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絵と声のバランス・・・ 

[2006/05/16] | アニメ全般な話題 | トラックバック(0) | コメント(3) | TOP ▲

 ブログの管理人として、言い訳なのかお詫びなのかを書いておこうと思いますが、『もののけ姫』の話から、声優さんの話題が広がってきているんですけど、残念ながらこれについて何か「こういうことじゃないかな?」と言えるだけのアイデアは、今のところ私には何もないんです。
 個人的な感想として、『王立宇宙軍』のボソボソしゃべりには好感を持てませんでした(『もののけ姫』も同様)。絵の部分での表現とのバランス(あるいは組み合わせ)というのは興味深い問題なんですが、正直、私のような低レベルでは考える材料が乏しくて、とてもとても難しい。(降参!)

 とりあえず・・・かなりバルタザールさんにまとめてもらっているので、管理人の出る幕無し。(汗)
 スカルさんはアニメ的なデフォルメ表現と声の演技のバランスということを言われる。アニメ作品の成り立ちという中では、それは私もナルホドと思います。
 ・・・私は一般論として、「実写フィルムに比べてアニメ絵の情報量は少ない」と考えたので、これを補う意味で、声優はオーバーアクションを要求されるんだろう、ということを書いたつもりでしたが、アニメ的なデフォルメ表現にも同じようなことが言えませんか?(前回の自分の書いた記事がかなり崩れた文章なので、意味が通じてなかったらすみません。)
 観客が満腹を感じるトータル情報量にはある程度の基準ラインがあるとして、例えば
『王立宇宙軍』デフォルメ少、声ボソボソ系、絵は緻密
『もののけ姫』デフォルメ多、声ボソボソ系、絵は並
富野アニメ  デフォルメ少、声オーバーアクション、絵は低調
・・・という解釈(情報量の総和は似たり寄ったり)をすると、スカルさんとは真逆なことを言ってることになります?
 個人的に、画面もぶにゅぶにゅ全開で、声までハイテンションというものを想像してみたら、それは見ていて耐えられないんじゃないかなぁって。

 富野監督のキャスティングの話は、富野さんが「声優」という、かつて日陰の職業だった人たちに光を当てる時代を生きてきたこと、監督自身も日陰ものの「漫画アニメ屋」から注目されるクリエイターへとなってきたこと、などの経緯も複雑に絡んでいるんじゃないかと思ってますが、実際よく分かりません。とにかくすでに名声を確立した人よりは、新しい表現の可能性を常に探していると解釈すれば、とても前向きだということになるのでしょう。

 全般的な流れの話として、絵のほうでの表現のインフレ的なエスカレート(特にグロい表現が目に付きます)と反比例して、声の方での表現はボソッボソッとつぶやくようなのがカッコいいとされる傾向があるように私は思うのですが、富野さんはしばしばその逆を行くような。(大衆はむしろグロが好きとすれば、流れは大衆に迎合する方向なのか?それとも技術の限りを見せ付けてみたいクリエイターの本能なのか?)
 そういういろいろなことについて、今の私には「こういうことなんじゃないだろうか」という、うまい解釈が出てこないので、なんだかとても残念なのです。

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表現のインフレ、慣れ??? 

[2006/05/14] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(3) | TOP ▲

「一番怖いのは妖怪でも幽霊でもなくて、普通の人間だ」


 説得力あるなぁ。(笑)
 そうですね。イデオンは人間の「業」を思い切り描いた作品でしたものね。

出発が演出とアニメーターの差ってあると思う。


 かなりそれは思いますよね。ナウシカで巨神兵を描いた庵野さんでもそうだし。気持ち悪いビジュアル、もう少し言うと心象的なものを描くビジュアル。そうしたものを表現する上で、アニメというものの可能性を一番知っているのがアニメーターだということなのか。

大なり小なり、全てのアニメ作品に当てはまる事なのではないか、と僕は思います。


 まさに言われるとおりなので。整理の難しいところです。
 アニメというのはどうしたって、絵から伝えられるディティールを含めた情報量というものは実写より少なくなる。だから声優さんたちがオーバーアクションなのも、絵だけでは表現しきれない情感を伝えるには、そうせざるを得ないんじゃないかと思うのです。
 ただ、表現というのは情報量だけの問題ではないので、逆に限定された情報量の中でこそ伝わりやすいものがあったり。

 作画をする人の立場からすると、持てる技術の限界に挑戦してみたくなる、というのは分かる。でもアニメの絵が実写の絵が持つ情報量に迫ったとしても、ただそれだけなら私はあまり意味を感じないのですよね。ほんの個人的な好みかもしれませんけど、アニメならではの動き方を見せてもらわないと。(「絵空事」の面白さですよね。)

 もののけ姫の「ぶにゅぶにゅ」気持ち悪い表現は、表現としてすげぇと思うんです。あんなグロい絵ヅラなのに、大衆の支持を受けているんだから。(大衆というのは深層心理の底では、案外グロいものが嫌いではなかったりするのかもしれないとも思う。)

 王立宇宙軍もそうでしたが、もののけ姫も声優ではなく俳優さんが声をあてていて、それは商業的な部分を除いて考えれば、絵の情報量に自信があるから声優さん的なオーバーアクションを必要としないという意思(あるいは判断)を表している面があると思います。しかし「ぶにゅぶにゅ」に命を懸けたのと同じぐらいに、人間の表情やしぐさでそういうことまでが本当に表現できているのだろうか、という「?」は残っています。
 作り手の側の「表現のインフレ」という問題、受け手の側の「表現への慣れ」という問題は表裏ですね。その中で「絵空事」を描いている意味みたいなことが互いにあいまいになってきてしまうと、形式主義の罠の中に入っていってしまうような気がしています。
 すみません。技術的なものが発展することはもちろん凄い事なんです。ただ、人々の生に密着していた「芸能」が、権威化する中で様式化を推し進め、「伝統芸能」という得体の知れないもの、特殊な人たちだけが楽しめる不思議なものになっていってしまうようなこと。
 問題意識はあるんですが、どうも上手くまとまりません。

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