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『千と千尋』の隠し味? 

[2006/06/02] | ネット巡遊記 | トラックバック(1) | コメント(3) | TOP ▲

 今日はネットをうろついていて、ちょっと興味を引かれた話を。

ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記
「千と千尋」はなぜ「湯女」なのか

宮崎駿の『千と千尋の神隠し』に関しては柳下毅一郎の対談本『映画欠席裁判』その他で書いてきたとおり、娼館を舞台にした物語である。
しかし、そう指摘されると怒る人が多いんだ、これがまた。


 宮崎さんの作品には全然詳しくないんで、素直に「へぇー」と思いました。言われれば、ナルホドっていう気がします。

「今の世界として描くには何がいちばんふさわしいかと言えば、それは風俗産業だと思うんですよ。日本はすべて風俗産業みたいな社会になってるじゃないですか」
 以下、えんえんと日本の性風俗について語るのだが、要約すると、『千と千尋』は、現代の少女をとりまく現実をアニメで象徴させようとしたので、性風俗産業の話になった、と監督は言っている。


 ふむふむ。「少女が娼婦に身を落として、自分や親の罪を贖うという物語」を象徴的に描いたわけですか。言われると納得なんですけど、全然気が付いてなかった自分がここにいますですね。そこがなんとも複雑です。
 「人は、たとえ監督本人が作品のテーマを説明しても、それが自分の考えていたものと違っていれば、受け入れないものなのだ。」というのは、富野さんの話で慣れていますけど、それでも「国民的大ヒット」になるのだという。考えてみましたら不思議な現象なのですね。

性も含めて、陰影なく何でも等価に商品へと還元してしまう(そのことに対する倫理的歯止めの根拠を失った)現代において、自分を売りながら生きる少女に向かって、「正当な対価以上のものを受け取ると、身の丈を見失って欲望に食われてしまうよ」「刹那的な欲求に流されるだけで、自分の来歴を見失ってしまうと、自分を失ってしまうよ」といった、見る人が見ればモロ分かりな宮崎さんのメッセージ、ほとんどのお客さんには届いてないのが現実だと思います


 上記はコメント欄に書かれているのですが、うまくまとまっているなぁと感心しました。しかし私もそういうふうにメッセージを読めていませんでしたから、「見る人」の数に入っていないんですねー。(笑)
 ご存知のとおり、私は『イデオン』以来の富野アニメ大好きっ子ですが、『未来少年コナン』もこよなく愛していたので、別に宮崎さんは敵視してないし、むしろそれほど積極的ではなくとも注目して見続けているつもりなので、『千と千尋』も相応に一生懸命見ていたつもりだったんですけど。

 「人は証拠や論理よりも、自分の信じたいことだけ信じる」という話はよく分かりました。言われるとおりだと思います。
 でも私が宮崎さんのテーマに気づけなかったってのは、「性風俗と国民的アニメを結びつけるなんて!」というのではなかったと思うし、そうすると単に見る目がないってことなのかな。
 だけど、言いたいことも伝わらないんじゃ世間から支持されてたって駄目なんじゃないんだろうかとも、つい思ってしまったり。(と言うのか、作品としては駄目じゃないかもしれないんだけど、世間の支持には意味はないのかと思ったり。)

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そんな表現 あんな表現 

[2006/05/13] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(3) | TOP ▲

 『もののけ姫』をテレビで放映してましたね。改めて見て・・・けっこうグロいよなぁと。(笑)
 これが非常に多くの人々の支持を受けたというのが、(『千と千尋』でもそうなんですけど、)「人外のモノ」の気持ち悪いのには、意外と世の中は抵抗感がないというのか。そんなことの不思議さを思いながら拝見いたしました。・・・なんだか拝見いたしました、という感じです。
 あまりそういうことは、あえて言うようなことではないのかもしれないんですけど、それなりに「アニメならでは」の表現なんだろうと思います。これがもしSFXで撮られていたら・・・と想像してみると、やっぱり気持ち悪くって、こんなにも大方の支持を得ることは難しかっただろう、という気がしますがどうでしょうか。そうしてみると、アニメであることで、「絵空事」だという安心感を持ちながら見ているということになるのか。
 宮崎さんの表現としては(古い話で恐縮ですが)『未来少年コナン』の超人的な足の指の力(笑)とか、ああいうのを見てたときに、はじめは馬鹿にしながら見ていたのだけど、やがてぐいぐいと引き込まれていって、・・・ああ、そうか。アニメならではの表現というのはこういうのもあるんだよな、と再認識させられたようなことが、いわゆるアニメブーム初期の出来事の実体験として、私の世代などには強烈にインプットされているのではないかと自覚しております。(今の若い人は見たこと無い人も多いかもしれませんが、あれは本当に面白い作品ですよ。時代を超えて楽しめると思います。・・・劇場版は最低でしたからテレビ版を見なきゃ駄目ですけど、未見の人は是非一度見てみては如何でしょうか。)
 ・・・そういうのの裏返しの話として、もし『ブレンパワード』が実写特撮だったらどうだったろう、なんて(とんでもない)夢想をしてみたりするのですが。(笑)

 「…そう、ちょい右
 うわぁ嬉しいなあ!「…、いいシーンだった。いい夢だったなあ。夢って、さめちゃうんだな。」という気持ちが、私にはとてもとても強く共感できます。これって世代なんですかねぇ。(さらば、少年の日よ?)←違
 生きてると現実と向き合わなきゃならなくて、大人になんかなりたくなかった・・・とか、そろそろ言える年でもなくなってきましたが。(汗)
 気が付けば『機動戦士ガンダム』を作った頃の富野さんの年代を、私たちの世代はそろそろと超え、その先にさしかかりつつある、などということも頭の中に浮かんできます。

 「アンチ」じゃなくて「仮想敵」という感じ
 これも半分はなるほどで、でもさらに厳密に言うと、富野さんがよく言う言葉で言えば「カウンター」というか。対抗心ももちろんあるんだろうけど、それだけじゃなくて時代に対して打ち出したい、打ち出さなきゃならない、というような何か。自己言及、自己完結はあまり上手じゃないんだけど、その時代に対して愚直なまでに発したい思いの真剣さ、誠実さというのは、ただの笑い話にはしてしまいたくないものがあるのです。(これって信者?)

 『エヴァンゲリオン』も、たまに素になって見てしまうと「おえーっ、気持ち悪ー・・・」ってところがあるんですけど、宮崎アニメと同様で、首尾一貫してえげつないテンションなので、意外と大方は違和感を持たないのですよね。
 富野さんは「人外のモノ」よりも人間自体の描き方(絵的ではない部分の話ですが)がえげつないのか?(笑)
 それはそれとして、『キングゲイナー』の敵(オーバーマン)の造形なんていうのは、本当にわざわざビジュアルを整えるのを回避してたのかな、と思うと不思議に納得できたり。(笑)
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