ」などという記事を以前に書きましたけど、免疫の乏しい私には、くらくらっと来ますね。この神経にさわる空気感!これが『∀ガンダム』と同じ年の作品なんですねー。谷口監督は、前年に『ガサラキ』の助監督をやって、これが監督デビュー作のわけですか。うーん、なるほど。ただ、スタッフを眺めていると、シリーズ構成を黒田洋介がやっていて、『機動戦士ガンダムOO』とか、むしろこっちの雰囲気に近いような、そんな肌触りも感じました。まあ後は、私のちょっと苦手な(笑)平井久司のキャラデザですか。

 で、物語の語りだしなんですけど、わりとせっかちに事件に入っていきました。あまりのんびりしてるのよりは、私の好みには合ってるはずなんですけど、これはわざとなのか、視点があちこち飛び回るので、主人公に集中していけない。なんだろう? このコージって子はものすごく平凡な子なんですね。それはたぶん意図的にそう描かれていて、どうも思い切り“群像劇”をやってやろうという構えのようです。・・・三回ぐらい見直して、やっと人物と出来事とが大体のみこめましたよ。

 これは面白いのかなー? もう少しストーリーが進行してきて、見せ方の手際が良くなってくれば、けっこう面白いかもしれないですね。もう少し様子見って感じです。

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