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『マクロス』の話と、技巧の優劣だけでない“雑念”の大切さ 

[2007/12/18] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(4) | TOP ▲

 今年ももう残すところ僅かで。12月というのは気ぜわしくて本当に嫌になるのですが、実生活でやらなきゃいけないことはさておき(笑)、アニメは見続けていたり。年末年始にいい感じで区切りが入るといいかな、というようなことを漠然と考えていて、長いテレビシリーズを見始める気にもあまりなれず、このところは映画をいくつか見ていたりします。
 そんな背景もあって、超個人的に、いわゆる“虫プロ系”監督の劇場映画祭りとして『銀河鉄道の夜』(杉井ギサブロー監督)と『メトロポリス』(りんたろう監督)を続けざまに見て、とても楽しかったんですが、この豪華な流れのあとだと、テレビアニメのクオリティを見るのがつらくなったりしますね。

 GyaOで『超時空要塞マクロス』の1~5話をやってた(1/25まで)ので、このあいだ見直した、劇場版の『愛・おぼえていますか』が面白かったところでもあり、さっそく見てみようとしたのですが、あー、こりゃ苦しい。マクロスは、テレビの再放送で何度かちらちらと見ているのですが、最初のほうをきちんと見たことがなかったんで、いい機会だったんです。ただちょっと、今回は間が悪かった!同じ作品を見るんでも、一期一会と言いますか、タイミングの良し悪しは印象に大きく影響してしまうので。この作品に関しては、「劇場版→TV版」という流れの視聴は、まず推奨できないといってもいいでしょうね。

超時空要塞マクロス メモリアルボックス

 久しぶりに見てみて、オープニングなんかを眺めていると、いかにもがっつりと“SF”らしくしてみたかったんだなーとしみじみ。『機動戦士ガンダム』っていうより、『宇宙戦艦ヤマト』に連なる思いというか、そんなところを強く感じました。(よりダイレクトには、私の場合、あの『宇宙空母ブルーノア』なんかを思い出したりしましたが。)
 ストーリーの組み立てを大幅にいじってある『愛・おぼえていますか』と見比べていくと、なるほどこういうふうに序盤を再構成したんだという観点も面白かったです。たしかに“人間ドラマ”のほうは、かなり優先的に残されていたんですね。Wikipediaにまとめられた放送経緯の記載なんかを読むと、制作背景のどたどたぶりにはかなり同情すべき点もあり。かなり“同人誌”的なノリで作られている作品なんですけど、ばたばたと制作事情に振り回されている中で、SFチックなものが徐々に背景に押しやられていって、人間ドラマ(っていうか恋愛劇)にフォーカスが合ってきているという部分が面白いような気がします。若いスタッフ中心で作られた作品だけに、制作過程の中でスタッフたち自身の成長もあったんではなかったかと思ったりしますね。つまり、富野監督の言う「メカではドラマは書けない!SFバカはそれで終わらせるっていうのがまちがいなの」というところだと思います。

 安彦良和さんが、マクロスはおたくが描きたいモノを描いているだけで、自分たちのようにアニメ界を変えてやろうとか、社会に一泡吹かせてやろうという「雑念」がなく、ただただ欲望をピュアに造るようになったと思う、というようなことをおっしゃっていたそうですが、“おたく”にも“おたくなりの成長”というものはあったと思えます。
(余談ですが、ストーリー初期に一条輝がリン・ミンメイに呼びかける二人称代名詞は、かなり露骨に「おたくは・・・」を連発で、「オタク」という用語の普及に一役買ったという話があるそうですが、今見てみると、その点にはたしかに猛烈な違和感を感じました。)

 ただよく考えてみると、ここで「雑念」っていうのも面白いことを言っていますよね。普通はロボットがガシガシとカッコよく変形したりとか、女の子のスカートがやたらとヒラヒラしたりとか、そっちが「雑念」じゃないですか、どう考えても。(笑)
 あるいは、“がっつりとSFらしくやってやろう”というのは、これはココロザシと言えなくもないんですが、“SFバカ”のレベルで止まってしまっては、ココロザシとして低い、と言わざるを得ないですよね。宇宙の神秘の真髄に触れるサイエンスフィクションとまで行かなくても、やりようはあるわけですが、SFらしい体裁というのは手段であっても目的ではないわけで。

 SF的な観点からの「リアルだ/リアルじゃない」という論議は多いわけなんですけど、もう少し間口を広げていくと、前にも話をさせてもらってきたように「“自然主義”的/“表現主義”的」というような話になるんだと思うのですね。で、それは手法のレベルの話であって、枝葉末節とまでは言わないけれど、精緻を極めて写実的に描かれていれば素晴らしいというのは、表現全体の中ではごく一部に限定された視点でしかない。そのわりに、昨今、かなり偏重されているような気がします。
 写実的に描くにせよ、主観的に描くにせよ、“表現したい中身”こそが本来は肝心なのですが、芸事を見る場合にすぐに技巧の優劣だけに着目しようとして、本質がどうでも良くなってしまいがちなのは、私も含め、日本人の悪癖なのではないでしょうかねー。

「視聴率が取れなきゃ、うちは。困るんですよ。いまは、劇画のブームです。手塚先生の丸っこいキャラクターは子供たちも、もう飽きちゃったんですよ。 手塚先生の原作以外だったら、話を伺いましょう。」

 虫プロの営業担当の言い訳として、否定的に書かれているとはいえ、1970年前後ぐらいの時期に、既にこういう言い方があったんだそうで、このところ「手塚キャラはニガテ」と言いまくっている私には、耳が痛かったです。(笑)
 キャラクターのデザインなどというのも“枝葉”のはずなのですが、ストーリーを通じて表現したかったテーマのようなことが、逆に「雑念」扱いになっていってしまうという本末転倒。

 「虫プロ系」といったような区分に意味があるのは、せいぜい高橋良輔監督や富野由悠季監督の世代ぐらいまでかもしれないですね、ということを言ったわけですけど、手塚治虫的なテーマの大きさや重さがノイズ扱いになってしまうんだとすれば、あんまりですよね。・・・とか何とか言いながら、私も手塚独特の説教くささは、正直これまた「ニガテ」と言ってきているわけです。
 虫プロ系とは対極にあるはずの高畑勲さんの“自然主義”的な作風なんかでも、宮崎駿という稀代の絵師を欠いてしまうと、テーマの大きさ、重さだけでは世間からは敬遠されがちなような・・・。
 だから私も“中身さえ良ければ、”と言うつもりでもなくて、内容たるテーマを裏打ちできる優秀な表現手段との出会いは大切だと思うんですね。要するに私は、手塚治虫とか高畑勲みたいな偉い人じゃなくて、単なる俗物だってことだと思います。だけど、簡単に部分だけを取り出して切り売りできるような、技巧だけで満足できるほど、マニアックにもなれないわけです。
 あるいは、高尚さと大衆性の狭間のそのあたりで苦闘し続けている人だから、私は富野監督の仕事が好きなのかもしれないですね。

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「宇宙空母ブルーノア」(1979-80年) 

[2005/12/22] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(5) | TOP ▲

北陸はどか雪です。囚人さんは今日は代休。明日から三日連続でお仕事ですが。
クリスマスか・・・くそでもくらえっ!!

さて、家の前の雪よかしでひと汗かきまして、腰も痛い。懸案になっている年賀状にも、いい加減着手せねばならないのですが・・・。除雪作業とか無心にやっていると、頭の中にいろんなことが浮かんできます。

そういうわけで(どういうわけか?)先日来、囚人さんの頭の中は「ヤマト」だったりするのですが。
★宇宙戦艦ヤマト発信!
こんなサイトがありました。
大宇宙年表
こんなどっかのガンダム設定オタクみたいな事をやってるのは笑っちゃうんですが、(痛すぎ)
月刊ヤマト
この連載はなかなか面白くて、既に30回もあるのでなかなか読破もできません。ヤマトあれこれのうんちくに混じり、第4回あたりは第一次アニメブームの時代背景を語っていてグッド。深夜ラジオの影響力、なるほどそうだったかもしれないですね。

懐かしい!『宇宙空母ブルーノア』!「受けなかった」ですね、マジで(笑)。いや、違う意味で私たちの間では受けてましたけど(爆)。Wikipediaにもあまり詳しく載っていない。あの頃、西崎義展は悪いやつ、松本零士がエライ人、とまだ中学生ぐらいだったのに、そういう感想を持っていたのは何でだったろう?西崎の脱税発覚で「それ見たことか!」と言っていた、いやなガキだったかもしれない(笑)。破産、覚醒剤取締法違反、銃刀法違反・・・その後、ぼろぼろの人生なのですね。・・・未だ獄中の人なのですか。なんたることよ。

あ、ブルーノアのあの主題歌は川崎麻世だったですか!!
たぶん歌える・・・(『花の子ルンルン』も)。まあそういう年代でしたね~。
BLUENOAH!!

こんなスゴイ玩具が出ていたのですか!
あー、ここでようやくストーリーに出会うことが出来た。感想・・・ノーコメントにさせてもらいます(爆)。
そのかわり、安彦さんの関係するこの話(かなり裏話)は面白い!(って言うか、面白すぎ)
『ヤマト』が子ども向けの「漫画映画」が「アニメ」と呼ばれるようになるきっかけになった作品だったことは確かでした。子供だましにだまされないファンを育てた・・・『機動戦士ガンダム』と同じ1979年に作られた『ブルーノア』は、反面教師としての「迷作」であったかもしれません。

違うッ!断じて違うッ!!(笑)

すっかりブルーノアで脱線してしまいましたが、雪よかしをしながら囚人さんがぼんやり思っていたのは、さらばヤマトで何の躊躇もなく敵を倒しまくる古代君が、前作では「我々がするべきことは・・・愛し合うことだったんだ!・・・行こう、イスカンダルへ。他にどうしようもないじゃないか」と言っていたなぁということでした。
星と星との、互いの存亡を賭けた全面戦争の終末に対するこの台詞は、勝者の驕りだ・・・なんて批判はまさに四半世紀前から言い尽くされてきたことなのでしょうね。薄っぺらいヒューマニズム・・・難しい問題です。
サムライだとか言ってデスラーが、「私の心ははるかに君達に近い」とか唐突に口にしても、さすがにねぇ・・・。古代君に倒されるその他無名の敵たちには「うわー!!」しか台詞がなかった。
その意味で、ア・バオア・クーでアムロに倒される学徒動員のジオン兵が「お母さん・・・」と言って死んでいったのは、確かにすごいことでした。彼らはアムロと同年代の若者たちだったんですよね・・・。圧倒的な実力差があるからといって、最近の種みたいに「不殺」なんてことはなく、アムロは躊躇なく(「何故出てくる!」とは言ってましたが)敵を殺していました。

「子供だまし」であるかどうかには、SF的な考証が正確かどうかよりも、もっと深い問題があるのでしょうね。そして、その問題はあれから四半世紀経った今でも、相変わらず存在しているように思われるのです。

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