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正月休みは、あまり休まりません? 

[2008/01/03] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(5) | TOP ▲

 昨夜遅く帰宅しました。今日は早々に用も済ませて、明日からの仕事に備えて一休みです。正月休みは本当にあわただしくて、忙しいですね。毎年言ってるような気がしますが、日本人はこれだけ正月を大切にする民族なんだから、もうちょっと正月休みは長くていいですよね。なぜ、そういう公約を掲げる政党がないのか。(笑)
 とはいえ、もはやファストフードに限らず、サービス業関係は軒並み逆方向というか、「正月休み?そんなの関係ねぇ」的な流れが強まってきちゃってますから、実現不能ですかねぇ。

 実家へ帰ってもすることもなく、なんだかんだと呑みっぱなしの正月でした。考えてみれば、こんなに呑み続けることも一年を通じてなく。ほとんど耐久レース状態。(笑)
 両親ももう、70歳を超えましたから、「あとどれだけこうしてお正月できるんだろうか」という思いもあって、日程的にも財政的にも苦しい中を、いちおう帰省するんですが。久しぶりに会ったからとて、別に話すことがあるわけではなく。(苦笑)
 まあ顔を見せればいいんだと納得をして、あとは潤滑油代わりにただただ酒を呑む。・・・たしかに正月でもなかったら、こうやって帰省もしないわけだから、やっぱり正月の威力ってのは偉大なもんです。
 が、ともかくあわただしいとんぼ返りと(少々)暴飲暴食のおかげで、休みと言いながら、ちっとも体は休まっていない気のする正月休みなのでした。

 今年はあまり長々とした記事を書かない、というのを、ブログの抱負にしたいと思っております。人さまのブログにお邪魔いたしましても、長ーい文章というのはやっぱり読むのが大変。でも、私の場合なんかだと、長文を書くほうが楽なんですね。書きながら考えてる人なんで。ただ、人さまに読んでいただきたいことほど、よく考えて、簡潔にまとめたほうがいいのは絶対に間違いのないことで。
 開き直りとしては、自分が書いていて楽しいのが絶対条件なので、無理はしませんけど、努力目標というのはあったほうがいいと思うのです。あと、アニメの本数も少し減らす!減らしたい!減らせればいいかな?ま、なるべくそうしましょう。(笑)

 今も働いていらっしゃる皆さんには申し訳ないんですけど、正月の何がすごいって、ほぼ日本中同時に、そして半強制的に「仕事ストップ!」ってなっちゃうのは他に類を見ないですよね。たまっている仕事とかどれだけあっても、誰かが働いていると、どうもこっちも落ち着いて休めないから、「休め!」っていう感じ。これも一種の「空気読め」ですかねぇ?
 そうすると、正月も休まないサービス業っていうのは、「あえて空気読まない」なのか、空気が変わってきてるってことなのか。こうやって実家から帰ってきてみると、やっぱりファストフードやらコンビニやらにはお世話にならざるを得ないので、働いていらっしゃる皆さんには感謝しなくちゃなあと思いつつ。
 体はあんまり休まっていなくても、気分の上では仕事がいったん全部リセットかかるっていうのは大きい気がします。(たまっている中身を思い出し始めると鬱になりますが。 ・・・笑)
 別に「新年」って言ったって、私が生存している空間そのものは何も新しくはなってはいないんですけど、いちおう何でも一度、手を止めて、ここから再スタートをするんだぞ、って暗示は、それはやはり何だか「めでたい」!

 帰りの車中でハンナ・アレントの『人間の条件』 (ちくま学芸文庫)をようやく(ようやくにも、ようやくにも!)読み終えて、訳者のあとがきに「本書は難解だといわれ」ってさらっと書いてあって、思わず安心したんですが(笑)、“公共性”みたいなことを考えるきっかけとしては、本当に素晴らしい本でした。全然、読解力が追いつきませんが、折に触れて何度でも読み返したいと思います。
 何が難しいかといって、彼女は現代社会の危機について、その根源にさかのぼって緻密に考察を加えているんですけど、“今日の社会がどういう過程を経てこうなったのか”は書くけれど、“だからこうすべきだ!”とは言わないんですね。それはたぶん、原理主義的にそれをやってしまうと、たぶん一気に“全体主義”みたいにもなりかねないということを、アレント自身がいやになるぐらいよく知っているからなのだと思うのです。

 何でも簡潔に結論があったほうが、読むほうからすると楽なんですが、誠実に考えようとするほど、いい加減に「こうすべきだ!」とは断言できなくなります。私にとっての富野アニメなんかもそういうようなものなんですが。
 で、正月です。(笑)
 大衆消費社会のあくなき欲望は、サービス業の絶えざる営業を求めてやまず、市場原理に委ねていれば、やがて正月休みなどは有名無実化するのかもしれません。もちろん、警察や消防や医療現場など、休みたくても休めない職種もあるでしょう。だけど、それ以外では・・・本当にこのままでいいんですかねぇ?
 きっと正月も休まず働いている人たちの多くは正社員ではなかったりして、やがて“のんびり正月休みなんて言ってるやつらは、自分たちだけエリート気取りか!”みたいな殺伐とした「空気」が芽生えてきてしまうんじゃないかと、恐ろしくなったりもします。
 少なくとも、せめてうちの両親が健在な間ぐらいは、“お正月ぐらいのんびり休もう”(・・・実際にはあまり休めてないけど)という「空気」が維持されて欲しいなぁと私は願っているのでありました。

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この国はどうなっていくんでしょうかね。 

[2007/07/31] | 雑記 | トラックバック(1) | コメント(3) | TOP ▲

 これはやられた!って感じです。

「今の若い人の気持ちを自分たちが若い頃の経験で推し量ってはいけない」

 自分が怒られたような気がしちゃいました。essaさんが「今の若者には『未来』が無いんだ」っていうのは、私たちの世代にはかろうじてあった気がする“未来への希望”が、それ以後の世代の人たちにはすっかり失われてしまったってことなのかなぁ。(ちなみに私はessaさんのおっしゃる長期院の選挙権はもう無くなっちゃいました。そうしてみると、けっこうショック!)
 そんなあたりのことはもう、自明のこととして、次の話をしておられる気がします。そうなのかー。“今の若者”も理解していなかったし、自分がすっかりと年寄りの仲間入りしてることも、あまり深く自覚していなかった!

若者を喰い物にし続ける社会 (新書y (175)) 若者を喰い物にし続ける社会 (新書y (175))
立木 信 (2007/06)
洋泉社
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 ・・・また読まなきゃいけない本が増えてしまった。

404 Blog Not Found:書評 - 若者を食い物にし続ける社会

 先の選挙については、とにかく結果云々以前に“何で憲法より年金なんだ?”というあたりが私にはよく分からなくて。そういう話なのかどうか私には読解できていないけれど、まだ選挙権のない子どもたちのことを考えた大人は(皆無ではないだろうが、圧倒的に)少なかったのではないかということは、つくづく思っているところでした。
 で、結果を見ても、私の感覚では少なくとも、今度の選挙ばかりは、これまでにも稀なぐらいのすごい投票率の高さでなければおかしかったはずでした。つまり私の感覚は、世の中の主流からは猛烈にずれている!(笑)

 この本、読んでみないと納得いくかどうか分からないんですけど、とりあえず大人が若者を“喰い物にし続け”てきたのかどうかについては、私には疑問です。たとえば近年の非正規労働者の増大は、若者を踏みつけにし始めているとは思います。市場原理で行くと、弱いものが踏みつけにされるのは、仕方ないんですよね。そしてそれをカバーしようという公共性の発想も機能しないのであれば、弱いものは団結して強くなるしかない。
 だけど、「われわれ」と「ぼく」と「ニュータイプ」の話じゃないけど、そういう感覚は失われて久しい。よくあるちっぽけなナショナリズムで、擬似的に「われわれ」感覚を煽るよりも、だから“若者よ、喰い物にされていていいのか”と煽るほうが、今日的にも適切なのかもしれないとは思います。でもね。

頭が悪いとか感受性が欠けているというより、若者の絶望感を語るその言葉だけはどうしても「飲み込めない」という感じです。

 そう。たぶん今、境界層あたりにいる私から見えていることで言うと、私にはどうしようもない無力感はあるけど、それはまだ絶望感ではないです。それがもう少し年代が下がると、絶望感が出発点になってしまうのかなぁ。でも、私から見える範囲にいる若い人たちには、驚くほど優秀な方が多い気がしてるんですけどねぇ。

 選挙の結果を見ていると、少なくとも安倍総理に政権を担当する能力はない、ということぐらいは、誰が見てもハッキリと分かることのようです。もっとハッキリしたことは、そんな安倍氏が総理の座に居座るというのは、自民党には他に人がいないということで、つまり自民党そのものにも政権を担当する能力はない、ということなのでしょう。どうも今の政治はよく分からないですけどね。

 “公共心”ということを教えなくてはならないということを、政治家の皆さんは言っておられるようです。その認識は正しいと思うんですが、彼らが考えているやり方はおかしいような気がしています。既成の価値観をそのまま教え込もうというのが間違いなんで、“公共”ということを自分の頭で考えることの大事さを教えなくちゃならないんじゃないかと。

 今度の選挙での自民党の負けっぷり、民主党の勝ちっぷりを見ていると、かえって不安になるところがあります。安倍総理というのは隣国との敵愾心を煽って人気取りをした政治家でしたが、彼がもっとカリスマを備えた有能な人間だったら、ヒットラーにでもなれたんじゃないかと。そのぐらい、今のこの国の民意なんてものは、どうにもこうにもいい加減なもののような気がしてしまいます。
 が、そこで絶望してしまうのではなく。“誰かが考えてくれるさ”というのが全然あてにならないということを、真剣に考え直さないと、“マジやばい”という現実は、もう少し真剣に直視しなければならないんじゃないのかなぁ。
 明治期の大変革をぐいぐい引っぱったのは、若者たちだったんですよね。私は“高齢者”のほうに線引きされるようになってしまいましたけど(笑)、自分の無力さもつくづく実感していますけど、でもまだまだ絶望はしていませんよ。うん。そのためにも、もっと“今の若い人の気持ち”を理解できるように努力しなきゃなりませんね。

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今日の危機は何か―『∀ガンダム』の場合。 

[2007/05/14] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

アニメは麻薬か?―『機動戦士ガンダム』の場合。

“民衆”の対義語―『逆襲のシャア』の場合。

 この続きです。h-nishinomaruさんが示された《富野監督が為政者に向けた批判》の内容への疑義について考えてみました。

■今日の危機は何か

アンカテ(Uncategorizable Blog) - 日本の公共性はどこに? 聖俗と公私のよじれ

 視点を変えて“公共性”ということで、例えばessaさんのこのへんの記事を読ませていただいたんですけど、ここでの本旨である2ちゃんねる論は(失礼ながら)さておかせてもらって、「公―ポリティクス(政治)」、「私―エコノミー(経済)」という話に興味を惹かれました。エコノミーには、選択の余地がない一意の最適解があるが、ポリティクスでは多様性が許容され、利害を離れて全体の利益の為にどうしたらいいか、いろんな方向から一生懸命考える。――現在の日本はエコノミーによるポリティクスの汚染が深刻なような気がしました。
 ここで、「暇人が何の利害も無い所で、全体の為のことを議論すること」の重要性の話から、「平安貴族」という言葉が出てきたところで私はハッとしたんですけど。

アキバで歩いているオタクたちの姿は公家に似ているよ(笑)。きっと10年後、20年後は、オタクが公家的な階層を形成するかもしれない。自分は見たくないけどね(笑)。

・・・っていうような富野監督の不思議な物言いは、もしかしたらそういうことが言いたかったのかな、と。「オタク的想像力を作ったのって高橋留美子と富野由悠季じゃん。 オタクのお母さんとお父さん(笑)。」と善良な市民さんも以前に言っておられましたが、「暇人が何の利害も無い所で、全体の為のことを議論」しても、結局「考えた気になって終わってしまう」ことの“功と罪”を、富野監督ほど自覚している人も少ないのではないかと。

 ところでessaさんの文章から、アレントという人のことを知り、少々難しそうなんですが、もっとその考え方に触れてみたいと思いました。(→ amazon 『人間の条件』ハンナ アレント(1994/10)筑摩書房

  1. 戦争と革命による危機。それにともなう独裁とファシズムの危機。
  2. 大衆社会という危機。すなわち他人に倣った言動をしてしまうという危機。
  3. 消費することだけが文化になっていく危機。何もかも捨てようとする「保存の意志を失った人間生活」の危機。
  4. 世界とは何かということを深く理解しようとしない危機。いいかえれば、世界そのものからも疎外されているという世界疎外の危機。
  5. 人間として何かを作り出し、何かを考え出す基本がわからなくなっているという危機。
  6. 松岡正剛の千夜千冊『人間の条件』ハンナ・アレント

 こうした危機への処方箋として、「法の保証を失って生国から放り出され、国籍喪失という非人間的状態に委ねられた場合の、われわれの生存の基本的恐怖をいやというほど知りつくしたにちがいない」アレントという人は、古代ギリシアにまで遡って“公共性”というものの起源を考えたというのです。「近世以前への退行」どころか、なんと古代ですよ。(笑)――思索というのはそういうものなんじゃないのかなぁ。それは現実逃避ではなくて、「真の政治参加」の呼びかけだというのだけれど。難しそうですが、近々読んでみたいと思います。

 ここでね、戦争と革命による危機(それはプロレタリア云々という話柄にも当然関係するでしょう)だけではなくて、大衆社会という危機も、同時に考えるべき課題として挙げられていて、それが3、4、5の危機にも繋がっていると私は思うんです。
 悪しき為政者をぶっ倒せばいいんだ、と大衆を煽ることもアニメにはできるでしょう、そのほうが麻薬的な多幸感も強いはずです。しかし富野アニメでは、そうした善悪の単純化は繰り返し退けられており、『聖戦士ダンバイン』は典型例だと思いますが、おそらく「世界とは何か」という問いを抱えたままで、戦争を引き起こす為政者と刺し違えるエリート、というカタルシス(まさにギリシア悲劇で言うところの“浄化”です)の構図がしばしば見られました。

ターンAガンダム 1 地球光 ターンAガンダム 2 月光蝶

 で、『∀ガンダム』なんですが、主人公は確かにハイム家の使用人であるロラン・セアックなんですけど、影の主人公はディアナ・ソレル(と、キエル・ハイム)だと思います。民衆(プロレタリア)の一人であるロランと女王(為政者)であるディアナ、そして社会参加を志すインテリゲンツィアだったキエル、という構図は偶然のものではないでしょうね。
 特にキエルはやがてディアナに取って代わっていきますが、スタート時での彼女のインテリ的な立ち位置は、『Vガンダム』でのカテジナさんと同様です。この間で何が違うのかあたりはpsb1981さんの領分のような気がします(笑)が、「世界とは何か」ということを自分の頭で考えるのをやめ、既存の何かを(半ば無理に)信じてしまったときから、カテジナさんは「口ばっかりのエリート」の悲劇に魅入られてしまったんでしょうかね。これに対し、キエルは自らの父を戦乱で亡くしたという私的な利害を離れて全体を考え続けることで、「公的領域」に携わる資格を自らのものとしていくわけです。
 最強の力であるガンダムを操るロランは、選ばれたエリートの力を持つのだけど、同じ力を持つターンXを操るギンガナムが(結局は)「自分に労いの言葉もなしに地球へ降りたこと」を理由に女王に叛いていったのと対照的に、ディアナ(そしてキエル)を信頼し続けます。彼はハイム家の使用人であると同時にディアナの臣下でもあるという立場に苦しみますが、ハイム家の「私的領域」を代表するソシエお嬢さんの命令に盲従はせず、自分のレベルで考えるべきことは考え続けねばならないことに目覚めていったような気がします。
 ディアナもはじめは大きな問題を抱えた為政者で、まさに「高貴なお方は現場をわかってない」がために、現場の暴走を抑えることができない。彼女が「公=聖=いいことを言うけど、役に立たない」君主という属性であることは、グエン・ラインフォードという世俗的権力としての「公」との対比で際立っています。その彼女がキエルと入れ替わることで“現場”を学んでいく過程は、出来すぎているぐらいの寓話ですけれど、最終的にはそれぞれの立場の人間が、学ぶべきことを学び、考えるべきことを考えて、互いの信頼を力として、後先考えないヒステリックな革命(ギンガナム)や、実利の前には手段を選ばない覇権主義(グエン)を退けるわけです。

 ・・・と書いてしまうと、簡単な図式化過ぎるんですけど。悪しき為政者をぶっ倒せばいいんだ、だけでは、実際には今日の危機に対しての有効な処方にはなり得ないわけで。では『∀ガンダム』に答があるかというと、それぞれの立場で学ぶべきことを学び、考えるべきことを自分の頭で考えなさい、ということでしかないかもしれないですけど。

はてブのコメントを見て(賢い人たちのこと…) 

[2006/09/28] | ネット巡遊記 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 秋刀魚って大根おろしで食べると美味いっすよねぇー。(あーあ、焼き立てだったらもっと美味いんだろうなぁ…。)
 でも私は秋刀魚が好きって言うよりも、たぶん大根おろしが好きなんだと思うのです。それに昔は小骨がいっぱい口の中に突き刺さって好きじゃなかった気がする。(今でも不器用なので、あんまり上手に骨を取り除けないんですけどね。これでも昔よりは少しは上手になったから、「美味い」とか言えるようになったような気がする。)

 …みたいな話と繋がるんだか繋がらないんだか(笑)、今日は久しぶりに宮台センセイのブログを拝見して思ったことなどを書いてみます。

「日本中の碇シンジ君たち、殻の中から出てくるのだ!」の巻 - MIYADAI.com Blog

 センセイの本日の講義のお題は「『ガンダム』と『エヴァ』と市民権を得たオタクさん」とのこと。「あー、また『宮台信者だぁー』とか冷やかされるんだろうなぁ(笑)」などと思いながら、ふむふむナルホドと読ませていただきました。

ミ:そっかぁ。ガンダムとエヴァではラストまでの流れが全然違いませんか?
宮:ガンダムはアムロの成長物語。他方、エヴァのラストは「こんな僕でもいいんだ」で、碇シンジには何の成長もないし、社会ともつながらない。唐突に自己承認を獲得するだけなの(自己承認の獲得を成長と呼ぶ言い方もあるけどね)。僕は憐れだと思うよ。「こんな僕でもいいんだ」って思った瞬間、試行錯誤に乗り出す必要は免除されちゃうから。生身のコとつきあうには「こんな僕じゃダメ」という修行が不可欠なのになあ。

 で、「へぇ~ φ(..)メモメモ」と思って、はてなブックマークをしようと思ったんですけどね。

はてなブックマーク - 「日本中の碇シンジ君たち、殻の中から出てくるのだ!」の巻 - MIYADAI.com Blog

 なんか、けっこう手厳しい“はてブコメント”が多かったんで、びっくりしちゃいましたよ。

女をはじめとするいわゆる"すばらしい人たち"によってぼろぼろに傷つけられたオタクが殻から出るわけないだろう。そういうオタクたちに「殻から出ろ」というのは「地獄に堕ちろ」というのと同じ。

 これはわかるけど、「何年前の古文書を引っ張り出してきたんだ・・・?と思ったら今日なのか!うーん。」「宮台先生、進歩ないなぁ。」などの言葉が目に焼き付いちゃったんで、思わず[なるほど]のタグを付けるのを日和っちゃいました(笑) <(_ _)>

 で、昨日書いた自分の「地頭が悪い」話なんかを、ふっと思い出してみたり。実はこの話の延長戦をtakkunさんのところのコメント欄で今日してたりもしたんで…と、今、リンクを貼ろうとしてビックリしたんですけど、イヤ~ン!以心伝心?何でおんなじところを見てるんですかぁ。(爆) この広大なインターネットの世界の中で、なんと世間の狭いことよ。(~_~;)
 「頭のいい人は、大変ですよねー(←決して厭味ではなしに。)」と私がコメントした意味が、とても正しくtakkunさんに伝わってたので、それだけでもとっても嬉しかったんですけど、ここまで一致しちゃうと、なんか意味もなく照れますね。(笑)

 ちょっと動揺しちゃいましたが、話を戻すと、正直に言って宮台センセイのご著書を一冊も持ってませんので、私は信者ではありません…という話じゃなくて(“お布施”を迷いなく出すのは富野御大だけだ…って、信仰告白をここでしてどうする 笑)、宮台センセイのブログをふだん読んでても、8割方、私には理解できません。(←これでも少し、見栄が入ってるかも?)
 でも私が「宮台センセイいい人だなぁ」と思うのは、ときどき今回みたいに、私のような多少“地頭の悪い”お馬鹿さんにも分かるようなテキストを書いてくれるところなのです。

 たしかに「どこかで聞いたような話」で頭のいい人同士の会話の中では、もしかしたら「宮台いまさら何を言ってるんだ?」というレベルなのかもしれないんですけど、少なくとも私なんかには、頭のいい人同士の会話の中では当然の前提みたいになってる部分を解題してくれる部分があって、「いいもの読ませてもらった」と思えたのです。

 ま、信者でもシンパでも、何でもいいんですけど、頭のいい人たちは、頭のいい人同士だけで会話したいものなのかどうか。たとえば昨日言ってた“公共性”というやつは、こんなふうに私レベルの人間にも開かれてあるということなんかも、参考になる点があるのかもしれないなぁ…などと。

 まぁ秋刀魚が好きなんでも、大根おろしが好きなんでも、美味かったらそれでいいんで、しかも旬だと滋味も豊かなはずなんですが、それでもやっぱり焼き立てを味わった人にはかなわないのかな、とか。(すみません、遅い晩飯をかっ込みながら、ブログのネタを考えていたら、こんな文章になっちまいました。 笑)





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