「共感か反発かの二択しかないネットなんて」
[2006/10/16] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲
だから、G_Robotism(2006/10/01付け雑記)でkita082さんが
…と指摘されたのは、私の書いた「はてブのコメントを見て(賢い人たちのこと…)」についての批判なのかもしれないな、と勝手に思ってしまったり。「賢い人達」と枠でくくり自己卑下してプライドを保つ必要
それで「自己卑下なのかなぁ?」と反省しながら自分の書いたものを読み返してみましたが、たしかに宮台センセイのエントリーに触れた記事で“秋刀魚と大根おろし”の話を熱心に書いているのは、バカ丸出しにも程がありましたかねぇ?(笑)
この記事は、私の「地頭が悪い」という話から、∀ddictのコメント欄で Takkunさんと交わしたコミュニケーションなんかにも触発されながら書いたものです。そこでの対話の中でtakkunさんは、
…と書きつつも、すごく頭のいい人はニュアンスを汲み取って、かつ自分はそれと分離した分析をクールにこなせます。そしてそれを言語化できるだけのフレームワークやバックボーンを持っています。
…と述べておられて、これに激しく同感したんですよ。私のような凡人は個々人がどのような体験をしてきたということをすり合わせていくことでしか現象を具現化できないし、それを言語化することは難しいんですよね(せいぜいできて異議申し立て)
takkunさんのその記事(Show the Flag of Evangelion)は、私の書いた記事(「本当の事」―エヴァとイデオンと )
ビューティフルドリーマーの話 その2
[2006/08/11] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲
例のDVDのオーディオコメンタリーは結局さっと聞いただけで、メモとかなにもする余裕がなかったので、残念でありました。誰かその話の感想を書いてる人とか…ネットで探してみようかな?(笑)
以下は、作品を見て思ったことを、思い出しながら書いてみます。
若干ネタバレ気味がありますので、未見の方はいちおうご注意ください…。
うる星やつら2 ビューティフルドリーマー
[2006/08/09] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲
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いやー、よく出来てる!すばらしい!ブラボー!!
これはやはりアニメ史に残る傑作のひとつですね。
久しぶりに見るとがっくり来ちゃう作品ってけっこうあるもんですけど、この作品は覚えていた以上に面白かったかもしれない。
すみません。率直に言って、そういうことを考える余裕がないぐらいに楽しんで見てしまいました。押井守がなぜ「現実」への回帰を志向しつつ、即座にその試みを打ち消してしまうような反復を描かなくてはならなかったのか
Anisopter 惑星の人たちが語らなかったこと
ところで、このDVDはなかなか曲者で、「劇場上映サイズと同じビスタサイズ」はもちろんナイスだし、音楽も最高。(映像が完成してから作曲したので、場面に完璧にマッチしてるんだそうです。)ところが、なぜか音楽の使われ方に昔の記憶と微妙な違和感があって、気になって詳細を見てみると、
という4つの音声バージョンがありました。私の記憶に一番近かったのは、やっぱり2のオリジナル版。劇場で見ていたときには、一瞬音楽に圧し去られた場面がいくつかあって、それはそれで私にはOKだったんだけど、どうもDVD化にあたって押井監督が監修した際に、そこはセリフ優先にしたような気がします(温泉マークとサクラ先生の喫茶店での対話シーンなど)。1.日本語モノラル:修復版
2.日本語モノラル:オリジナル版
3.日本語5.1チャンネル:Remix版
4.オーディオコメンタリー
…ということでね、2回繰り返して見ることになったわけですが、そこでふと気付き「何、オーディオコメンタリーって?」と思って聞いてみたら、押井守(監督)、千葉繁(メガネ役)、西村純二(演出)、池田憲章(聞き手)というメンバーで、だらだら語ってるんだけど、なかなか内容がすごいんですよ。返却までにもう一回見なきゃ(というか、聞かなきゃ)。ぎゃー!(病み上がりにこれは堪える…。)
これ、知らなかったら映画見ただけで返しちゃうよなぁ。これから借りてみる皆さんは要注意です。だけどこぼれ話がいくら面白くても、映像が出てたら映画のほうが見たくなるというもの。それで繰り返し見てしまったら…これぞ終わらない学園祭前日状態?(笑)
とにかく面白いです。分かってて見ていても、「編集の事故?」と思ってしまう繰り返しの前半から、「えええー?」というシュールな展開を見せる中盤。当時から、最後のほうは「ちょっと懲りすぎ?いや凝りが足りないのか?」という微妙な思いがありましたけど、まあ夢の終わりとはしょせん味気ないものなのか。
ちょっと見直した感想がすぐには整理できませんが、思い出したらまた続きを書きますね。
ビューティフルドリーマーとは懐かしい・・・
[2006/07/27] | アニメ全般な話題 | トラックバック(0) | コメント(3) | TOP ▲
はじめに断っておかないといけないのは、最近大人気のアニメらしい『涼宮ハルヒの憂鬱』という作品は、わが住まいなす辺境の地では放映しておりませんで、(それでもこれだけネット界隈で騒がれているから気にはなるし、その気になれば見る方法もいくらもあるんでしょうが、)これまで積極的に「見たい」と私は思ったことがなかったということです。なので、ハルヒという作品は未見なんですが、それを踏まえた上で、ネット上でやり取りされているいろんな意見に対し、ちょっと思ったことを書き留めておきます。
見たことがない作品について、いろんな人がアツク語り合っているのをウォッチングするのもけっこう面白いものです。『エヴァンゲリオン』以後、アニメオタクの周辺では誰もが話題を共有して語り合える基準作というものがなくて、それが激しく希求されている中で、「このハルヒこそがそれになり得る」「いやなり得ない」、そういう激論は、今日のアニメに人々が求めているものは何かというようなテーマを観察できるいい機会でした。(なまじ見てしまっていると自分の好き嫌いや思い入れが入るんですけど、幸か不幸か見てないおかげで、比較的それが少なかったりもします。)
Anisopter 惑星の人たちが語らなかったこと
これは第二次惑星開発委員会 涼宮ハルヒの憂鬱 - 善良な市民×成馬01×キクチへの反論(?)として書かれているんですけど、いつものシニカルなオタク批判のパフォーマンスだよと言いながら、ネタとしてスルーせずにベタな言及をしてるのが興味深かったです。(私の書くものなどはスマートさのかけらもなく常にベタベタですから、「あ、世の中そういうものなのか」と感心さえしました。)
このハルヒをめぐる話で私が面白いなあと思っているのが、「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー(BD)」「エヴァンゲリオン」「ハルヒ」という三点セットで語られることが多いところで、私なんかはBDも直撃世代なんで、「へぇ~」と感じることが多々あります。
エヴァを見て、ふに落ちなかったことが、いろんな語り部の口によってBDから語り起こして今日の状況までつなげてくれると、「あー、エヴァってそういう位置づけなんだ」とようやく分かってきたりとか。
で、オタクは現実社会からアニメに逃走してると。大塚英志いわく、「エヴァはビルドゥングスロマンの不可能性を描ききった」のに、「エヴァンゲリオン」の結論からおたくたちは尚も逃走しているのだと。
なるほどねぇ。「こんな日常はつまらない。自分は非日常的なロマンでないと充足できない」のだと無理矢理自分に言い聞かせているハルヒ(=オタク)というのは、実際には、「妥当な自己像に修正して素直になりさえすれば、非日常的なロマンなんてまったく必要としないタイプの人間なのだ。そしてそれは、決して不幸なことではない。」という善良な市民さんのまとめは、健全なビルドゥングスロマンをポジティブに語ってはいないと?僕がここで注目したいのは、彼らが大塚英志の身振りをどれほど反復しているように見えても、彼らがもはや「健全なビルドゥングスロマン」みたいなものをもはやポジティブには語ら(れ)ないということだ。その空虚さを埋めるかのように、彼らは今なおハルヒの物語に耽溺しているオタクたちを批判する。
ビルドゥングス=自己形成だから、多少シニカルな言い方ではあっても善良な市民さんは、まさしくそれについて語ってはいると私は思います。ただ私にとって引っかかる点があるとすれば、「妥当な自己像」「素直になりさえすれば」というのが、『星の鼓動は愛』のクロスレビューの時にはこの方が痛烈に批判していた、「安易な自己肯定と思考停止」とどう違うのかを、もう少し語って欲しかったというところです。
それはさておき、この批判でとりわけ興味深かった視点は、次のところです。
「押井守がなぜ」という問いかけへの解説も書かれてはいるのですが、オタク批判というアイロニーも分かる俺たち(=オタク共同体)という指摘だけでは結局、最初のBDで示された迷宮構造から抜け出る手がかりにはなっていないような。(結局われわれは巡り巡って、また「終わらない学園祭前夜」のふりだしにいるという再確認ですね。)僕たちがBD、エヴァ、ハルヒの物語に「あたる→シンジ→キョン」の「逃走→他者との出会い→歩み寄り」といった単純な主体の変容というまた別の「物語」を読み込んでしまうとき、押井守がなぜ「現実」への回帰を志向しつつ、即座にその試みを打ち消してしまうような反復を描かなくてはならなかったのかという問いかけが忘れさられてしまう。
考えなしに消費行動の享楽にふける「動物」であるか、それを批判する「シニシスト」であるかが「単にポジションの差にすぎない」という指摘も、BDのテーマの再確認としてですが、今日的な言い回しとして面白いもので、「僕たちはそろそろこのディスコミュニケーションを乗り越える言葉について考えはじめなくてはならない」というメッセージは共感できるものです。
「メタ萌えもの」という長すぎた夏休みは「今、内部から自壊しはじめている」という善良な市民さんの結論をはじめに読んだときには、そうかなぁ、どうだろうかと思いながら読んだのですが、こういうメッセージが出てくるのだから、そうした兆しは確かにあるのだなぁと、ある意味感心しました。
ところでこういう中にあって、私の立ち位置はどこなんだろうかと改めて考えてみると、なるべき時期に「おたく」になり損ねた私というのは、皆が現実から上手に逃走していたときに、逃げ遅れて現実につかまってしまった存在ってだけなのかもしれないなぁと。
BDを、当時の私は大いに楽しんでみましたけど、私の学園祭は前夜を繰り返すことなく普通に始まってしまい、そしてたぶん、もう終わってしまいましたよ(笑)。
だけど自分が思うようなビルドゥングは成し遂げられていないから、現実に追い回されながらも、相変わらずロマン(?)を求めてアニメ界隈をうろうろしているような気がします。なので、私にとっては「安易な自己肯定と思考停止」と批判されているもののほうが、気になってならないのかもしれないですね。

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久しぶりに見てみたいなぁ!
超・個人的「ベストアニメ10」
[2006/07/01] | アニメ全般な話題 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲
囚人022の
「独断と偏見による超・個人的ベストアニメ10
――あえて人にはオススメできない――」
同率1位
●THE IDEON 発動篇
●ブレンパワード
3位
●未来少年コナン
同率4位
●∀ガンダム 地球光/月光蝶
●機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙
6位~10位争いの激戦区
●うる星やつら2 ビューティフルドリーマー
●さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち
●銀河鉄道999(劇場版)
●風の谷のナウシカ
●母をたずねて三千里
●OVERMANキングゲイナー
●機動戦士ΖガンダムIII 星の鼓動は愛
●機動戦士Ζガンダム 星を継ぐ者
これねぇ、best5までの内訳は自分はどうしてもこうだろうな、と確信があります(順位は微妙)。なんと5作品中4作品まで富野アニメなのですが。(笑)
ただ、これまた絶対にどうしようもなく、『未来少年コナン』がここに食い込んでいると思います。久しく長い間、イデオン的なものとコナン的なものの間で、私のアニメ観というものは実は揺れ動いているのかもしれません。
ナチュラルな状態だと、そもそも私のような「普通の人」(笑)はコナンで完璧に満足すべきメンタリティの持ち主だったのだと思います。普遍性や完成度を含めて「よくできたアニメ」という土俵で比較すると、今でも基準作は、(「奇跡」のような)『未来少年コナン』になってしまう。かつてこれに匹敵し得たのは、(やはりこれも「奇跡」のような)『めぐりあい宇宙』ぐらいだったんじゃないかと。
そこへ比類なく深い衝撃を残してしまったのが『発動篇』で。……たぶんそこから“自分にはないもの”(もしかしたらどこにも存在しないかもしれないもの)を探し始めてしまったのかもしれないなぁ、なんて。
ともかく最も多感な時期に、これらの作品に深く食い入られてしまっているのが、私です。思うのですが、感性のツボみたいなものってのは幾通りかしかなくて、最初にその秘孔を突かれて「あべし!」(笑)となった体験というのは、まるで初恋のひとみたいに忘れられない存在になるのかな、と。
同じツボを突く作品に出会っても、よほどのことがない限りは上書きされないような気がするんです。イデオンとコナンは全然別のツボだったんですが、それで自分のツボは全部かと思って久しく生きてきたのに、∀ガンダムは衝撃でした。だけどブレンパワードはさらに衝撃で。(このニ作品を見るように勧めてくださった皆さんには本当に感謝しています!)
∀はコナンのツボとめぐりあい宇宙のツボを同時押しされたような気もするんですが、ブレンには完全に未知の秘孔をやられました。
6位以下の各作品というのは、ある意味恥を晒すカミングアウトの部分があるんですが、微妙な所があります。特に最後のほうの富野アニメ近作の三つは、この超・個人的な殿堂入りが本当は危ういかもしれない。それ以外の作品について・・・とても言い訳をしにくいな。
それより、ここに入らなかった作品についても言い訳をしなきゃならないような気もしますが。
まぁ本当に普通の人は、自分が普通かどうかなんて気にしないんですがね(笑)。(zsphereさん)
あ痛っ!(苦笑)
今回この記事を書いてみて、それを痛感しました。
だけど、「普通」というものはあるんでしょうか、本当に。私は正直、ないと思っています。男女差、世代の差、見た順番、そうしたものによって、一人一人が作品に抱く感想は違うのが「普通」と言うか。(「普遍性」というのは、また違う基準ですね。)
ただ、けっこう頑固で偏見に凝り固まっているようですけど、自分にもまだ未開拓のツボがあるらしいということは、実はとても新鮮な喜びでした。
なので、この記事を改定しなければならなくなるような作品との出会いは、これからも意欲的に、(けれども注意深く、)求めて行きたいと考えているのであります。
