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アニメの中での「表現主義」って・・・ 

[2007/12/07] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(4) | TOP ▲

 「“日本のビジュアル大衆文化の頂点は、アニメじゃなくマンガ?”という話」の続きです。(相変わらずムダに長いですが、お覚悟を。)
 “アニメ様”こと小黒祐一郎さんがどこかのパーティで話した内容を、東浩紀さんが見事に逆の意味に聞き違えたらしい、という話で、「それにしても、強烈な東浩紀批判ですよね」・・・とNishinomaruさんに指摘されましたが、アニメ様が「多分、どこかで勘違いされている(増田さんの勘違いではなく)のだろう」というのは、確かにまあ、注意して読めばそれと分かるように書かれていますね。アニメ様のスタンスはよく承知していませんが、読んだ感じでは婉曲に書いたんであって、揶揄する意図ではないのでは。

 それはともかく(笑)、「表現主義」というほうです。

東映動画系、虫プロ系というのはよく言われる話なんですが、「表現主義」「物語主義」という言い方を聞いたのははじめてで、もし最初からそういう対比なのだったら、語感から言って「勘違い」の発生も無理はないという印象。

・・・と私も書いたぐらいで、増田さんが特に疑問を挟まなかったのと同様に、私もその部分だけを読んだら、“東映動画系は表現主義派”、“虫プロ系は物語主義派”という言い方も(個々の人名を見なければ)大雑把にはあり得るのかな、と思ってしまったと思います。それをスパッと、

りんたろうさんを始めとする虫プロの人達が「表現主義」だと言ったはず

・・・と訂正したアニメ様の見解を詳しくお聞きしたい、とだけ前回は書きましたが、自分でももう少し考えてみたくなったので続きを書いてみます。

 (たぶん東さんの)そもそもの勘違いで曲者なのは、「表現主義」という用語と併置して、「物語主義」という言葉を用いているところ。そういう読ませ方をさせられると、“物語”というほうに文芸的な内容の重視、“表現”というほうに映像的な内容の重視というニュアンスを勝手に誤読して納得してしまいます。
 “もし最初からそういう対比なのだったら、・・・”と私が書いたのは、そういう理由で、「物語主義」というのは「勘違い」した人の付けた尾ひれなんではないかとしたのも、そういう意味です。

美術において「表現主義」として語られるのは主に19世紀後半以降の動向だが、そもそも「表現」を意図しているはずの美術の特定の部分を、敢えて「表現主義」と二重に括るようになったのは、ある傾向の作家・作品に窺われる激しい感情の吐露・表出を、科学や実証性を重んじた「印象主義」と対置するためと考えてよい。

Art Words - Art scape「現代美術用語集」

表現主義(ひょうげんしゅぎ)または表現派(ひょうげんは)とは、様々な芸術分野(絵画、文学、映像、建築など)において、一般に、感情を作品中に反映させ、現実をねじまげて表現する傾向のことを指す。また、この語は感情の中でも特に不安や葛藤などをあらわしたものを指すことが多い(表現主義の作品で、陽気で快活なものはあまり見れず、陰鬱なものが多い)。

表現主義 - Wikipedia

 美術用語としては、「表現主義」(Expressionism)は「印象主義」(Impressionism)の正反対の語として存在するようですが、他のジャンルで援用して使う場合はなかなか難しいですね。Wikipediaの「表現主義 - 映像」の項を読むと、映画では象徴的、超現実主義的な作風を、そう呼んでいるようです。(今のアニメで言ったら、むしろ「エヴァっぽい」みたいな言い方をされる傾向が、それっぽいですか?)

 「激しい感情の吐露・表出」と言う特徴は、なるほど富野アニメによく当てはまります。“りんたろうさん”と言われると、私はついつい東映動画で製作された『銀河鉄道999』とかを頭に浮かべてしまうので、正しく虫プロ的な“りんたろう作品”って何だろう?不勉強で、そのへんがよく分かりません。(『火の鳥・鳳凰編』とかでしょうか。今度見てみようかなぁ。)

登場人物のデザインと性格だけではなく、空間と時間も徹底的にデフォルメされた。投手の手を離れた白球が、捕手のミットにたどりつく時間は、一球に込められた情念によって際限もなく延長され、ひき延ばされた瞬間が迫力のある動きとして、アニメーターにより追求された。せまいリングが広大な戦場として描かれるのも、その主人公にとって戦場に等しいのだ、というわけで正当化された。おかしなもので、語り口がどこかで講談と同じになっていった。間垣平九郎が愛宕山の石段を馬で馳せ登るくだりの表現と、これらのアニメーションの語り口のなんと似ていることか

 「感情を作品中に反映させ、現実をねじまげて表現する傾向」と言うのは、前の記事でも紹介したリンク先(「アニメビジネスがわかる: アニメビジネスがわかる本32」)で引用されている宮崎駿さんの“テレビアニメを中心とする過剰表現”への批評(というか批判?)が分かりやすいですね。
 たぶん、これこそがアニメ様が「表現主義」という言い方で示したものだと思うのですが、なるほど、そう言われると確かに虫プロ(テレビアニメ)的な特徴のような気がしてしまいます。

 ただ「激しい感情の吐露・表出」という側面を抜きにして、このアニメ的な誇張表現という部分だけで見ていってしまうと、例えば私の世代では、ついつい『ガンダム』と『未来少年コナン』(あるいは『カリオストロの城』でも可)の対比などで考えてしまいがちなので。それは宮崎監督の得意技でもあるのではないかと。(あのコナンやルパンの超人的な身体能力ですよ! 笑)
 Wikipediaに「マンガ物理学」などという笑える一章(つい読みふけってしまいます)がありましたが、『コナン』を初めて見たときなど、“これこそがアニメの魅力かなー”などと私は単純に思い、改めて感心したものでした。
 富野アニメに頻出する“ハイパー化”などは、まさに「激しい感情の吐露・表出」でもあり、アニメ的な誇張表現の典型とも言えそうですが、近年、世間一般ではギャグ的用法を除くと一概に誇張表現は否定的に捉えられる傾向があるような気がするので、私はそこは残念です。

 で、こうした誇張表現を排除していった極北の作品というと、私は例えば高畑勲監督の『母をたずねて三千里』などを思い浮かべます。お猿のアメデオ君が一人で画面に動きを与えていた以外では、あの禁欲性はすごいですよね。あれこそは「物語主義」というよりも、むしろもう少し普通っぽい用語で「自然主義」的な(現実を理想化せず、社会・人間・自然をみにくいものもふくめて、ありのままにえがこうとした)傾向として、表現主義に対置すべきものかなぁと。
 美術の分野で、“そもそも「表現」を意図しているはずの美術の特定の部分を、敢えて「表現主義」と二重に括るのは・・・”と言われていたように、表現主義的な傾向というのは、よほど意識的に抑えない限りはむしろ、ほとんどのアニメ作品の中に見られるものなのではないかと私は思います。
 視点がどこで、何と対置した場合に「表現主義的である」というように、言い方あるいは聞き方を注意深くしないと、言葉というのは一人歩きをしてしまって180度違う意味に取り違えられる場合さえある、ということなのではないでしょうか。

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“日本のビジュアル大衆文化の頂点は、アニメじゃなくマンガ?”という話 

[2007/12/05] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(4) | TOP ▲

 パソコンの調子もネットワークの調子も絶不調!12月は、それでなくても気ぜわしくて嫌いです。(←時候のあいさつ。w)
 今日はまた、ネットで見かけた話題から。

東浩紀は小黒氏との会話で、「七〇年代のアニメ作家たちは、大きく表現主義と物語主義の二つに分けられると言われている」との示唆を受けたと述べている。表現主義派は大塚康生、宮崎駿、高畑勲といった東映動画出身の人間たちであり、物語主義派はりんたろう、安彦良和、富野由悠季といった虫プロ出身の人々である。

アニメビジネスがわかる:
アニメビジネスがわかる本34

 こちらのブログは面白い記事がてんこ盛りで、あちこちと興味深く読ませてもらったんですが、上で引用した記事には、“アニメ様”こと小黒祐一郎さんご本人から「訂正」が入ってました。

 それから「七〇年代のアニメ作家たちは……」の話だけど、これはどこかのパーティで言った話。多分、どこかで勘違いされている(増田さんの勘違いではなく)のだろうと思うけど、りんたろうさんを始めとする虫プロの人達が「表現主義」だと言ったはず。
 以下はパーティで話してない内容かもしれないけれど、この考え方で言うと、富野さんの立ち位置が曖昧だ。富野さんのスタイルは虫プロ出身なのに「表現主義」的ではない。だから、富野さんはアニメ界の主流になる作品は作ったけれど、虫プロの流れの中では主流ではない。という話。
 念のため、訂正。

編集長メモ:
増田弘道さんのブログ「アニメビジネスがわかる」

 東映動画系、虫プロ系というのはよく言われる話なんですが、「表現主義」「物語主義」という言い方を聞いたのははじめてで、もし最初からそういう対比なのだったら、語感から言って「勘違い」の発生も無理はないという印象。でも「どこかで」勘違いが、ということなので、伝言ゲームの途中で、違うプリズムの通過時に屈折が生じたものなのでしょう。「表現~」のほうにしか訂正記事の中で言及をしておられないから、もしかしたら「物語~」というほうは途中で誰かの解釈した尾ひれがついたということなのかも。
 まさに伝言ゲーム恐るべしなんですが(笑)、そもそも“アニメ様”が「りんたろうさんを始めとする虫プロの人達」を表現主義的と名づけた、その意味は、ぜひ聞いてみたいと思ったのでありました。

 ところで、

保守本流という言葉がよりふさわしいのは東映動画でした。

・・・というのは、先日Nishinomaruさんからいただいたコメントの一節なのですが、アニメーションらしいアニメーション(いわゆる日本的な“アニメ”ではなく)としての本流は、東映動画系にあるんだろうなぁと私も思います。というところで、じゃあ虫プロ系とかっていったいなんなのかという話です。

言い得て妙であるが、日本のビジュアル大衆文化はマンガに集約され、一方アメリカは映画がその位置を占めている。氏が言うように日本の大衆的エンタティンメント・コンテンツの頂点にはマンガがあり、そこからアニメやテレビドラマ、映画が派生して行く。一方、アメリカでは映画が頂点にあり、ついでテレビアニメやコミックといった二次著作物が発生するが、そこが日米の映像エンタティンメントの大きな違いと言えるであろう。

アニメビジネスがわかる:
アニメビジネスがわかる本32

 上記は、宮崎駿さんの著書『出発点1979年~1996年』を増田さんが紹介した文のまとめなんですが、宮崎監督がテレビアニメ的な過剰表現(つまり虫プロ的表現、でしょうか)を“講談”に喩えたのを受けて、「日本のアニメには伝統的な大衆文化の影響が垣間見られる」と述べておられるのが面白く。
 そうして、アメリカの“映画”に対して、日本の“マンガ”について宮崎さんが、「アメリカ社会で、いちばん社会全体を繋いでいるのは、マンガじゃなくて彼らにとっては映画なんです。日本は多分、テレビとマンガがそれを担っていて、映画の方は隅っこの方にいっちゃったということだと思うんですね」と書かれていたのを上記のようにまとめてあります。
 “日本のビジュアル大衆文化の頂点は、アニメじゃなくマンガ”という見方についても、たぶんそうなんだろうなと思います。伝統かどうかはわからないですけど、マンガには浮世絵だとか、何か歴史を辿ってもよさそうなルーツがあるのも面白いですよね。
 仮に、日本では、その大衆文化の伝統の底力的に、虫プロ的な表現も認められる素地があるということを、宮崎監督は(不本意かもしれないけど)言っているのだとすると。“アニメーション”的には東映動画系が本流だけれども、“大衆文化”的には虫プロ系が本流となる目があるということなのかもしれないですよね。

 そこで虫プロ系の中では異端児扱いの富野監督の立ち位置なんですが。“アメコミ風”とよく言われるタツノコ系との親和度が高いんじゃないかと、私は前からぶつぶつ言っているわけです(笑)。
 そういう意味で言うとアメコミは、“映画”を頂点とするアメリカ的な文化風土の産物なわけで、富野監督的にもピタッとはまっている気がするんですよね。
 ただそうイレギュラーな位置づけにおさまってしまうと、アニメ様に「富野さんはアニメ界の主流になる作品は作った」って言ってもらった立場はどうなっちゃうのかです。まあ、ぶっちゃけ、その辺のアンビバレントなところが魅力と言えば魅力なんですけどねー。(笑)

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『空飛ぶゆうれい船』 (1969年) 

[2007/11/23] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(3) | TOP ▲

 このところ80年代アニメの話ばかりが続きましたし、少し新しい、最近の作品を借りてこようと思って、たしかレンタル屋さんに行ったはずだったんですが。気が付けば、なぜ、これを借りてきてるんだ、自分?(笑)
 まあ、よく題名は聞くし、以前から気にかかっていた作品だったんで。ともかく後ろへ振る代わりに思い切り前へ振ってしまったと言いますか。いちおう巨大ロボットも出てますし。(ぇ?

空飛ぶゆうれい船空飛ぶゆうれい船
(2003/06/21)
野沢雅子、田中明夫 他

商品詳細を見る

 あらすじと解説は、東映アニメーションの公式ページから。

■あらすじ■
自動車事故を起こして気を失った黒汐会長を幽霊船に運んだ隼人は、そこで幽霊船長を見た。幽霊船長の謎の空飛ぶ幽霊船は次々と黒汐会長の持ち船を襲い、さらにはその使いと名乗る巨大ロボット、ゴーレムが町を破壊し始めた。 隼人の養父はそのために死んでしまった。 ところが仲間であるはずの幽霊船がロボットに向けてミサイルを発射 した。幽霊船は正義の味方なのか、それとも仲間割れ?? 一方隼人は黒汐会長の家の地下で巨大な秘密を垣間見てしまう。 なんとそこには巨大兵器工場、そしてゴーレムの姿があったのだ! 黒汐会長こそが国防軍とゴーレムの両方を操る黒幕であった。が、 その背後には更に大きな敵が。 幽霊船は最終目的に向かって進撃を始めた。

■ かいせつ■
かなり深刻な社会問題を根底に含んだSFアニメーション作品
公開当時,堂々と空を飛ぶゆうれい船の存在感が観客の子ども達を驚かせ、人気があった。

 以前に『ホルスの大冒険』を見て、かなり好印象を持っていたので、それ同様に、“東映まんがまつり”でかかるような古い作品とはいえ、けっこう期待してみたのですが・・・。もちろん好き好きはあるんだろうと思いますけど、私、個人的には、ちょっと微妙な作品でした。

 ホルスの時にも書きましたけど、私が見た記憶のある一番古いアニメ映画は、『長靴をはいた猫』(1969年)なんですが、もしかしたら続編の『ながぐつ三銃士』(1972年)あるいは『長靴をはいた猫 80日間世界一周』(1976年)の記憶違いかもしれません。そのどれかが定かではないなどとは、実にいい加減で申し訳ないんですが、小学校でチラシが配られて(なんてったって「文部省選定」だ!)市民会館のようなところで見たことをよく覚えています。(“東映まんがまつり”自体には、たぶん一度も連れて行ってもらえなかったんじゃなかったかなぁ。)
 今、Wikipediaを見てみると、1968年の夏休み(7月~)の「東映まんがパレード」で『太陽の王子 ホルスの大冒険』、1969年の春休み(3月~)の「東映まんがまつり」で『長靴をはいた猫』、夏休み(7月~)が『空飛ぶゆうれい船』ということだったようですね。これはすごい、東映動画長編アニメの黄金期でしょうか。

 出だしのオープニング映像と音楽にはわくわくしました。で、私のニガテな石森章太郎系のまんがキャラクターが出てきたところで、まず「うっ・・・」と(笑)。物語はたしかに「うわーっ・・・(汗)」って驚くぐらいの社会派です。ただ、それを子どもにも分かるようにと言うんで、説明的なセリフがかなり多くて。名優、野沢雅子さんの力演でなんとか保っていますが、60分の尺で、これだけの要素を詰め込むと、さすがにいい芝居にはならないですね~。
 ただ、宮崎駿の原画パートらしいですが、有名な、渋滞する市民の車を踏み潰して市街の真ん中に現れる国防軍戦車の、いきなりの砲撃から巨大ロボット“ゴーレム”の大暴れに連なっていくあたりの動画なんかは、こりゃほんとにスゴイです。それ以外も、映画館のスケールを意識したんだろう表現は、しばしば見応えがあります。

 「ゴ~ックリ、ゴックリコンと、ボーア・ジュ~ス♪」
 いやぁ、このアイロニーもすごいんですけどね!黒幕の“ボア”を育てたやつがいる。誰だろう?それは実は・・・。って、頑張って一生懸命、説明的に作っているけど、これはなかなか難しいかもー。何しろ“60分”と言うのが!
 物語の要素もけっして悪くはなく。そして何より、ところどころには、“すごいアニメ”の部分もあって。せめて全体で90分ほどあれば、もう少し違ったかも、と思わず脳内補完したくなる作品なのかもしれません。

「アニメーター残酷物語」は都市伝説?(長文!) 

[2007/01/12] | アニメ全般な話題 | トラックバック(1) | コメント(4) | TOP ▲

 ずいぶん前になりますが、日本のアニメーターたちの給料が安すぎるという記事を、ネット上で見た「初めて明らかになった実態」とサブタイトルされた文章をまるまる鵜呑みにして書いてしまいました。
 アニメの話というより、経済の話になってしまった気もしたので、その後あんまり触れなかったんですけど、“それはちょっと違うんじゃないか”、“そういう風聞が一方的に広まってしまって迷惑だ”といったような話を見聞きしたので、ほぼダイジェストみたいな内容になりますが、ご紹介しておきますね。

愛・蔵太の少し調べて書く日記
 「アニメの制作費が安いのは手塚治虫のせい」というのは本当か
 「アニメの制作費が安いのは手塚治虫のせい」というのは本当か・その2

 この最初のほうの文章は、「アニメの制作費が安いのは手塚治虫のせい」というネット上では定説のようになっているものが、厳密には「…という説もある」というのに過ぎないということを丁寧に調べてまとめておられます。
 よく引き合いに出される、宮崎駿による手塚治虫“追悼文”(→岡田斗司夫『おたく学入門』 「手塚治虫vs宮崎駿」)も紹介されています。

昭和38年に彼は、一本50万円という安価で日本初のテレビアニメ『鉄腕アトム』を始めました。その前例のおかげで、以後アニメの制作費が常に安いという弊害が生まれました。


 リンク先にある、この発言の背景へのオタキングの解釈も面白いですね。(「東映動画vs虫プロ」みたいな視点はわざと落として、個人の思い入れみたいな部分をあえて強調しているような気もしますが。)
 それにしても「手塚は何故、…」という部分はなかなか難しい話のようですね。ここでは当時のアニメーターの給料が意外に高かったという指摘のほうが気になりました。

現在と異なり、当時のアニメーターの給与はとんでもなく高く(航空会社パイロット並)、高卒で5年働けば家が建つ唯一の職場と呼ばれていた。
虫プロダクション - Wikipedia
(※「東映動画vs虫プロ」の話もここにけっこう載っていますね。)


 それで「~本当か」の記事には注目すべきコメントが多数寄せられていて、それらが「~本当か その2」でまとめられています。東映動画側からの具体的な言及として挙げられている「大塚康生インタビュー」(→amazon)が面白いですね。学歴主義で、中卒の大塚さんが月給6000円のころ、同年代の芸大卒は月給1万円とか。

で、虫プロができて、ダダダーッとみんな東映から抜けていくと、会社は不安のあまり「契約になってほしい」と言ってきたわけです。


…とか。実に生々しい。(笑)

(※参考:東映、虫プロ関係アニメ史の過去記事→「なるほど、虫プロ系と東映系ですか!」、「アニメスタジオの系譜をお勉強」)

 大塚康生が東映動画に入社した昭和31年頃の国家公務員の初任給は9000円程度、虫プロが創設された昭和36年頃の国家公務員の初任給が1万4000円程度…というのが比較対象になっているんだけど、高度成長期の公務員になるのって、今の感覚ほど“いい仕事”感覚じゃなかったと思うんで、多少微妙でしょうか。(しかし、思ったほど悪くないには違いない。)
 ここでは「アニメーターの部門は、宮崎駿さんたちの1963(昭38)年4月採用組を最後に社員採用は中止され、以後はすべて動画を何枚描いていくらという契約採用に切りかえられ…」(大塚康生「作画汗まみれ」→amazon)という雇用形態の変化に注目すべき、「虫プロによる安価でのTVアニメ制作の影響を受けて、東映動画は固定給から出来高制に移行したようですから、無関係とは言い辛いかなぁ、と。」…いやぁ、なるほど!
 宮崎さんの先ほどの手塚批判は、著書「出発点―1979~1996」にも再録されているんですね。信念を持って言っているわけです、うん。
 紹介されている、このリンク先の記事も興味深いですね。

*昭和32年、東映動画創立。社員570名
*手塚治虫が初のテレビアニメ制作で参入。1話の制作費は本人も安いと認める、55万円。
*東映動画はこの危機を乗り切るため、契約者制度を導入。希望退職やロックアウト、組合員の首切り、下請け合理化政策を行う。つまり、作画・美術・仕上・撮影・音響など、職種ごとに下請けを作る。その結果、フリーの労働者が増え、賃金も安くなる。
健康に生きたい:「誰がつくるの日本のアニメ」イベントレポ


 すごいなぁ。まさに“アニメ史”ですね。(「都市伝説を都市伝説の形で流すのは、それはそれでいいんですが、…」ですか。うわっ、耳が痛いっ!)
 さらに間夫妻応援日記:中日新聞『アニメ大国の肖像』を見て、アトムの一本50万はトリックで、本当は150万、ましてキャラクターグッズのロイヤルティーが「日銭で何百万円」だったという証言を参照すれば、制作費が安かったからアニメーターが薄給だったというのは、まず違うみたいですね。ただそれは虫プロ側の視点の話で、東映側から見れば、まさに“何てことしやがる”って言いたくなるような、死活問題の引き金を引いたということだったのか・・・?
 ここまでが、アニメ黎明期の話。
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オリジナルの肝 第6話 ジャパニメーション1963-2004 

[2006/09/08] | アニメ全般な話題 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 現在、Gyaoで無料放映中です。(9/15正午まで 45分)

・ジャパニメーションのはじまりは、テレビ・アニメの革命が必要だった
・日本のストーリー漫画はテレビ・アニメ史にどんな影響を与えたのか?
・テレビ・オリジナルはジャパニメーションにどんな影響を与えたのか?

 冒頭に掲げられるテーマはこういう感じ。

 前半は高橋良輔監督のアニメ史講義の模様。平明で分かりやすい語りぶりに感心しました。すでに売れっ子漫画家だった手塚治虫が、東映動画のアニメ制作を手伝う中で、ディズニー流を目指す制作姿勢に違和感を感じ、虫プロを設立する流れ。 
 『ある街角の物語』(1962年 虫プロ)の映像をはじめて見ました。クラシック音楽を背景に、台詞のない作品なのですが、とてもきれいなアニメだったので驚きました。 
 誰もが無理だと思っていたテレビ放映を志し、週ペースでのアニメ制作のため、30分番組を2000枚で面白く見せる方策の工夫。「先生、これは無理でしょう」という若手の声に、(ディズニーのような)アニメーションではなく、“テレビ・アニメ”という別のものだと思ってください、とまで明言したと言うような逸話。
 ストーリー漫画を原作としたアニメが主流となっている日本のアニメの特徴について。そうした中で原作に依存しない“オリジナル・アニメーション”が果たしてきた役割の大きさ。
 『宇宙戦艦ヤマト』には、作り手としてはショックを受けた。日本のアニメのレベルが飛躍した。「歯ごたえがありすぎる→視聴率悪→打ち切り→再編集・映画化」という流れ。(笑)
 出版界からヤマト関係の出版物は売れるという動きが出てきた。アニメ専門誌が創刊され、編集者の目や読者の目が、さらに新しい作品を求めるという方向性が生まれた。
 『機動戦士ガンダム』には、背中を蹴っ飛ばされるようなショックを受けたが、ヤマト同様に打ち切り。(笑)
 テレビオリジナルアニメーションの数が増え、原作監督という仕事をやらせてもらえた…。

 後半は、上記のようなアニメ史の流れを、経営サイドにいたような人たちとの対談で跡付けようという試み。
 一人目は、東映動画から虫プロを経て、サンライズ創業に携わったという山浦栄二さん。
 東映は“映画”→ 手塚治虫が“テレビアニメ”を作った。『白蛇伝』から『アトム』までは、わずか5年。手塚さんは100年に一度の天才。
 オリジナルアニメの生まれてくる流れとして、マーチャンダイジングが通用するには、原作者がいるとやりにくい。東映の『マジンガーZ』で、(商品化展開で)「ペイできる」という手ごたえを得た。
 『ヤマト』の反響は予想外で、なぜうまくいったのか調べたが、「コアなファンが付くとめちゃくちゃな商売が出来る(20万のファンが一人当たり5,6万使う)」ということが分かった。これまでは不特定多数を相手にしてきたが、新しい商売の仕方を教えてくれた。西崎さんは音楽から来た人だったので、そういう(コアなファンをターゲットにするという)感覚があったと思う。

 もう一人は手塚プロ代表取締役の松谷孝征氏。 
 アニメ産業の今日の隆盛は、海外での評価を伴っているところに可能性がある。漫画原作というところから、最近はゲーム展開まであるが、
手塚治虫が確立した「きちっとしたストーリー・キャラクター」というところは守られていると思う。 
 アメリカと日本のアニメ制作環境の違いは、「ディズニーは初めから世界が市場」というところだと思う。
 虫プロは'73年に倒産し、手塚さんは「もうアニメは作りません」などと言っていたが、'78年に24時間テレビでアニメの話(『バンダーブック』のこと)が来たときにはウキウキしていた。本当にアニメが好きだった。
 高橋監督は、アニメーションは個人では出来ないので、経済システムを構築できないとよくならないといったことをおっしゃり、制作環境をよくする必要を再確認していました。 

 大筋、こんな感じでしたが、手塚原作があると、企画時に(関係者に)面白さを説明しやすいというような話があったりして、なるほどと。それでもオリジナルが生まれてきたのは、会社的には版権がらみの商品展開のやりやすさを考えての面もあったというのには、実に苦笑い。
 エンディングのところで収録外の雑談の模様が映るのですが、山浦氏が、「良ちゃんはどうしてますか」と手塚さんが高橋監督のことを気遣っていたという、いい話を披露。「良ちゃんがコンテ書いてたとき、キャラクターは全部笑ってた」といった「?」なこぼれ話(笑)も。最後まで注意して耳をお澄ましください。



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