スポンサーサイト 

[--/--/--] | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) | TOP ▲

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『未来少年コナン』やっぱり終盤は最高です! 

[2006/09/18] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 来週忙しいので、未来少年コナンをあわてて見ました。Yahoo動画での配信が終わっても、Gyaoで順次やるみたいなので、本当はあせらなくてもいいはずなんですけど、なんとなくね。(笑)

未来少年コナン 6 未来少年コナン 6
アレクサンダー・ケイ、 他 (2001/10/25)
バンダイビジュアル

この商品の詳細を見る

第19話 「大津波」
第20話 「再びインダストリアへ」
第21話 「地下の住民たち」
第22話 「救出」

未来少年コナン 7 未来少年コナン 7
アレクサンダー・ケイ、 他 (2001/10/25)
バンダイビジュアル

この商品の詳細を見る

第23話 「太陽塔」
第24話 「ギガント」
第25話 「インダストリアの最期」
第26話 「大団円」

 コナンが再びインダストリアに行く、終盤の展開は、何度見ても面白すぎ。(しかも凄いしり上がり!)ハイハーバー篇のうっとうしさを吹き飛ばして、お釣りがいっぱい来ました。やっぱりこのテンポで話が進んでくれないと!
 ここで一番気持ちよくさせられてしまうのには、モンスリーの改心が大きく影響してるんでしょうかね。名台詞「馬鹿ねぇ!」を聞くと、何度見ても、思わず顔がにやけてしまうんですよね。(笑)
 それに「まったく、あんたって子は!」という彼女の感嘆が、ここまで見てきたこっちの気分とぴったりで。思わず「ホントだわ…」と相槌を打ってしまったりとか。一話目からコナンの超人っぷりは発揮されてるわけですけど、もうこの辺まできたら怖いものなしですね。もう慣れたよと思いながら、さらにそれを上回る無茶してくれちゃって、ある意味、表現のインフレなんだけど、心地よいから許せちゃうんだなぁ。(微妙なところなんですけどね。最近のアニメファンには許せない表現かもしれないんですが、その“怪物”級のパワーだけで物語を動かしてるわけでもないので、はっきり意識して“アニメならではの面白さ”を見せるために用いられている描写なわけです。)
 切通理作『宮崎駿の“世界”』によれば、宮崎監督は途中から、冷徹無比なモンスリー像に耐えられなくなって、相当の思い入れを込めて彼女を描いたんだとか。確かにね、序盤でのモンスリーが、最後あんな可愛い女になるってのは、まったく予想外なんだろうけど、その予定からのはずれ具合が実によかったわけで、だからテレビシリーズは面白いんですよね。
 この作品はどうしても、なかなか批評的に見ることができない作品です。私にとっては最高の“漫画映画”ですね。ただ、もしモンスリーがいなかったら(ああいう描き方をされていなかったら)、あまりに悩むことなく信じたこと思ったことを一直線に突き進むキャラクターばかりで、話が薄くなってしまった可能性はあったと思います。突っ走っているテレビシリーズの中で、宮崎さんがそれを発見できたことは重要だったんじゃないでしょうか。(それは計算ではなくて、やっぱりコナンみたいな野性のカンのような気はしますけどね。)

 『大団円』…凄いそのまんまのタイトル。しかし予想以上の大ハッピーエンドですからね。何度も見て知ってるけど、この軽快なテンポと展開は胸がすく思いがします。そして出発点であるのこされ島に戻ってくる。うまいですよねー!
 こういう明快な話っていうのは、どうしたって今のアニメ界からは生まれてきそうもない。この良さは、テレビシリーズならではの良さというのもあったなぁというのが今回見てみた感想です。
 これぞアニメ史に残る大傑作だと思うのに、今ひとつ世間の認知度が高くないのは、これがジブリブランドではないということとか、それにもうひとつは、やっぱり“映画”じゃないと駄目なのかなぁ…などと残念に感じてみたりします。



| ランキングオンライン |
スポンサーサイト

あえて『未来少年コナン』の苦手なところ 

[2006/09/13] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 前回、第6話まで書いたときも、各話というより全体についての雑駁な話でしたが、大好きな作品の割に感想を書きにくい作品なんですよね。まったくよく出来ていて、ケチの付け所があまりない。とにかくコナンはあきらめない。ラナちゃんはけなげだ!(笑)

未来少年コナン 3 未来少年コナン 3
アレクサンダー・ケイ、 他 (2001/09/25)
バンダイビジュアル

この商品の詳細を見る

第7話「追跡」
第8話「逃亡」
第9話「サルベージ船」
第10話「ラオ博士」

未来少年コナン 4 未来少年コナン 4
アレクサンダー・ケイ、 他 (2001/09/25)
バンダイビジュアル

この商品の詳細を見る

第11話「脱出」
第12話「コアブロック」
第13話「ハイハーバー」
第14話「島の一日」

未来少年コナン 5 未来少年コナン 5
アレクサンダー・ケイ、 他 (2001/10/25)
バンダイビジュアル

この商品の詳細を見る

第15話「荒地」
第16話「二人の小屋」
第17話「戦闘」
第18話「ガンボート」

 第8話「逃亡」あたりで、捕らわれていた紐を食いちぎり(!)、上陸艇をかっぱらってコナンを助けるラナちゃんが凄く好き。(そのあとの“水中人工呼吸”のエピソードのほうが名高いですが、意想外の活躍をする場面のほうが私にはインパクトが強いです。)似合わぬ無理がたたって、その後しばらくコナンのお荷物キャラになりますが、砂漠を行くコナンはやっぱ凄すぎ…。(瞬発力の凄いのは抵抗感ないんですけど、こういう持久力系のは少し苦手っぽい。)
 あー、サルベージ船のテリット!やなヤツ!話が飛ぶけど、ハイハーバーの問題児オーロとか。宮崎アニメって、ところどころこういうネットリと嫌なやつがいますよね。もうレプカぐらい徹底して悪党だと、そういうものかと思ってますけど、この辺の小悪党が何度見ても胸糞悪い。
 インダストリアからの脱出劇は、ほんと痛快に面白かったんですけど、私がこの作品で一番苦手なのは、第13~16話「ハイハーバー」「島の一日」「荒地」「二人の小屋」というあたりですね。きれいな風景の中で平和な人々の何気ない暮らしを緻密に描き出す、宮崎さんの大好きなシチュエーションなんですけど、この辺の人間関係のやらしさは、どうも私には、意外に耐え難い。話が動いている分にはいいと思うんですけど、流れが(一時的に)止まってる中で出されてくるから、辟易としちゃうんです。「二人の小屋」ではダイスまで、小悪党の地金見せちゃってるし。
 正直、話の成り行きは知っているんだけど、何度見てもインダストリアからガンボートが来て平和が破られるところで、小さくこっそりと「ホッ」としている自分を見つけます。(笑)
 もともと波乱に富んだストーリーに見えて、話の流れは緩やかな物語なので、テンポのいいアクションが入らないこのあたりの話数は、少し澱んでるぐらいに感じられてならないのであります。

 …ケチの付け所がないと言いながら、けっこう文句書いてますね。(笑)
 これは宮崎駿という人の総力を挙げて作った奇跡のようなテレビシリーズだから、たぶん、よくも、そして悪くも、宮崎アニメのエッセンスが濃厚に出ているんでしょうね。なので、苦手なところもたぶんそういうところなんだろう、と思った次第。
 本当に、昔から大好きな作品なんですけどね!(笑)



| ランキングオンライン |

未来少年コナン 第1話~第6話 

[2006/09/01] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

未来少年コナン 1 未来少年コナン 1
アレクサンダー・ケイ、 他 (2001/09/25)
バンダイビジュアル

この商品の詳細を見る

未来少年コナン 2 未来少年コナン 2
アレクサンダー・ケイ、 他 (2001/09/25)
バンダイビジュアル

この商品の詳細を見る

 絵づらを入れたかったので、DVDにリンク貼っておきますが、Yahoo動画で見ました。

Yahoo!動画 - アニメ - 未来少年コナン

 無料配信期間は2006年7月20日~2006年9月30日ということだそうです。パソコンを買い換えたおかげで、やっとネット配信の動画が見れるようになり、まず真っ先に見始めたのが『未来少年コナン』! (→未来少年コナン - Wikipedia

 …はっきり言って寝不足ですよ。(笑)
 ネットってのは、ほんとにどんどん進化してるんですね。少なくとも無料で見られるだけでも、こんなにいろいろ番組があるなんて。とりあえず、どんなものをチェックしているかは、またそのうちご報告します。

WEBアニメスタイル_COLUMN アニメ様の七転八倒 第69回 宮崎アニメがイケていた頃  
 
 ここにも書かれているけれど、私が直撃された第一次アニメブームの中では、宮崎駿という作家はマイナーな作り手でした。前にも書いたかもしれないけど、ブームに舞い上がっていた当時の私たちに、『未来少年』と言いながら全然SFらしくない、この作品は(メカも変だし)、当初かなりの違和感を持って迎えられました。最初の感想は、「やっぱりNHKはだめだね」だったと思うのですが、それが最後には「さすがはNHKだ!」に変わっていって、でもコナン終了後に始まった『キャプテンフューチャー』を見て、再び「?」に転じたというのも今では懐かしい思い出です。(本当を言えば、キャプテンフューチャーも案外マニアックに楽しんで見ておりましたが、やはりコナンとは格が違いました。)
 とにかく『未来少年コナン』こそは、私にとっては「アニメって…?」と考え込まされる契機となった衝撃の一作でした。

第1話 「のこされ島」
第2話 「旅立ち」
第3話 「はじめての仲間」
第4話 「バラクーダ号」
第5話 「インダストリア」
第6話 「ダイスの反逆」

 この作品などは、ほとんど全部のシーンの展開を覚えているわけなんですが、今見てもわくわくどきどきするし、面白いですよね。特に第1話、第2話あたりは正直に言って絵があまり良くなくて、コナンの顔や体型、ラナちゃんの顔も「これは崩れてるな」と(作画にはうるさくない私でさえ)思うシーンがいくつかありました。当時の私は、週ペースでこのクオリティのアニメを制作していることの異常さをまだ知らないころでしたから、「へぼいアニメだ」と思ったのかもしれないですが、今考えて見ると、制作の進行につれて(普通は中盤以降だれてくるものだと思いますが)、その後こうした崩れが逆にリカバーされていくことの奇跡のほうを思いますね。
 それにしても、とにかくよく動く。「漫画映画」的に強調・デフォルメされたアクションが随所に盛り込まれていて、最初は「うそ~、ありえね~」と感じるわけなんですが、慣れてくるに従って、それが快感になってくる。(この辺は作画監督の大塚康生さんの力が大きいとも聞いたことがあるような気がしますが。)

 とにかくコナンは条件反射的に楽しんでしまうことに抵抗しがたい魅力がある作品なんですが、大人になった今の目で、あえて批評的に観ようと努めてみると、おじいとの別れのシーンは『太陽の王子ホルス』そのまんま過ぎるし、動きのコミカルな面白さも様式化されているというか、『カリオストロの城』や『ナウシカ』にそのまま応用されているものが多く見受けられます。
 ストーリー的にどうかというと、今回はじめてそう思ったのですが、全体の進行がとてもゆっくりしているのですね。めまぐるしい画面の動きで全然そんな印象は持たなかったんですけど、そこで起きている事件は比較的シンプルで、どちらかと言えば“活劇”の背景に過ぎないという位置づけであるかのようにも感じられました。(最近、富野アニメばかりを見ていたから、余計にそう思うのかもしれませんが。)
 子ども用公式サイト絵本風に描かれた各話ストーリーで、けっこう簡潔に要は言い得ているというのは、ある意味なかなか凄いシンプルさであるとは言えないでしょうか。

 「ラナ?それって食えるのか?」(byジムシー)

 そうこう言いながら、とにかく何度観ても声を出して笑えて、爽快な気分にさせてくれる作品というのは、やっぱり凄いと思います。9月いっぱいで全話見なければならないわけですが、当分は睡眠不足が続きそうな予感です。(笑)

機動戦士Vガンダム 第13巻(最終巻) 

[2006/08/27] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

機動戦士Vガンダム 13<最終巻> 機動戦士Vガンダム 13<最終巻>
サンライズ、逢坂浩司 他 (2004/02/25)
バンダイビジュアル

この商品の詳細を見る

第49話 天使の輪の上で
第50話 憎しみが呼ぶ対決
第51話 天使たちの昇天

 ついに最後まで見ました。この作品は、はるかに記憶が薄れたら、後半からもう一度見直してみたいような気がします。特に第12巻はVガンダムでの発動篇とでも言えるような密度がありました。最終巻も引き続きよかったんですが、前半を含めた全編を結ぶための苦しさも感じました。(しかし、この印象が薄れる日が来るんだろうか?)

 以下ネタバレが多数あります。未見の方に言うとすれば、Vガンダムという作品は、ブレンパワードや∀ガンダムを見てから接すると、たぶん印象がぜんぜん違うと思うので、そちらをまず見たほうがいいと思います。それらをある程度咀嚼した上で、「どうしても」と感じたときに、覚悟して見るべきような作品ではないかというのが、私の感想です。

以下、終盤の内容への言及があります。


 第12巻のほうからの話になりますが、「優しい普通の人」「闘争本能」「哀しみと嫌悪」といったキーワードが、エンジェルハイロゥを用いてマリアの仕掛けてくる幻想と闘うウッソの場面で、特に印象に残りました。

昂ぶる心のままにおのれの身を任せるものは、そこへ堕ちよ!狩猟時代の本能が忘れられない、哀しい性が消えないなら、地で血を洗う生き方の中に身を沈めましょう。動物としては悪ではないのですから。(マリア)

 この精神的な戦いは凄かった。ファーストガンダムで言ったら『光る宇宙』のようなものとさえ、私には思われましたよ。「そのものの心をそのものに投げ返し、情に溺れさせるのです」という女王マリアは、本当に怖いと思いました。
 これにウッソがかろうじて打ち勝つことが出来たのは何故だったのでしょう。一瞬、「光の翼の歌」が聞こえ、「私が昔、シャクティに歌ってあげた歌が、聞こえた気がした」とマリアはつぶやきました。マリアはウッソに負けたのではなく、自分自身に負けたのではなかったでしょうか。
 この戦いをどう捉えるかは難しい!時間をかけてゆっくり考えてみたいと思います。

 物語の収束に向かう中にも、そのヒントは散りばめられていると思うのですが、「平和を願う究極の姿は赤子であろうが!」とカガチが叫ぶのは一面の真理であり、大人の邪念と情念によって、誰もが「優しい普通の人」でもありながら、それぞれの迷いが戦いを続けさせます。
 …富野アニメのエッセンスを惜しげもなく集中させたようなモチーフが、このあたりの話数に凝縮して見られますが、ここでのテーマはイデオンを直に連想させます。しかし、この物語ではイデは発動せず、「今こそ子どもたちの慈悲が必要」というマリアが、シャクティと最後に交わした言葉は、「あなたが人類を在るべき姿に導いてください」でした。
 カガチと対峙したウッソは「生きものは親を超えるものです」「親は子を産んで死んでいくものです」と叫びますが、それはうぬぼれだとカガチは言う。けれど「僕らが出来なければ、次の世代が!」と返すウッソ。マーベットの胎内に宿った生命を感じることが、この少年をこれほど強くしているのでしょうか。(ブレンパワードで出てきた“世代を重ねることの意味”(*1)という言葉の答えをここで見出すとは思っていませんでした!)
 「泣いて大人になるなんて、哀しすぎるじゃないですか」という彼は、それでも未来を信じようとしている。それは確かに子どもの特権であるかもしれないですよね。成功したか否かは別として、このVガンダムを“子ども向け”(*2)に描こうとした富野監督の、深層心理をそこに見ようとするのはうがちすぎでしょうか。

 それにしても、この物語は、母性を賛美する反面で、それ以外の女性性と父性を否定しますね。ここまでやったら、作品の出来とは別の次元で、反発は当然あるだろうなとも思います。
 「今後も君の活躍を期待しているよ」とウッソを突き放す父は、私の目から見ても不思議です。特攻するジャンヌ・ダルクの艦橋から、すばしこく姿を消していた彼は、やはり危険な“戦争マニア”なのでしょうね(*3)。それが見えてしまったウッソが「鈍感とか、戦争マニアに育ててくれたほうが、楽でした」と嘆く気持ちはよく分かります。ガンダムという作品を作るということは、戦争マニアの価値観と闘うことなのかもしれないですね。モビルスーツはあくまで“道具”なんだということを繰り返して強調して見せたの(*4)も、一見では戦争マニアなファンへのサービスに見えて、実は違うんだろうなと思いました。

 噂に名高い(?)女戦士の肉弾戦も、前後を踏まえて見れば、思ったほど違和感ありませんでした。(嫌悪感は当然ありますが、それは作者の狙いの中にあることですよね。)カテジナさんは、こういう策を考える人であり、「絶対に勝てる」という読みもかなり正しかったと思うんです。「…オリファーさんがいるんだ。新しい生命の中に」という、あの体験がなかったら、ウッソはあそこで敗れていたんじゃないでしょうか。 

 いかにも、このVガンダムという作品らしいなぁと思うのは、ようやくエンジェル・ハイロゥのキールームにたどり着いて、シャクティを助け出したウッソ。…普通の作品であり、作者であれば、この場面で『大団円』に持ち込む展開をいくらでも書けるというのに、ここで終わらずに、それぞれの人物の結末を描ききらずにはいられないというところが、なんとも独特な部分なのではないかと感じました。
 誰もがシャアの再来を期待するであろうポジションにいたクロノクル・アシャーは、「優しさに包まれた深い悪意」であり、ウッソともども「二人の優しさがお互いを敵に」したに過ぎない。「生きることは厳しいこと」なのだと。…それをエンジェル・ハイロゥのシャクティの視座から言わせるから、対するカテジナさんは「巨人の星」的な劇画表現化までも、してみせてしまう。結局、本当の闘いは、“シャクティ対カテジナ”に象徴されるものであったんでしょうか。

 「祈りでは、人の業を消すことは出来ないのでしょうか?」
 このシャクティの嘆きは、『逆襲のシャア』の結末の否定でもあるような気がしました。とても無残なまでの自己否定。こういうことをやったから鬱になるわけです。

 戦後のカサレリア。シャクティはまた川で洗濯をしています。「洗濯」というモチーフが富野監督は好きですね。いつも何かを洗い流したい思いがそうさせるんでしょうか。
 盲目になったカテジナさんが郷里へ帰ろうと通りがかり、シャクティと言葉を交わします。この場面、シャクティは相手がカテジナさんだと気付かなかったの?と思わせるような描写に一瞬戸惑いますが、「道に迷った旅人」だったと言ったシャクティの目に浮かぶ涙を見て、思わずはっとしました。
 私たちは皆、道に迷った盲目の旅人のようなものかもしれないですね。

 長い感想になってしまいましたが、この物語が「戦い続ける、孤独なまでに一人」(前期エンディングテーマ『WINNERS FOREVER -勝利者よ-』 )で終わるのではなく、「再び君に出会えたなら、その瞳を孤独にさせはしない」(後期エンディングテーマ『もう一度TENDERNESS』)で終わってくれて、本当に嬉しかったです。
 この作品は、全編にわたって千住明の楽曲に救われた面もかなり多くあったように思います。「光の翼の歌」は、本当は、『ひなげしの旅のむこうに』と言うのですね。

旅のゆくえの ゆらめく闇に
希望をきざむ人の切ない思いを
ひなげしの色で紡ぎ合わせ
道にしよう

星の向こうに 未来があると
若者達は夢のつばさを広げて
ひなげしの花を散らしながら
旅立っていく

 いい曲です。作曲は千住明。監督自身の作詞ですね。
続きを読む

なるほど、虫プロ系と東映系ですか! 

[2006/08/15] | アニメ全般な話題 | トラックバック(1) | コメント(1) | TOP ▲

WEBアニメスタイル COLUMN アニメ様の七転八倒 
第67回 虫プロブームとマイナーだった宮崎アニメ


 これ、私みたいにあまり情報通でない、ぬるいアニメ史マニア(笑)には、非常に面白い記事でありましたよ。

 70年代末の第1次アニメブームは、宇宙アニメのブームでもあった。

 『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』『機動戦士ガンダム』・・・なるほど。『サイボーグ009』の映画も見ましたわい。そうです、なんか唐突に宇宙へ飛んでいってました。「スター・ウォーズ」「未知との遭遇」・・・そうですね、SFが市民権を持ったのも、黒船来襲が契機だったかもしれないですね、うん。

スタッフに目をやると、実は、第1次アニメブームは虫プロブームでもあった。日本のアニメ界には幾つかのプロダクションやスタッフの流れがあり、東映動画(現・東映アニメーション)と虫プロダクションが、その2大ルーツなのだ。

 素人くさく、私が「へぇ~、ナルホド!」と感心したのはこっちでした。オフィス・アカデミーやサンライズは虫プロ系、スタジオジブリは東映系という流れになるのですね。富野さんは言うまでもなく虫プロ系で、宮崎さんは東映系、なるほどなるほど!

教養としての〈まんが・アニメ〉 講談社現代新書 教養としての〈まんが・アニメ〉 講談社現代新書
大塚 英志、ササキバラ ゴウ 他 (2001/05)
講談社

この商品の詳細を見る

 最近、こんな本を読み始めてまして、まだ大塚さんの《まんが論》のほうなんですけど、

「僕にとってのまんがというのは表現手段の符牒にしかすぎなくて、実際には僕は画を描いているんじゃなくて、ある特殊な文字で話を書いているんじゃないかという気がする」

・・・という、手塚さんの「まんが記号」論は、虫プロ系に脈々と受け継がれている気がします。対して東映系は手塚さんが捨てた絵心を大切にしているのかもしれないですね。

『宇宙海賊キャプテンハーロック』や劇場版『銀河鉄道999』は東映動画の作品だが、監督は虫プロ出身のりんたろうだった。

 ・・・うーん、味わい深いですね。

 ここはちょっと脱線ですが、「それまで高畑勲のパートナーとしての仕事が多かった宮崎駿が『未来少年コナン』『ルパン三世 カリオストロの城』で、自分の作品を手がけるようになった」というのを読んで、かねがね宮崎アニメには何故原作が必要なのかと疑問だったものに、「もしかしたら高畑さんから自立するために必要だったのかな?」と思ったりしました。
 それはさておき、『コナン』や『カリ城』といったアニメ史に残る傑作が、当時それに見合うだけの評価を得たとは言えない背景を、虫プロ系、東映系と読んでいくと、なんとなく「へぇ~」っと納得が。

勿論、例外はあるが、虫プロ系の作品は華美であり、表現に飛躍がある。先鋭的と言ってもいいだろう。それに対して東映系の作品はオーソドックスで、優等生的。野暮ったい、泥臭いと見られる場合もある。

 「華美」って言い方が馴染まないんですけど、「宇宙のロマン、派手な戦闘、美形キャラ」・・・そういうものを指しているみたいですね。ならば、なるほど。前者は若者向け、後者は子ども向け、ファミリー向きなわけですね。
 『未来少年コナン』に当惑した思い出も実はまったく同感!そうなんですよ、ダサいアニメだと思っていたのに実はスゲー面白いんだもの!そう、言うなれば「マンガ映画」!

 なんか不思議ですよね。偉大なる漫画家、手塚治虫を始祖とする虫プロ系ではなく、どっちかといえば海外のアート系長編アニメーションとかを意識してたっぽい東映系のほうが「マンガ映画」路線なんですから。ものすごく興味深い!!
 
 手塚さんの「記号」論は、リミテッドアニメとの関係とかでも語っておられる方がきっといるんでしょうが、「画を描いているんじゃなくて、ある特殊な文字で話を書いている」というのは、宮崎アニメと対比したときの富野アニメを考える上でも面白い視点ですよね。

 「アニメ様の七転八倒」のほうは、アニメ史をさらになぞっていくようなので、大変興味深く読み続けていきたいと思ってます。「教養としての<まんが・アニメ>のほうも、“教養”と謳うだけあって、私の好きな(笑)ビルドゥングスロマンの話を軸に展開していっていますので、こちらも楽しく読み進めていきたいと思っています。
続きを読む
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。