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なつかしのロボットアニメ玩具CMあれこれ 

[2009/01/26] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 おかげさまでインフルエンザのほうは全快しました。最初「ただの風邪だ」と自分で決め付けて、「寝てれば治る」を決め込んでいたのがよくありませんでした。いやはや反省。いくつになってもお医者様は苦手でございます(笑)。

 今日は、おそるおそるRSSリーダーを覗いて天文学的な未読フィードの数におののきましたが、ずいぶん長い時間かかって、ようやく消化することができました。ざざざざざっとハイスピードモードで見ていた(読んでいるというより見ているに近い・・・)のですけどねー。
 本当はアニメ感想のあれこれでもブログに書かなきゃいけなかったのですが、昼間、某動画サイトなどにフラフラ踏み込んでしまったのが運の尽き・・・。

 なんとなんと『合身戦隊メカンダーロボ』@ブルマァクですわよ、奥さん!(笑)

 このシリーズがまた素晴らしくて。

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『無限のリヴァイアス』 いつの間にやら第17話 

[2008/09/22] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(4) | TOP ▲

 見はじめに一度感想を書きました。その後も続けて見てはいたんですが、感想をブログに書くことはしていなかった『無限のリヴァイアス』です。
 『ガサラキ』(1998)の助監督を務めた翌年、谷口悟朗監督のテレビアニメ初監督作品。・・・なのですが、シリーズ構成の黒田洋介さんの印象が強いのかなー、と前に書きました。って言っても『ガンダムOO』と似たような重さだなーという程度の話ですけど、その印象は話数を重ねていってもあまり変わりません。
 あるいは“スペシャルコンセプター”(『ガサラキ』ではシリーズ構成を担当)の野崎透さんのカラーもあるのか? 世界観の設定というのがこの役職の仕事だとすると、物語の背景になっているSF的な部分(→ 無限のリヴァイアス | 用語解説)は面白いもののような気がします。ちっともそこに話が向かっていかないというところがいやはや何とも。いくら子どもばかりという設定とはいえ、登場人物の誰も「そもそも、このリヴァイアスって船は・・・?」的な疑問を示さないのには泣けてきます。(笑)

無限のリヴァイアス Vol.3 無限のリヴァイアス Vol.2

 まあ徹底して現代社会の戯画化をして見せているこの作品なので、そういうふうに「そもそも世界の成り立ちがどうなっているのか」といったような、考えても始まらないことなんかにかまってらんないだろっていうスタンスなのでしょうか。
 人間ドラマを重視しましたよっていう言い方も、もちろん可能なのかもしれませんが、ドラマっていうよりもシミュレーションを見せられているような印象が強いですね。この種の作品ではドラマがSF的なものと密接に絡んでこそ面白いというのは、ある程度鉄則だと思うのです。(この点ですごく良かった作品には、例えば『ゼーガペイン』などがありましたね。)
 だから良くないとまでは言わないのですが、何ていうか、もったいないなぁという印象があります。

無限のリヴァイアス Vol.6 無限のリヴァイアス Vol.5

 この作品には“ヴァイタルガーダー”という人型ロボット兵器も出てきて、いちおうロボットアニメというくくりもできる作品なのですが、何とか姿を現したのは第9話。がっつりそれらしいアクションを見せたのは、ようやく第15話という具合で。そこも全然やる気がないような。(笑)

 いや、別にそれも大いにけっこうなんですけど、最近メディアに露出度が高くなって、いろいろ発言している谷口監督の諸々の発言で触れていたような“娯楽性”の趣旨とは、一致していない部分も多いというのは思わざるを得ないです。

 特にロボットに関しては、アニメーションで最も有効なツールだと思っています。
 ロボットは、漫画や実写の映画にも登場しますけど、そこではメインストリームにはなり得ないんですよ。アニメにしたときに、初めてメインストリームになり得るんです。アニメーションはロボットが最大の武器なんですよ。

 うーん、すこしむつかしいいい方になりますが、ロボットは虚構でもあり、現実でもある、という事ですかね。それらしく見せることもできるし、ウソだけど気持ちよいでしょう、と表現することもできる。情報の整理がとてもしやすい記号なんです。

 “ロボットもの”にこんな前向きの言葉を与える人を最近あまり見たことがないような。(笑)
 だから、このリヴァイアスなんかは(もしかしたらガサラキなんかも)反省材料になっている点もあるのかもしれないなーと、そういう印象も持ちます。

 逆に『コードギアス』と比べても変わってない部分としては、「世界は自分には優しくない」、「抑圧した上で、突き破ろうとして出てくるのが個性だから」というスタンスは、このリヴァイアスからブレてないですね。これは薬じゃなくて毒なんだ、それがサブカルチャーなんだと言ってますが、毒を口に持って行かせるのが本当に上手くなったと。これははっきりと思いますね。(笑)

 それで、娯楽に乏しいと不満たらたらかというと、そうでもなくて、戯画化された人間模様の落としどころをどこに求めるつもりだろうかと。物語の成り行きを、あまり感情移入せずに眺めています。子どもばかりの集団の中で、いちおう上級生(エリート?)の“ツヴァイ”あたりは官僚なんだろうし、ブルーらの不良グループは政治をやったんだろうな、とか。あとファイナにはカルトっぽい宗教の気配もしてきたし。こんなに分かりやすく記号化しちゃうのか。
 描写であまり垢抜けないなと思うのは、劇中時間の経過なんかがほぼセリフで進行している感じで、アニメ的というより、これは小説の手法なんだろうと。エロチックなほのめかしの用法が少し下卑ているのも不快だけど、主人公周り以外の“その他大勢”をチャラかして描いているのも、娯楽の方向性を間違っている気がしちゃいます。人々がこんなことだと、普通にシミュレーションしていれば(主人公周りがどうあれ)、ここまで長い物語時間には本来耐えられずに、リヴァイアスという船はとっくに自壊していそう。
 その辺のリアリティバランスも考え直されて、後年の『ガン×ソード』とか『コードギアス』になってるんでしょう。善良な市民さんが、この『無限のリヴァイアス』と『コードギアス』にしばしば言及しているんですけど、両者を(批評的な目でなく一観客の目で)平たく見比べてしまうと、リヴァイアスの先駆性というよりも、’90年代的なものの残滓からゼロ年代的なものへの伸びしろというか、変化というか、私はそっちのほうを強く意識してしまいます。

「悪役列伝」と’70年代後半のロボットアニメ羅列 

[2008/02/06] | 随想系 | トラックバック(1) | コメント(0) | TOP ▲

 今日も昨日の続きのような感じから。「昭和30年代生まれに贈るオンラインマガジン」ということらしい「EMIT」というウェブサイトは、ぎりぎり昭和30年代生まれの私には、やはり面白くてたまらんです。(笑)
 読むところが多すぎて困るんですけど、このブログ的には、昨日と同じ著者の方が書かれた「ヤマネコのまんが悪役列伝」という連載がかなりオススメ。
 ロボットアニメに心惹かれるのですが(笑)、まずは大好きな『ガッチャマン』を見なくては。(こぼれ話のほうが面白いのはお約束。)

ちなみに、「科学忍者隊ガッチャマン」にはそれぞれのキャラにモデルがある。 大鷲の健は、千葉真一。コンドルのジョーは、スティーブ・マックイーン。白鳥のジュンは、江夏夕子。みみづくの竜は、なべおさみ。 南部博士は、芦田伸介。レッドインパルスは、丹波哲郎。スタッフには映画好きが多かったそうだ。

ベルク・カッツェ

 そうなんだー。それぞれの人の70年代当時のイメージ。分かるような分からないような。丹波哲郎さんなんかは『大霊界』じゃなくて『Gメン'75』をイメージしなきゃならんわけですな。(笑)

白鳥のジュンのモデルだそうな! 白鳥のジュン

 ジュンのモデルは、この方だそうです。なるほど!しかし昔の女優さんって、きれいですよねぇ~。

ところで、設定ではシャーキンは洸と血縁関係があるとされていたらしい。 それを掘り下げることもなく、27話で中盤の物語盛り上げのために倒されてしまったけれど。 そのへんは後の作品「ボルテスV」に受け継がれているように思う。

プリンス・シャーキン

 富野監督の降板と運命をともにしてしまったプリンス・シャーキン。『ライディーン』で大人気を博したこの方は、悪役美形キャラのはしりと言われていたような気がしますけど、そんな設定があったとは存じませんでした。後を受けたのは長浜監督ですけど、『ボルテスV』でそれを受け継がれたって言われても、富野監督とすれば釈然としなかったでしょうね~。

この作品は、「科学忍者隊ガッチャマン」とよく似ている…と思う。
▼正義の味方は五人のチーム。
▽ 熱血…大鷲の健←→葵豹馬
▽クール…コンドルのジョー←→浪花十三
▽紅一点…白鳥のジュン←→南原ちづる
▽チビ(←小さい子と言おう)…燕の甚平←→北小介
▽デブ(←貫禄があると言おう)…みみづくの竜←→西川大作
▼五台のメカの合体。
G1号機~G5号機←→バトル1~バトル5
▼敵は宇宙からやってきて、卓越した科学力を持っている。
…総裁X←→オレアナ
▼トップは身体を持たず、命令を下すだけ。
その命令を実行に移す手足としての美形悪役。ラストはトップに利用されていただけとわかって、失意のどん底での最期。
…ベルクカッツェ←→ガルーダ

超電磁ロボ コン・バトラーV

 『コン・バトラーV』に影響を与えたとされる、その『ガッチャマン』のチーム編成は、吉田竜夫さんの『忍者部隊月光』から影響を受けているんだそうです。(ここにとても詳しく載ってました。→ 漫棚通信ブログ版: 「少年忍者部隊月光」のチーム編成
 『ゴレンジャー』はコンバトラーより少し早かったと思いますが、これら特撮の「戦隊」シリーズなんかにもそうした影響はあるんだそうで、なかなか面白いですよねー。

違いはストーリー。1話完結の話の多かった「コンV」に比べて、「ボルテス」は企画の段階から最終回までのストーリーがきちんと作られており、伏線も多い。 また、第1回でメンバーが各メカに乗り込む時に「ボルテス」では誰が何号機という指示が出たり、声紋チェックなど気配りされている。

プリンス・ハイネル

 『コン・バトラー』は“合体ロボの元祖「ゲッターロボ」が合理性に欠けるのに対して、コンバトラーはちゃんと合体する”とのことだったんだけど、これがストーリー性や設定の面でも、さらに洗練されたのが『ボルテス』だったと。

 もうちょっと加えれば『マジンガーZ』以後、『ガンダム』前夜までのロボットアニメの状況になるんだけど。(笑)
 ある意味じゃ、『マジンガーZ』で“超合金”や“ジャンボマシンダー”などの関連玩具がバカ売れしたんで、雨後の筍のように沸いて出たロボットアニメたち。『ライディーン』も例に漏れません。(→ MOURA「ロボットの王国」第9回 「巨大ロボットの“開発”」 関連→ バイク戦艦の「中の人」?

 富野監督が、ガンダムの最初の成功は女性ファンが付いてくれたことだって、わりと何度も言ってますけど、人間ドラマの部分の分厚さを担ったのは、やっぱり“悪役”だったり、主人公チームだったりの、キャラクターづくりが重要だったんですね、きっと。
 第一世代のアニメファン(この頃オタクなんて言葉なかったらしい)の間では、「おたくは富野派ですか、それとも長浜派?」なんて話があったらしいですけど、私はお子チャマだったので、作者のことなど何も知らずに、ただただ熱中しておりましたのは言うまでもありません。(笑)
 まあ『宇宙戦艦ヤマト』のTV版は1974年ですけど、劇場版が大ブレークして“アニメブーム”が喧伝されだしたのは1977年ですから。そんなような時期です。
 しかし、ここに挙げたロボットアニメ、たぶんビデオもまだ家になかったような時代に、ほとんど全部リアルタイムで観てましたからねぇ。(“東京12チャンネル”だった『グロイザーX』と『メカンダーロボ』はあまりしっかりとは見てなかった気がします。)見事なまでのアニメっ子だったなぁと呆れます。もちろん、当時はアニメじゃなくて「テレビ漫画」と言われてましたけどねー。(笑)

「ロボットアニメの氷河期」の話とゲームの影響などなど 

[2008/01/30] | 随想系 | トラックバック(1) | コメント(8) | TOP ▲

 いったん考え始めるとしばらく止まらない「ロボットアニメ」話シリーズ。(ぉぃ

 誰にも指摘されなくても、率先して自分でツッコミを入れるという芸風というわけではないですが、昨日「ロボットアニメの氷河期」という言葉をうかつに書いてしまいました。ネットではわりとよく聞く言葉のような気がしていたんですが、はて?また怪しいことを書いているような気がしてきまして、ググってみても、言及例は多いような少ないような。
 アニメブーム全体が80年代後半からは下火になっていく状況というのがあるようでもあり。また私自身がアニメから遠ざかっていく時期とも重なっているので、自分の体感した内容で思い込んでいる可能性もあり。

 個人的に思い出せる名前だけで書きますが、『マジンガーZ』、『ゲッターロボ』などが生まれた'70年代前半あたりから巨大ロボットの波が来て、『ライディーン』、『コンバトラーV』などの'70年代後半あたりからロボットアニメの黄金期は来てるような印象はあります。(『ヤマト』でアニメブームに火が付いたのもこの頃。)'70年代末の『ガンダム』で炎が燃え上がって、『イデオン』、『マクロス』、このへんの'80年代前半がたぶん最盛期でしょうね。
 『Zガンダム』、『レイズナー』という'80年代中盤あたりを最後の輝きにして、'80年代末の『逆襲のシャア』や『パトレイバー』は、もう世間的なブームではなかったんじゃないかと。('80年代中盤からクローズアップされてくるのが宮崎アニメですね。そして『北斗の拳』やら『ドラゴンボール』やら。『聖闘士星矢』ってのもありましたね。)
 ロボットものがマニア向けになっていったという状況は、ガンダムシリーズでも『0080』や『0083』などのOVAというメディアの登場も象徴的な気がします。
 そういう感じで言うと、'90年代前半の『Vガンダム』などの時代は、ロボットアニメ的にはかなり冷え切っていた氷河期と言えるんでしょうか。『セーラームーン』とかの時代ですよねぇ。ロボットものでは『勇者』シリーズとかが頑張っていたようですが、私は見たことがないんでなんとも。
 '90年代中盤に『エヴァンゲリオン』が来て、深夜アニメとかの関係もあって(萌え系を含めて)アニメの製作本数はすごいことになるんですけど、その中でロボットものもぽつぽつと息を吹き返してきて、今日に至っている感じでしょうか。(ロボットアニメ以外では『ポケモン』あたりがポイント?)

 そうすると'80年代終盤から'90年代前半ぐらいが「氷河期」なのかと、個人的には感じますが、また思い込みかもしれません。ガンダムシリーズでも『SDガンダム』のほうが人気(?)があると言われたりもしたことがあるようですね。あるいは、というよりも、'80年代前半があまりにロボットアニメの乱立期だったという気もしなくもないですが。(そういえば、あの『タイムボカン』シリーズにも巨大ロボットが出てきていたなぁと。)

 『聖闘士星矢』とか『セーラームーン』とか分かりやすいんですけど、やっぱりスポンサーが玩具を売りやすいものに比して、特に“リアルロボット”系などと言われるジャンルは分が悪いですね。一方では宮崎アニメなんかもあるわけで。また、『ポケモン』なんかはゲーム発だったりもするし。
 ただ、TVゲームのメディアも昔に比べるとすごく進歩しましたね。私は近ごろではあまりゲームを嗜まないので詳しくないですが、元祖の“ファミコン”で昔、『スーパーロボット大戦』をやったことはあります。(笑)
 思うに、ゲーム的なパラメータの考え方に、“ロボット”というのは馴染みやすいのではないかと。それでいて、「ロボットアニメ」のロボットたちは、同時に“キャラクター”としての固有性も確立されていますし。正直それだけでは、ただ有名どころのロボットがゲームのコマとして利用されているだけのような気がして(「熱血」とか「愛」とか「友情」とかを、数値化すんなよ! 笑)一方では寒々しい思いもありました。しかしゲーム機の進歩はその表現力をずっと豊かなものにして、断片に過ぎないにせよ、ロボットアニメの持っていた物語の魅力の一端を見せてくれるようにもなってきたようです。(比較的知名度の低い作品でも参入して、ゲームで作品に興味を持ったなんて人も少なくないらしい状況なんかを見ていると、そういう効果もあるんだろうなぁと。)

 そうは言っても私はアニメ自体を見るほうが、ずっと楽しいんですけど。(笑)
 作品そのもののファンにとって、イメージに合わない関連商品にぶつぶつ言いたくなる気持ちっていうのは、これはもう昔からあると思うんです。たとえばクローバーの作ったガンダムの玩具なんて、やっぱり出来がイマイチだったと思いますから。それを考えるとバンダイが(特に『Zガンダム』以降かと思いますが、)ガンプラを作り、少しずつでも質を高めてきているのなんかは評価すべきなのでしょうね。私なんかは安いガンコレとかしか買わないアレなんですけど、これだって手ごろな値段でつい「買おうか」と思うものが売られていることは、考えてみるとすごいことです。
 あるいはゲーム展開なんかでもそうですし、私はパチンコやらないので分かりませんけど、『アクエリオン』なんかでも文句を言う人もいれば、喜んでパチンコを打ってる人もいるようですから、一概に否定するのも違うのかもしれません。
 ただ、だからガタガタ文句を言わずに買えというのも、これは違うかも。「イメージに合わない」というのは、これは立派に消費者としての要望なんで。希望をメーカーに聞こえるように口コミで広めるというのも、これはメーカーのほうが作品の人気に胡坐をかかずに、よりユーザーの満足度の高い商品を作ろうという意欲を高めてもらうためにはいいことなんじゃないかと思います。

ロボットアニメとスポンサーと漫画原作のことなど 

[2008/01/29] | 随想系 | トラックバック(1) | コメント(7) | TOP ▲

 “みんな「スーパーロボット」が好きなのかもしれない。”という先の記事では、思いがけずコメント欄で、ロボットアニメとスポンサーの関係についての話題が盛り上がり、どうも“アニメビジネス”のようなお話はニガテだなーと近ごろ(ようやく)自覚してまいりました管理人といたしましては、少し当惑しているというところです。
 人それぞれアニメを見るにしても嗜好というのはあると思うのですが、私などは作画の良し悪しもあまり分からぬ、ぬる~いアニメファンですので、いかにも低予算で作られたアニメであっても、それはそれで、どうやら話さえ面白ければ楽しめてしまうほうであるようです。
 いったんそうと思いさだめてしまうと、「自分の好きなタイプの作品が全くなくなってしまうかも」というような事態でもない限りは、アニメビジネスについての関心は野次馬根性だけになっちゃうんですね。その業界の関係者でもなんでもない、一観客の立場でこういう話題にどう加わらせていただくか、ちょっと首をひねりながら書かせてもらいます。あまり詳しくもありませんし、あれこれと誤解しているところ偏見を持っているところ、たぶんいろいろあると思いますので、どうかお手柔らかにお願いします。(笑)

 同じ出来事でも立場を変えて見てくると、違った受け止め方をしていることも少なくなくて、関係者の語る言葉でも、いろいろ食い違いもあるんじゃないかと感じています。苦手な話と言いましたけど、そんな中でいろんな考え方を聞かせてもらって、自分の立場からは見えていなかったこと、自分の誤解していたこと偏見を持っていたこと、そういうものに気付かせてもらえるきっかけになればと思っています。
 話が難しくなってると感じてきてるのは、もしや私だけかもしれないんですけど(笑)、ここは管理人のレベルに話を合わせていただければということで。

 たとえば、そもそも元祖ロボットアニメの『鉄腕アトム』からして、キャラクタービジネスのような部分を含めなければ、制作費は回収できなかったという話もありました。そういうわけで、「漫画」と「アニメ」は同じロボットものであっても立ち位置は違うかもしれませんね。
 前回、世の中の皆さんは、意外に「スーパーロボット」っぽい荒唐無稽なものが好きなんじゃないかという思いつき話をしたんですけど、今日は本当はその続きの思いつき話を書こうかと思ってたんです。つまり、「スーパーロボット」の後に「リアルロボット」も少しは流行ったけど、それよりも、ただ「スーパー」なものが流行ったのかなぁというようなことですね。
 あまり得手な分野じゃないので時系列も曖昧ですけど、具体的には『北斗の拳』とか、『ドラゴンボール』とか。“あー、ロボットじゃなくてもいいんだ”ってふっと思ったときに、人々の「科学」への信仰もかなり色あせたということかな、ということを一つ思いました。
 もう一つは、これらが「漫画」原作ということの意味です。(私の偏見かもしれないですが)「ロボットアニメ」がアニメに占める地保に比べて、「ロボット漫画」みたいなものって、(特に巨大ロボットものは)印象が薄いような気がして、巨大ロボットが縦横無尽に暴れまわるためのメディアとしては、アニメは漫画より一定の適性があるのかな、というようなことです。

 すみません。話を戻しますけど、ロボットアニメの黄金期(乱立期?)っていうのは、「漫画」から「アニメ」がひとり立ちしようとしていた時期と重なっている気もして、それは漫画に対して一定のアドバンテージがある分野だったりもするのかな、と。・・・けれど、ある一つの作品が世に出るまでに要する最低限のコストを考えると、逆に漫画に比べてアニメは著しく不利だったりもしますよね。
 そこで、どうしてもスポンサーというものが必要なわけですよねー。
 「オリジナル」ということへのこだわりには、そんな要素も考えてもいいのかな、と思いましたが、これなども「ジャンルそのものをその製作に携わっている人たちが知らず知らずのうちに規定している何か」の一つとは言えないでしょうか。
 たぶん、そうしたものは考えていくと、いくつもあるんじゃないかと思います。こういう話題では、そういうさまざまな何かをいろいろと読み合わせることに、私は意味を感じます。

 たぶん制作スタッフの愚痴交じりの談話をよく目にするせいなのか、私も含めて、ロボットアニメのファンは、玩具メーカーのスポンサーを仇敵か何かのように感じてしまっていたり、そういう言い方をしてしまったりするのは、たしかにおかしなことなのかもしれません。
 彼らが資金を提供してくれたからこそ、私たちが作品を目にすることが出来たのは、もちろんです。それだけではなく、彼らにだって子どもたちに夢を与える良い玩具を作りたいという志があったとすれば、そのために彼らが「売れてほしいロボット玩具がある。そのためにはどんな物語がよいか」と考えることはむしろ玩具の作り手として純粋なあり方ですね。なるほど。
 もちろん映像の作り手の側には、それだけではなく違う志も同時にあって、同床異夢と言わねばならない齟齬がいくつもあったことも事実なんだろうと思いますが、結果として良い作品が残っているのであれば、両者の(いわば同志的な)コラボレーションがあったということは、もう少し肯定的に捉えてあげるべきなのかもしれません。はい。(同様に、サンライズの社長さんたちにも感謝。)
 それにしても「制約の多い中で作られた作品」が、その制約を突き崩すダイナミクスが面白いというのは観衆の立場から全くそうだと思うんですが、作り手の皆さんにすれば、やっぱり大変なことなんでしょうねー。(笑)

 事実関係の受け止め方の違いは、最初のほうでも書いたように確認できることは確認するにしても限界はありますし。それよりもコメントの中で提供いただいた話題のいくつか。それぞれで個々に一つ記事を書くべきような、示唆に富んだ見解に、今夜ここではとても触れ切れません。

 「実際に画面で目にする作品だけが全てだよ」とか言うとカッコよさげに聞こえるわけですが、実際は誰も全くの白紙で作品に向かうことなどは出来なくて、人それぞれに諸々の経験と思考様式を抱えながらしか、作品は見れないなーと、つくづく感じます。偏った経験から、多くの人とは違った見え方しか出来なくて、ひんしゅくを買ってしまうことが私は多いんですが、それもまたいい体験であります。知らなかった歴史を教わったり、また、それぞれの方の受け止め方の微妙なニュアンスの違いからも、多くのことを学ばせていただいております。
 そんな感じで。ときどき変なことを言っちゃってるかもしれませんが、どうか寛容に願わしゅう。(笑)

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