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地球へ・・・ section24 地球の緑の丘(最終話) 

[2007/10/02] | 感想系 | トラックバック(1) | コメント(0) | TOP ▲

 「SD体制は人類の欲望を封じ込めたパンドラの函だ。潰すなら、中身ごと潰せ!」

 キースさぁ、あの全人類宛のメッセージをスウェナに託しておいて、グランドマザーの前ではまだ悩んでみせるのは、彼らしくない逡巡ですよね。
 テレビ版はテレビ版で、原作や劇場版とは独立した作品としてみようと思うんですけど、テレビ版は“分かりやすく”見せようとしてきた気がするわりに、この最終回は、結局どう解釈をしたのか分からない部分がいくつかあったのは、それはそれでちょっと残念でした。
 グランドマザーを倒した後に、謎を明かす“最後の黒幕”役のコンピュータがいなくなって、ネットワークシステム全体が“真の敵”みたいになったのも、何だか時代が変わったんで解釈が違ってきたんだと理解してもかまわないと思います。でも、ミュウ因子の根絶なのか、共存なのかを、キース一人の判断に委ねるグランドマザーのプログラムってのは、どうにも軽々しい。もっと厳粛で、残酷なんですよね、『地球へ・・・』という物語は、本来。

 原作や劇場版では、たぶんほとんどの人は、出来事の真実を知らないままシステムが崩壊して、うやむや大メチャクチャに、次の荒廃した世界に放り出されていたんだと思うんだけど、そこを、“その他大勢”の人たちも自分たちの意思で新たな世界を選び取ったことにしているんですよね。これは大きな変化。なので、全体としては、どうしようもない運命に押し流されているというより、“自分の意思で選び取る”ということが強調されている、というのは分かります。

 「違う!ミュウたちの生き様を目にしたとき、人は自らを省みずにはいられなくなる。ただそれだけだ!」
 キースの脳裏にフラッシュバックするマツカやブルー。彼らも、報われるような作り方にしたかったんですね。うん。意図は分かります。でもね、その代わりに「全てのミュウよ、僕に力を!」みたいなところのタメがなくて盛り上がりを欠くのは、なんだかなぁ。「ソルジャー、命令に背きます。仲間であろうと人間であろうと、地の底からの叫びを聞かぬわけにはいかない!」とか、もっと矛盾に充ちていて、それだけに泣かせどころでもあるんだけどなぁ。

 ジョミーがブルーから託された使命をトオニィに引き継ぎ、それにキースも口ぞえをするとか。キースはセルジュにミュウと協力して地球を守れと命じたりとか。“三世代アニメ”という狙いも分かるし、行動原理も、より理にかなっているんでしょうけどねぇ。システムが崩壊した地球で生じる犠牲の描写もとても小さいし。それが完全にコンピュータの暴挙のせいになっちゃっているっていうのは、原作を知らない人には抵抗は少ないんでしょう。いや、原作と違うというのを批判の理由にはしませんけど。

 「パンドラの函をあけてしまった。よかったんだろうか?」
 「わからない。でも、後悔できるのは人間だけだ。機械は後悔しない。」
 「全力で生きたものにも、後悔はない。」

 「函の最後には、希望が残ったんだ。」

 「ありがとう、ジョミー。あなたのおかげで、何故いのちがつむがれていくのか、分かったよ。そして、何が大切なことなのかも。」

 “人ってすばらしい”方向だけをとにかく強調してみせて。人々には自ら苦難の道を選び取らせ、主要なキャラクターたちには、賛否の判断に戸惑うような選択はさせず。
 つまりは、・・・そういう“分かりやすさ”なのかぁー。(ふー・・・。)このテレビ版だけを見ていたら、これでけっこう感動できたのかなぁ。どうなのかなぁ。
 あ、でもラストショットで、あの“メギド”がああいう使い方をされたのは、思わずにっこりしちゃいました。

テレビアニメ版『地球へ・・・』ラストショット

 テレビ版が終わるまではと我慢してきましたが、ものすごく読みたくなったので、今度は原作コミックを読み直してみようと思っています。ずいぶん忘れちゃっているのも分かりましたしね。このテレビ版で新たに『地球へ・・・』のファンになった人には、ぜひ原作コミックも読んでみてください、と強く強くオススメします。原作コミックは、読者が“考えさせられる”内容がもっと濃厚にありますので、もう少し口当たりはきついと思います。そういう意味で、“テレビアニメ版は入門編”っぽかったですが。(笑)
 どうも原作世代なもので、やめよう、やめようと思いながら、原作と比較して文句のような感想ばかり書いてしまいました。危惧したとおり、ラストも大幅に改編されていて、とても説明的になってしまっていましたが、でも、やっぱり大筋のところでこれだけ厚みのあるドラマっていうのは、価値のある作品だったと思うし、ずいぶん楽しませてももらいました。考えてみれば、この時代に、『地球へ・・・』をリメイクしてくれたっていうこと。それだけでも、やはりとても嬉しいことだったと思います。それに、時代の変化ということも興味深い点でした。うん。違う意味で、いろいろ考えさせられる作品だった、と私の個人的な感想は総括できるような気がしました。はい。(笑)

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地球へ… section23 地球(ちきゅう)へ… 

[2007/09/25] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 トォニイのシャワーシーンからはじまりましたけど。私は、彼の心情の描写に関しては、本当に丁寧だな、という理解で。
 今回は、全体に何となく、話の流れが説明的に感じられました。要は、“丁寧に分かりやすく”しているんだっちゅうことは了解しますが・・・。

 キースはここでグランドマザーにあの“秘密”を聞かされた?はて、この段階でそういう流れだったっけ?
 ただ、愚かな人間には“SD体制”が不可欠だという彼の信念は確認。
 「だが、その強制環境の中でさえ、多くのものが今だ、自らを律することができずにいる」
 「今、強制のタガが外れれば、人類は宇宙規模にまで広がった、悪性のガン細胞と化す」
 このへんは、原作の描かれた時代と、現代の、“管理社会”についての捉え方の変化でもあるんでしょうか、と少し納得。

 「それでも飛ぼう、テラへ!」
 一方のジョミー、かっこつけたわりに、相変わらず無策で罠の只中に飛び出て行き過ぎでしょ。そのへん、あまりに度重なって頭が悪いと、やってることがカルト宗教がかってさえ見えてしまいます。

 憧れ続けてきたテラが“死の星”のままだったという改変も、コンピュータに全てを委ねれば再生は可能だという、科学万能信仰の残滓が未だ強かった時代と、現代の差でもあり。また、憧れや未来への希望とは、そうして裏切られるものかもしれない、という時代認識の変容を映しているのかもしれないとも思ってみたり。

 最終兵器メギドの発射を寸止めにして、ミュウの生殺与奪の権利をいったんキースに握らせておいて、交渉のテーブルへ。(この描写の意味は何だろう?)
 ・・・に、しても、この緊迫したタイミングで「会談は明朝」って不自然な流れ。で、今度はフィシスに自らの生殺与奪の権利を与えるキース?
 「私たちは組織のために生きているのではありません。人には必ず死が訪れます。その時に、次の世代に残せるものは、自らの知識と、想いと、僅かな希望。そして、・・・残されたものは先人の想いを指標として、その先を目指すのです」
 いちおう「ブルー→ジョミー→トォニイ」の三世代アニメであるがゆえに、この世代論を聞きたかったがための物語の流れ・・・?しかし、これをあの(神秘的であるはずの!)フィシスが銃を握り締めながら饒舌に語るのは、何かあまりしっくりとは来ない役回りでしたが。ただ、「忘れないで、あの人の最期を」と、ソルジャー・ブルーの想いをキースにインプットして終わるって言うのは、これはラストへの伏線(先回りした追加説明のようなもの)なのかな。

 ミュウたちがテラに憧れてやまないのも“マザー”コンピュータが植え付けた意識だとジョミーが洞察したのを受けて、キースはジョミーをグランドマザーに引き合わせることを決断。
 「テラのためだか人間のためだか知らないが、あんたがこれ以上くだらないことに命を賭けるのは我慢できない!」ってトォニイの本音セリフも、何気ないけどいいですね。
 「マザーに愛でられし者」が「昨日まで」っていうのも、どんな伏線だっけ?

 「あれでテラが再生できると本当に信じているのか?」
 このテレビアニメ版のジョミーは人間臭くおしゃべりだからなぁ(笑)。でも「ミュウにソルジャーが必要なように、人類にも導くためのシステムが必要なのだ」というキースにも一理あるのでした。(というか、テラの側に理があるんじゃないか、と肩入れして感じてる視聴者が実は多いと思うんだけど、そこの表現バランスをうまく保てていない気配がありませんか、今回のテレビ版では。)

 ここでトォニイの暗殺未遂事件の詫びを入れるのは、“ジョミーってば二枚舌なんじゃないの?”というツッコミもあったんですが、どうも彼は、マツカの存在のことなど含めて詳細な顛末をトォニイから聞いていたっぽいです。(いつの間に?)
 なればこそ、相手を知ってこその交渉申し入れ、ということで、いちおう話の筋は外してないと私は理解しました。(分かりにくいですけどね。)

 しかしグランドマザーのデザイン、これ・・・ですか・・・。

グランドマザー

 え、で、ところで最終局面を目の前にしてキース、何をスウェナに送ったって?何で次回予告にスウェナの娘が出てくる?
 ・・・いよいよ次で最終回ですか。あんまり説明的にやりすぎないで欲しいですけどね・・・。

地球へ… section22 暮れる命 

[2007/09/18] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 今までいっぱい文句を書いてきたし、今回も不満なところは少なからずあるけど、マツカの最期を描いた芝居はよかったと思います。何度も見直しましたけど、見直すたびに泣けました。

マツカ

 ≪何でもかんでも説得力を持たせればいいってものじゃない≫と私は感じる人です。ともすれば矛盾に充ちた行動をやってしまうのが、人間ってものだと思っているんでね。でも、ひとつの出来事も見る視点を変えれば、その行動の矛盾は覆らないとしても、何かそうしてしまうためのどうしようもない理由は存在するものなのでしょう。
 今回のテレビ版で、そのあたりの描写が手厚くフォローされているな、と感じてきたのはトォニィでした。ジョミーやキースはしばしば、そのワリを食ってる面があるかもしれません。
 何しろトォニィは、かなり以前から“キース死ね死ね団団長”(takkunさん命名 笑)なので、うらみ重なる敵将キース・アニアンを暗殺しようというのに、別にこれ以上の深い理由付けはいらないとも思えるんだけど、“潜在ミュウの収容所を木星に落すゾ”みたいな姑息な揺さぶりをキースが仕掛けてくることで、トォニィによる暗殺(未遂)という行為の卑劣さが薄れて見えるという効果はありますよね。キース自身が言っていたように、これは“戦争”なんだから、そんな正当化は格別必要ではないはずなんだけど、ネットでの反応を見ていると、トォニィの暗殺行為を黙認したってだけで、ジョミーを批判する声も散見するってぐらいで、これって世の流れは本当に“お優しい”んですかねぇ?

 で、ナスカでの犠牲も原作に比べれば、ごく限定的だったけど、結局コルヴィッツも救われるという。「こんなこともあろうかと・・・」って、それはアナタ真田さんの専売特許!(「地球へ・・・」スタッフは私と同じヤマト世代なんですよねぇ。 笑)・・・それにしたって、いくらなんでも「キャプテン・ゼル、ただいま参上!」はないでしょ。この間は「撃ちてしやまむ!」とか言ってたし、このおじいさん。(ぉぃぉぃ)

 とまあ、余談はさておきマツカの死。危惧していたほどには惨さを抑えることもなく。トォニィの受けた衝撃の大きさも、ぬぐっても払えないマツカの返り血から推し量られ。
 遠ざかりゆくキースのイメージの中でサムやシロエの幻影が見えたのを、“死人があの世へ手を引きに来た”と解釈していた人がいましたけど、あれは違うだろうなぁ。あそこに出てきたのは、心からキースが愛した人々なんだよ、きっと。

「駄目・・・。」

「・・・キース、つかまえましたよ。僕が、あなたを死なせない。」

 即死したはずのマツカの手が、いつしかキースの手に重なっているんですよね。

「哀しんでくれた、・・・キース・・・。」

 この一筋の涙で、感動せんやつがいるのか?(いるんだよなぁ・・・)
 見開かれたままのマツカのまぶたを静かに覆って、クールな指揮官ぶりを取り戻すキース。でも、彼の真情はセルジュには伝わったんだろうな。マツカの無残な死骸の始末を「いい、自分がやる」って。
 このテレビアニメはじまって以来の、いい芝居を見せてもらいました。

 残りあと2話ですか・・・。多少破綻があってもいいから、肝心のところさえ、きっちりいい芝居を作ってもらったら、私は感動できるらしいです。ラストはどうなんだろう?期待と不安が相半ば!

地球へ・・・ Section21 星屑の記憶 

[2007/09/13] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 このテレビアニメ版がはじまると聞いたとき、昔の劇場版のこととかを思い返して、今度はどの部分を分厚く描き直すんだろうかと考えました。そして、ミュウと地球の艦隊決戦の場面は、相当丁寧に、重厚に描きなおされるんではないかと期待したものでした。
 ・・・うーん?(しかし、期待通りに展開しないからといって、それで不満を言うべきではないということは分かってはいるのです。)

 テラズナンバーのコンピュータさえ破壊すれば、それでSD体制は破壊したことになるっていう考え方は面白いです。でも、敵艦隊が待ち構えている宙域へ、闇雲に正面から突っ込んでいくっていうのは、どうなんだろう、ジョミー君・・・。一方、迎え撃つ側のキースのほうも、出し惜しみなしに切り札(白兵戦用の突撃艦と、対ミュウ戦用特殊装備の戦闘機隊)を投入。ただねぇ、戦術的にもドラマ的にも、もう少しタメがあって“ここぞ”という場面で投入、でも良かったような気もします。結局切り札以外は、なんら有効打にはならなかったわけで。他の艦の攻撃は皆、捨て駒だというのなら、そういう描写のほうが効果的だったと思うんですけど、今次決戦でのキースは、通常艦の攻撃も多少は当てにしていたっぽくて、そこはどうも手ぬるいですね。というわけで、結局は成り行き任せの乱戦、消耗戦だったのでした。

 キャラクターまわりの描写で言うと、前からそんな気がしているけど、トォニィの心情を巡る表現が手厚くて、そこは今作の誉めてもいいところだと思います。一方、どうも今のところ誉められない気がするのはスウェナと、その娘レティシアあたりで、何がやりたいのか、あまり効果が挙がっていないような。(いちジャーナリスト如きが、これから決戦という戦場にいる国家主席に向かって、いきなりプライベート通信なんぞできるのかいな。)
 しかし、主人公たるジョミーはね、・・・。とにかくブルーの遺志を、自分の決心の言い訳にし過ぎで寂しい限りです。トォニィがフォローするセリフのほうが、ジョミーの真情よりも、むしろ説得力があるように聞こえてしまうのは、いかがなものか。

 最終決戦の話に戻ると、いちいち一隻ずつの艦艇の被害状況を逐一キースに報告している場面なんかは、緊迫感があるようで、全人類圏の総力戦のはずなのに、以外に艦隊規模は大きくないんだろうか、と思ったりもしました。
 でも、アルテラの死にブチ切れたトォニィが“ハイパー化”して、“イデオンソード”ぶん回し状態になったのは、ちょっと萌えました(笑)。そうなんですよね、この局面、『イデオン』で言ったらバッフクランの対ソロシップ最終戦に近い。≪もっとガンガン、犠牲を惜しまぬ肉薄攻撃をして、血で血を洗う白兵戦に持ち込めよ、キース!≫と思ってしまう私は、黒モードの“トミノスキー”なのでした。(いや、いざとなったら白兵戦ってのは、『ヤマト』世代のサガかもしれないです。分かるかな~っ 笑)

 で、ドバ総司令に比べると思い切り手ぬるいキース・アニアンは、姑息な人質作戦?というところで、次回はtakkunさん命名「キース死ね死ね団団長」(笑)のトォニィが、その本領を発揮するエピソードがもう来るのね。

 とにかく今回のテレビアニメは“優しい”ですからね。“土6”だからって、もっと目を背けたくなるような(血なまぐさい)描写、やってやれないことはないんでしょう?

お八重さん …いろんな意味で、来週に期待します。(笑)

地球へ… section20 決戦前夜 

[2007/08/28] | 感想系 | トラックバック(1) | コメント(2) | TOP ▲

 ナスカから地球での最終決戦までって、原作ではもっと長大な年月がかかる描写だったんだけど、テレビアニメ版は一気に飛ばすつもりのようですね。オッサンになったキースを描きたくないんだろうか?私はあの渋いキースが好きだったんだけども。(…と、また原作との違いに言及してしまうのであった。 orz)

 どうだったっけかなぁ、もしかしたら載ってたっけなぁとWikipediaを久しぶりに見てみたら、何、この記述の増殖ぶりは?ネタバレありはWikipediaにはありがちだけど、いちおう同意の上で「開く」ようになっているとはいえ、このネタバレ全開ぶりは許容範囲なのかしら?(何となく、記憶の中の印象と若干ずれがあったりするんだけど、もしかして私の記憶にあるのは単行本化される前のものなのかな?)

 何せ、Wikipediaを信じるなら地球での最終決戦はキース45歳だったはずなんだけど、テレビアニメ版の(MBS公式)年表ではナスカ殲滅戦はキース30歳だとか。そういえば今作ではナスカでの戦闘を「最終決戦」って謳いまくってたけど、おかげでその後がちょっと気が抜けちゃった印象があるんで、セールストークも程々にしたほうがいいですね。

 しかしWikipediaでも「原作との相違点」を書き上げてますねぇ。スウェナもそうなんだけど、今回描かれたキースの出世を巡る暗闘なんかでも、SD体制の描写はかなりユルユル。機械的にビシッと揺るぎない完全な管理社会だからこそ、「SD体制の護持なくして、人類の存在はあり得ない」というキースの演説も意味があると思うんですけどね。やけに人間臭いグランドマザーっていうのは、ほんとに根幹に関わる部分でどうなんだろう?

ジョナ・マッカ

 まあ今作は、(善意に解釈して)“キャラクター寄り”っていうことで。今回はマッカちゃんの心理描写とか、わりといい味だったかなと思います。(『マトリックス』みたいなESPの描写はあまり感心しませんでしたが。 笑)

 あと、何だか規制が甘いのはミュウの側も同様で、戦乱のさなかでアタラクシアからノアへ難民が?それもスウェナの娘を話の渦中に持ってくるための方便なんでしょうけど。しかし「ジョミーのママ」(=「レティシアのママ」)ってマリアって名前あったんじゃないですか。エンディングのクレジットは相変わらず「レティシアのママ」ですけどねぇ。そのへん、あまり当初からの構想がしっかりしていないのかなぁという疑惑がチラリと。

 キースの作戦も、首都星ノアで決戦と言ってたのが、テラのある太陽系でにすりかわってる意味は説明がないなぁ。

マードック大佐

 嫌味な先輩のマードック大佐もしつこく出てくるのねー。この先、彼は物語の中で何をやってくれるんだろうか。(スウェナもそうだけど、この未来世界でメガネってのは一種のファッションなのかなぁ。)

 今回の最後のヒキは、レティシアとジョミーのママのピンチってところで。漠然と“ミュウ”というものを考えていると気持ちの悪い異分子なんだけど、いざ身内がミュウだと言われると、手のひらを返したように、「たとえこの子がミュウだったとしても、それが何だって言うの」になっちゃうって感じですかね。レティシアっていうか、ジョミーのママをわざわざここまで(やや無理してまで)引っぱってきたんだから、この続きはどんな話を考えているんだろうか。

 原作も終盤はいくつかのヴァージョンがあるようだし、劇場版はまた違ったし。だいたい劇場版も公開当時はかなり評判悪かったし。ずいぶん群像劇の要素を強くした今作が、最後、パズルのピースがピッタリとハマるように納まってくれればいいんだけど、と。かなり不安ですが、まだ決して期待は捨ててはいません。(それはそれとして、時代を隔ててリメイクされたこの作品が、今回はどうしてこうなっているんだろうかという点は、“時代”を考える上で、気になっているところではあるんですけどね。)

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