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「サマーウォーズ問題」ってどんな問題なんだろう? 

[2009/08/21] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

 細田守監督の最新作『サマーウォーズ』。私は公開初日に観に行ってきましたが、その後もネットをさまよっているといろんな感想を目にします。私の感想メモも読み返してみるとそうなんですけど、面白かったと言いながら、ちょっとどこか歯切れが悪い感じがあるかも。それは単にネタバレを回避したせいだけじゃなくて、少しは意識して応援演説をやりたかったし、それ以上に、私の貧しいボキャブラリーでは上手く説明できそうもない微妙な感覚があったからなんですけどね。
 TOMMYさんの鑑賞メモのブクマコメに、とぼふさんが「サマーウォーズ問題」ってタグをつけておられて、言われてみて少し意識してみたら、おっしゃるとおり微妙に煮え切らない感想を書き留めている人が他にも少なくないという気がしました。それで、決して上手く説明できる自信はないんですが、私にも身に覚えのないことではないので、私なりの「サマーウォーズ問題」というものについて、少し考えてみようと思います。

サマーウォーズ オリジナル・サウンドトラック

 実はあの後で、細田監督の旧作『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』も観ました。デジモンというものをほとんど知らなかったんですが、普通に観て楽しむことができました。
 ただ、言われているように『サマーウォーズ』は、これのセルフリメイクだというのはよく分かりましたけど、正直に言えば『ぼくらのウォーゲーム!』はただテンポ良く面白かっただけで、そんなに細田守らしさがプンプンする感じでもなかったし、「よりによって何でこれなの?」という感じがしました。
 生意気に「細田守らしさ」とか語れるほど、本当はよく知らないんですけどね。ただ単に「テクニシャン」というんじゃないところで、私はこの監督の作品にはぞくぞくと怖いところ(変な「闇」)があるほうが好きなんです。

 見てきた中でのベストムービーを基準に「~らしさ」というのを語ってしまうのは許して欲しいんですが、私が細田監督について思う場合、それは『時をかける少女』ではなくて、『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』のほうです。あれは怖い作品でしたねー(笑)。

「そうなんだよね。要するに、そうなんですよ。『オマツリ男爵』という映画は、なんの映画かというと、僕のジブリ体験がね、基になってるの!(苦笑)」

 後で知りましたが『オマツリ男爵』は、細田監督がこんなふうにぶっちゃけちゃってる作品なのでした。あのアートアニメーション的な毒気の強さは、『ハウルの動く城』を降ろされたドロドロに根ざしていたんですね。比喩的に言えば(ちょっと違うけど)「黒富野」的な、という言い方に私の場合はなっちゃいますけど。
 『時をかける少女』も後から考えてみると、非常に作り物っぽいおばかな物語なのに、あの踏切事故のイメージとか、得体の知れない死のイメージのようなものが下敷きにあって、何なんだろうなーという印象がありました。

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富野由悠季の「物語」再考・・・『ファウ・ファウ物語』「あとがき」から 

[2008/12/13] | 御大 | トラックバック(2) | コメント(2) | TOP ▲

 1985~86年に発表された、一般にはあまり知られていない富野由悠季の小説『ファウ・ファウ物語(リ・ストリー)』について、ここ何回か、実験的なファンタジー小説(ファンタジックな実験小説?)という読み方をしてきています。

ファウ・ファウ物語〔リ・ストリー〕 (下)

 これはごくマイナーな作品だけど、とても大事なところにさわっているような気がするということを、なかなか思うように伝わる書き方ができずにいるんですが、もう一度、この作品の「あとがき」を読み直しながら、話をまとめてみたいと思います。

  1. この小説は、富野由悠季のライフワークと言われる異世界ファンタジー“バイストン・ウェルもの”のひとつでありながら、同シリーズのほかの作品と異なり、童話風でほのぼのとした雰囲気に仕上げられており、暴力や性に触れた描写がほとんどない。富野小説のそういう側面を期待して読むと、「面白くない」で終わってしまう作品である。
  2. この作品ではイーグルスの『HOTEL CALIFORNIA』(1976年)が、象徴的な音楽として表現されている。『ファウ・ファウ物語』が『ニュータイプ』誌上で連載された1985~86年というのは、『Zガンダム』の時期でもあり、次作への期待と、思うように製作が進まないプレッシャーの中からイーグルスが生み出した『ホテル・カリフォルニア』には、当時の富野監督の意識に強く響くものがあったと思われる。
  3. 手塚治虫が、まんがという「記号的」な表現による傷つかず死なない身体をあえて傷つき死んでいく身体としてとらえ直し、その相反する場所でまんがを描いていくという困難さが、戦後の日本のまんが界の表現を豊かにしてきた。手塚と師弟関係にある富野由悠季の初期作品群は、その問題意識を「テレビアニメ」というフィールドで継承発展したものだと総括することも可能である。
  4. しかし、「死」あるいは「性」といった肉体性を伴ったテーマをマンガやアニメが扱うことが一般化してくるにつれ、これらについても「記号的」に受容する(今日でいう「オタク」的な)傾向が受け手側に萌芽するようになり、この状況の中で「物語」を描き続けることの意味を再考する必要を、富野は感じていたのであったかもしれない。

 以上のようなことを前提に置いておいて、『ファウ・ファウ物語』の作者による「あとがき」をもう一度読んでみます。

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富野由悠季が作中で描いた『Hotel California』 

[2008/12/10] | 御大 | トラックバック(0) | コメント(6) | TOP ▲

 富野由悠季の実験的なファンタジー小説、『ファウ・ファウ物語(リ・ストリー)』のラストに流れるBGMが『HOTEL CALIFORNIA』であることについて、大きな大きな「?」と読後感想では書いたんですが、あれからずっと一日中、頭の中であの曲が渦巻き続けているので、たぶん答は出ないと思いながら、続きを書いてみます。

 未読の人には小説にBGMと言うだけで「?」だと思いますから、いちおう解説すると、物語の終わり近くに、妖精ファウ・ファウは小さな奇跡を起こします。後から思えば、その時バイストン・ウェルへの扉が開かれはじめたということを、この表現が言外で示していたのかもしれません。

 その時、ファウ・ファウの耳にギターの音がかすかに聞こえて来ました。
 いえ、ギターではないかも知れません。
 もっと違う楽器の音かも知れません。

 ...... Welcome to
    the Hotel California
    Such a lovely place
    Such a lovely face .......

 歌詞も書かれているのです。ラストシーンでもう一度、この曲が聞こえてくる場面では、歌詞に訳詞さえ伴って書かれています。

 さすがにこの曲は聴いたことはありましたけど、私は音楽にはまったく疎いので、この歌の背景なども何も知らず、歌詞もただ不思議な曲だなーと思ってこれまで聴いておりました。

  • 当時のイーグルスは、(・・・中略・・・)相次いで大ヒットを記録してアメリカを代表するロック・グループとなっており、次期作品に対しても優れた作品を求める期待を集めていた。このため、相当なプレッシャーから思うような曲作りが進まず、盟友であるJ.D.サウザーを呼び寄せてこの苦境を乗り越え、本アルバムの完成に至った。
  • ホテル・カリフォルニア Hotel California 本アルバムのタイトル曲で、架空のホテル「ホテル・カリフォルニア」を舞台とした楽曲
  • 歌詞のあらましは、主人公がウェストコーストの砂漠のハイウェイでの長時間の運転に疲れて、休むために立ち寄った小奇麗なホテルに幾日か滞在し快適な日々を送ったが、堕落して快楽主義的なすごし方を続ける滞在客たちに嫌気して、以前の自分の日常生活に戻るためホテルを去ろうとしたものの、離れようにも離れられなくなった ・・・ という、一見伝奇譚的なミニストーリーであるが、歌詞の随所には言外に意味を滲ませる深みのあるものとなっているため、歌詞解釈について様々な憶測を呼び評判となった

 なるほど。『ファウ・ファウ物語』が連載された1985~86年というのは、『Zガンダム』の時期でもありますね。次作への期待と、思うように製作が進まないプレッシャーという意味でも、『ホテル・カリフォルニア』には当時の富野監督の意識に響くものがあったのかもしれません。

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『ファウ・ファウ物語(リ・ストリー)』 これは富野由悠季の重要な小説です! 

[2008/12/08] | 御大 | トラックバック(2) | コメント(17) | TOP ▲

 ずっと前に上巻だけをブックオフで見つけ、久しく気になっておりましたが、今回ようやくにして下巻を入手。
 なんと不思議な物語なるよ!・・・というのは、物語の内容がというか、本のタイトル(=主人公の妖精の名前)にも語感が似てますけど、“ふわふわ”として、まったくつかみどころが分からない、そういうお話なのでした。ちょっと長くなりますから最初に言っておいてしまいましょう。私はこの作品、大好きです!

ファウ・ファウ物語〔リ・ストリー〕 (上) ファウ・ファウ物語〔リ・ストリー〕 (下)

 上巻を読み終わってから下巻を見つけるまでに間が空いてしまったわけですが、あまりの不思議さに、下巻のほうを読めば私が思っているような“富野小説”になるのかなーと思っておりました。

 甘かったっ!(笑)

 そもそも下巻を読み始めた瞬間に、頭の上に大きな「?」です。自分は何か間違ったんじゃないのか?・・・話が繋がらない?

ファウファウ物語(リストリー)
ニュータイプ 角川書店
1985年4月号~1986年12月号(全21回)
*1:原題「ファウファウ物語 From BYSTON WELL STORIES」。
*2:連載第11~13回は文庫版未収録。
*3:連載挿絵第1~10回藤井勉、第11~21回大森英敏

 連載3回分がすっぽりと未収録?kaitoさんのおかげで、自分の間違いではないことは分かりましたけど。これはいったい・・・?

2009/2/13 補記

 kaito2198さんの真摯な追求のおかげで、上巻と下巻の間に未収録ページがあるのは初版(ともしかしたら第二版)だけだということが分かりました。ここで欠落しているのは、本来の第十七章「魚の話」から第二十二章「本番」までの77ページ相当分であるようです。ミス・・・とは考えにくいので、意図だったのではないかと思うのですが、結局は本来の形に戻したということらしいです。

 この小説は、富野由悠季のライフワークと言われる異世界ファンタジー“バイストン・ウェルもの”のひとつです。小説メディアの出版順でいうと、『リーンの翼』(小説版のほう)と『オーラバトラー戦記』の間に入ることになります。
 富野マニアの皆さんにはお断りするまでもないですが、特にこの前後の二作では「生首ブッとび腕がちぎれる世界」=バイストン・ウェルという面があります。しかし、その狭間にあって、この『ファウ・ファウ物語』には吹き荒れる暴力もなければ、性的描写もまったくありません。そして、そういう期待と違うから「面白くありません」と、一読して二度と手にしない人が少なくないだろうという作品なのは事実。
 でもですね。「オタク的想像力を作ったのって高橋留美子と富野由悠季じゃん。オタクのお母さんとお父さん(笑)。」とまで言われている富野監督が、まさに「オタク」的想像力の爛熟しつつある80年代半ばに、『ニュータイプ』というオタク濃度の濃い場所で、こうした発信を試みていた。成功不成功はひとまず脇においておいて、ここで「何故?」と問い直す感覚ぐらいはあってもいいんじゃないかと私は思わずにはいられないのですよ。

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