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まずは「消費は麻薬」と思えるかどうかですかね・・・ 

[2008/06/24] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(7) | TOP ▲

 珍しく世の中のお話に少し目を向けてみます。

地球温暖化対策として、コンビニの深夜営業に対する規制を検討する動きが全国の自治体に出てきている。

 コメント欄やはてブのコメントまで含めて、いろんな見方が出ていて面白かったです。地球温暖化への対策、いわゆる“ECO”の視点を敢えて見ずに、コンビニの深夜労働の問題と絡めて(混同して?)語っているところが切り口として興味深かったです。環境問題というタテマエ論を真に受けたものかどうか、そこが難しいところですからね。

こんな規制が可能なら、正月はもっといろんな店休め、とかいう意見もありそう。そりゃそうと、パチンコ店は電気を盛大に使っていそうよ?あれこそ営業時間をもっと規制できないのかなー?w

・・・と、私もとりあえず、はてブコメントをしましたが。
 なんだか引っかかって、その後も、つらつらと考えてみたりしてみました。で、私もちょっと話を飛躍させてみます。

 (これを言うと多くの方々から叩かれそうなのは承知で敢えて言ってみますが、)私は愛煙家でありまして、近年の愛煙家バッシングを、なんだか“煙たいもの”(笑)に感じています。
 そこで思うのですが、嫌煙論者の皆さんは、タバコは麻薬だ、タバコをやめられない人間などは、ニコチンという薬物に依存しているだけではないかとおっしゃる。・・・・・・はい。まったくおっしゃるとおりだと存じます。
 すでに案外、多くの愛煙家がそれは自覚しておりますので、そこを指摘されても、今さら「はっ!そうだったのか、ガーン!・・・」となって、悔い改めようなどとはあまり思わないのですよ。

 それで、言い逃れではないのですが、ECOの話と言うのも、こういうのと似ているなぁと、ふと思ったのです。
 「消費は美徳である」などというのは、ECOの考え方からすれば麻薬というべきでしょう。ですが、一度手にした消費の快楽を、やめられる人がどのぐらいいるのでしょう?
 この場合に、エネルギーの浪費が社会的に仕組まれた麻薬だという自覚を持っている人は、少なくともタバコが麻薬だと認識している人よりも、比率としては少ないに違いありません。なぜなら現代社会の中で、何らかの形でエネルギー浪費に加担している人は、圧倒的多数ですからね。

 開き直りではないのですが、エネルギー浪費をしている人も、社会の中で少数派に追い込むことができたなら、ECOもうまくいくのかもしれません。しかし、どうやったらそんなことが実現できるんでしょうか。私もコンビニが深夜あいているのにはお世話になってますし、タバコも(人に何かと非難されたぐらいでは)やめる気にはなりません。どうにも難しい問題ですね。

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囚人さんのジレンマ w 

[2007/06/28] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

 最近たまに耳に入ってくる“サバイブする”という言葉の用いられ方(受け取られ方?)への、漠然とした違和感のことを書いたのは、本当は、そのちょっと前の記事にいただいたコメントで「囚人のジレンマ」というキーワードを与えられたので、そのことを考えていたら、話がそういう方向へ行ってしまったのでした。

 “サバイブ”に「非常に殺伐としたニュアンス」を付与するのは和製英語でしょ、という指摘もいただいて。言葉って本当に難しい。なるほど、もう少し情緒を排したドライな言葉なのかもしれないですね、本来は。

囚人のジレンマ - Wikipedia

 「個々の最適な選択が全体として最適な選択とはならない状況の例」だそうです。「1対1」が基本パターンですが、プレーヤー複数の場合(社会的ジレンマ)や、選択機会が何度となく繰り返される場合(繰り返しゲーム)など、バリエーションもいろいろ。
 これを特殊状況と捉えるのは、“個々が最適な選択を積み上げていけば、多くの場合、全体も最適化される”という考え方ですよね。私なんかはへそ曲がりなのか、そうすんなり行くほうがレアケースのような気がしますけど。(笑)

 これら、複数の主体の存在する状況下での意思決定についての研究アプローチの方法たる“ゲーム理論”の考察ということだそうで。なんかゲーム的な事物の単純化って好きじゃないんですけど、そうした研究の目的が、「ゲームの望ましい帰結はどのようなものかを探る」というところは、私も気に入っています。
 「ゲームの望ましい帰結」についてのビジョンの有無によっては、“サバイブ”という語に接した場合の「非常に殺伐としたニュアンス」の様態も変わってしまうでしょう。

 しかし言葉って難しい。素人が聞きかじりで使うには荷が重い言葉なんですけど、でも、それこそ“的確に状況を判断すること”を専門家任せにしていられる時代じゃないぞ、という意味で“サバイブ”感覚が必要という時代認識には、私も大賛成。

 こうやっておぼつかないブログを書きなぐってみたり、『人間の条件』(ハンナ・アレント)がなかなか読み進められないのにじっと耐えてみたり。(笑)
 賢からぬ私なりに自分の頭で考えるということが、苦しいんですけど楽しいんですね。私には、こういうことのほうに生きてる実感があります。

 例えば《全体》と《個》というのは、人間の生きることというのを、半永久的なサイクルとしての自然の円環運動の一部と捉えるのか、生れ落ちた瞬間から死にゆく刹那までの(前後からは隔絶された)直線運動と捉えるのか、の問題でもあるのかもしれません。

 しかし、こんなこと考えていて、私は“サバイブ”できるんですかね?うん、確かに怪しいです。(笑)

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“エレガント”になれない私・・・。 

[2006/04/12] | ネット巡遊記 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 “競争”の話題について、バルタザールさんとラジヨさんにコメントをいただきました
 自然界のことを考え始めると、競争っていうのは一度はじめたら、ある程度“生死を賭けた”ところまでいかないと勝負が付かない。だから無用なところでは、めったやたらと競争をおっぱじめたりはしないってことなのかな、と思ったりしました。
 それに比べると人間は競争好きなのかもしれないんですけど、毎度生死を賭けたところまでやり合ってちゃ身がもたないから競争の“ルール”を決めようとする。ところがそこで、“ルールの決め方”を巡る競争が、往々にして、また生じる。
 で、このループを延々繰り返していくと、今の世の中で生死に関わるものといえば、シンプルに考えるとかなり“お金”?しかし「どの時代どの国でも通用する通貨はない」のだから、これとて絶対的なものではない。だからといって、じゃあ腕力(国レベルでいえば軍事力)なのかよ、とまで考え始めたら、この世は闇ですな。
 「大人の男が子供と遊ぶ時間が多い社会ほど豊かである」という定義は素敵ですね。しなくてもいい競争を最小限に抑えることが、ルールの中でも最重要なものであるのかもしれず、それはそのまま自然界の在りようであるのかもしれない、などと思いました。
 “モヒカン族”の話のほうへ繋げていくと、たくさんの人がハッピーになれるエレガントな方法(全体最適化)というのは、その“しなくてもいい競争”を最小限に抑えるためのルールのことですね。
 WEBの話は分かりやすいんですが、HTMLの書式は共通規格だからこそインターネットが成り立つ。なのに、マイクロソフトもネットスケープも自社のシェアを増やすために、自社のブラウザでしか表示できない機能を搭載して他社との差別化をはかった時期があった。・・・エレガントな競争じゃないんだよなぁ。だから機種に依存しない本当の共通規格を決めようよ、というのがW3C(World Wide Web Consortium)なのだそうです。(雑駁な知識ですみません。)
 で、CSS( カスケーディングスタイルシート)というのは、HTML文書の文書本体の部分と装飾の部分を別々にするために同じくW3Cで規格化された、ものすごく合理的な機能です。ただ、現在世界中で使われているウェブブラウザの実数全体の中で1%以下だと聞きますが、CSSに対応できない機種があるのだそうです。これこそ「たくさんの人がハッピーになれるエレガントな方法」だと思うんですけど、ごく僅かとはいえ、その幸福から除外されちゃう人がいる。それを当然だとか、やむないとか言って切り捨てた時点で、ある意味では差別・抑圧への加担なのだという認識は持つべき・・・なのでしょうね。
 というわけで、スカルさんはもしかしたら私以上にモヒカン度が高いようですが(笑)、モヒカンで手斧を持った原理主義者と傍から見えるのも不本意じゃありませんか。
 「合理的」ってのは有力なんですけど、「理由があるから、これはこれでいいんだ」にならないようにお互い気をつけましょうよ。(「真偽の二項対立そのものを脱臼させる」ってのは、案外私の得意技のような気がします。)
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