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WXIII * PATLABOR THE MOVIE 3 と、それから… 

[2007/04/22] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(5) | TOP ▲

 今日は気合入らないとか言っていましたら、私に「パトレイバーを見たらいい」とけしかけた(笑)、psb1981さんからツッコミをいただいたので、劇場版第三作の感想とあわせて、ちょっと長々と言い訳を書いておきますね。(苦笑)

WXIII 機動警察パトレイバー WXIII 機動警察パトレイバー
ゆうきまさみ (2002/09/25)
バンダイビジュアル
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 言われてみれば、psb1981さんのオススメは「パトレイバー劇場版1&2」で、「3」は数に入ってませんでしたね。何しろ私は押井監督の作品は『ビューティフルドリーマー』以来、時計の針が止まっていた人なんで。『パトレイバー』シリーズは、“丸ごと黒歴史”なんですよ。まあ「3」が押井監督作品ではないことぐらいは知っていて見ましたけど。(WXIII公式サイトは、あとから見ました。「HISTRY」のところにパトレイバーシリーズ各作品についての紹介が載っていて、これは便利!)

 だから「2」を見て、「これが『パトレイバー』?」と思わず言ってしまったのは、まだ見ていないOVA版やTV版への思い入れがあるわけではなくて、見た順番の問題なんでしょうね。crow_henmiさんが指摘されたように、「陰画」(ネガ)として考えるとなおさらそうなのかも。(ロボットアニメ好きを自称しながら、『パトレイバー』もろくに知らなかったなんて、常識の埒外なのかもしれないっす、私。)

 あと、「2」も、いい作品だったと思ってるんですよ、もちろん。今回見た「3」も面白かったです。ただ、「3」は「2」以上に“ロボットもの”からは遠かったですね。“ラストにチラッと(ファンサービスで)パトレイバーのキャラが出てくる怪獣映画”でした。そう思ってみれば、タイトルも「WXIII」、つまり「廃棄物13号」が主で、「PATLABOR THE MOVIE 3」は控えめに小さく書いてありますね。(笑)
 「これはパトレイバー3ではない。第三のパトレイバーだ!」がキャッチコピーだったんですね。うーん、そうだったのか。『ガンダム』シリーズで言ったら、『0080』みたいな位置づけかと理解したら、総監督は高山文彦さんですか。ありゃ、納得!・・・哀しい、味のある物語を作る人なんだなぁ。

 私、怪獣映画も好きなんですよ。平成ゴジラなんかもいくつかは見ていて、“もうちょっと人間ドラマがしっかり描けていればなぁ、少しはアニメを見習ってもいいんじゃ?”とか、粗雑な感想を持ったこともありました。だから、このドラマのクオリティで“怪獣もの”を見せてもらえたことに関しては、拍手喝采!(ただ、“平成ガメラ”は、まだ見てないんですよね~。関心はあるんですけど。)
 そういう(特に今では古典的な)特撮ものへのオマージュらしきものがあるのは、個人的にすごくOKでした。それと同時に、わくわくとする“ワンダバ感”もまた、ついつい望んでしまうのは、欲張りすぎなんでしょうかねぇ。(そう考えてくると、昔の特撮ものって気張りすぎてなくて普通に面白かったなぁ。いや、最近の特撮も頑張ってるのかもしれないですけど。)

 『WXIII』ぐらいになると、『パトレイバー』外伝とか、スピンオフ作品と言うべき作品ですよね。アニメの場合、(特に富野アニメなんかでは)劇場版というのはテレビ版のストーリーを描き直すものが多くて、“再編集もの”みたいに言われたりもするんですけど、たしかにほとんど別ものとして、ストーリーを別立てするほうが、映画としてまとまりのあるものにしやすいのは間違いないと思います。「映画 > テレビ」という一般的な価値観があるから、制作者的にはなおさらそうしたいでしょうね。
 押井監督は、ガンダムでは『逆襲のシャア』を特に評価してるんだそうですが、あれは『機動戦士ガンダム』のスピンオフ的に独立した作品と言えなくもない、とか思ったりしました。(あと『宇宙戦艦ヤマト』に対して『さらば~』とかでもね。)
 富野監督の場合、“再編集もの”と言われるようなものでも、『ガンダム』三部作以来、解釈の違いというものがあるので、テレビ版は(同じ作者による)“原作”に過ぎないんじゃないかと私は思ってるんですけど、その“原作”もたまたま表現媒体も同じ“アニメ”なものですから、ちょっとした変更でファンが騒ぐのでつらいですね。じゃあ単純に、もっと思い切り物語の位相をずらして独立した物語にしてしまえばいいのかと言われると、そういう“原作”でもないような。(・・・難しい。)

 もう一つ、これは『パトレイバー』劇場版の三作を見ながらふっと思ったんですけど、“都市の風景”に美しさを感じて描かれているということがありますね。私なんかは田舎もので、あまり街が好きではないので、これは住んでいるところによって見え方が違うということもあるかもしれません。あと、都市の風景って、リアルに描こうとすればするほど、あっという間に古びたものと感じられるようになってしまうというのも、どう考えればいいんでしょうかね。“近未来であると同時にすでに近過去でもある”という、不思議な設定をこの作品などは持っているわけですけど。細かいがゆえに想像力を働かせる余地が少ない、という面はあるのかもしれません。
 あくまで人それぞれの“好き好き”に関する話ですが、アニメでも特撮でも、ある種の“非日常”的なケレン味ってのが確かに初見の人にとっては参入障壁(俗に言う「敷居の高さ」)だというのは事実だと思うんですが、その半面で、(慣れてしまえば、ほぼ無意識ですが)“思い切って敷居を跨いじゃったゾ!”っていう感覚は、大げさに言えば想像力の翼を自分にももたらしてくれるものの一つであるのかもしれません。

 『パトレイバー』って日常の延長に近いようなリアルっぽさが確かにあるんだけど、例えば残念ながら後藤隊長みたいなカッコイイ上司は私の周りにはいません。――“アニメなんか見て夢の翼を広げてないで、現実に帰りなさい”ってよく言われているわけだけど、「現実に帰る=現状を肯定する」でいいかというと、そうではないわけで、生きることも難しいし、アニメもなかなかどうして、これで難しいもんだと思います。(笑)
 (ちなみに、この最後の部分は、psb1981さんの、カテジナ日記/第四十五話「幻覚に踊るウッソ」を読み返しながら、考えました。)


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「機動警察パトレイバー 2 the Movie」雑感その2 

[2007/04/20] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

BLUE ON BLUE(XPD SIDE):
ロボットアニメの陰画としての「機動警察パトレイバー2 THE MOVIE」

 crow_henmiさん、トラックバックをありがとうございました。大変参考になりました。以下、失礼ながら(要約にならない)要約で、ちょっと自分用の整理メモにさせていただきます。

富野的(つまり大抵の)ロボットアニメの重要なポイント

  • 「言葉及び行動による直接的・間主体的コミュニケーション」が発生している、あるいはあたかも発生しているように見える、という点(→ コクピットのシャアとアムロが互いの意見をぶつけ合いながらモビルスーツでバトルしている、とか、そういう風景)
  • コミュニケーションの結果において断絶があろうとも、「そこに相手が存在している」ということは自明とされている点( → 過程においてもそれが成り立っている/あるいはそう見える)

一方で、押井守がパトレイバー2で執拗に描き出したもの

  • そうしたコミュニケーション(ひいては間主体性、さらには「他者」及び「他者」によって構成される世界の客観的実在性自体)の周到な迂回と否定
  • 一貫して相手の顔が見えず、常に画面の向こう側にしか存在しておらず、時にはそれが虚像ですらある。しかしそうした虚像と欠如が「状況」を次々と作り出す運動力となっていく。
  • 姿が見えない、コミュニケーションが成立しない、そもそも間主体性の鍵である「相手」が存在しないことすらあるまま、ただ目前の「状況」に対して自らの抱くイメージ――すなわち「虚構」に向かって銃を向ける/向けざるを得ない「戦争」。

 「間主体」というのはマルクスですか?ちょっとこの用語、難しい・・・。でも例示があるので、漠然とイメージは分かりました。

そうした、逆倒した構図――ロボットアニメの陰画として、パトレイバー2という作品は存在しています。この構図は最後、柘植としのぶが出会うことによってようやく解消されるのですが――その一点に向け、際立たせるために、ぎりぎりまで引き絞られているのです。

 「コミュニケーションの断絶/《他者》の直接的不在/それらによって描き出される《虚構》としての戦争」、おそらくは「それこそがわれわれのリアルである」。ふーむ…。われわれですか…。

  • 敵とはコミュニケーションの断絶の向こう側にある存在であり、コミュニケーションによってはそれを把握することも理解することもできない。
  • われわれはそうしたものを「状況」として捉えることしかできず、それを自らの中で「解釈」して対応することしかできない。

 押井守はそのことを通じて「われわれのリアル」とは何かを描き出したかったといえるのではないか、とのことです。・・・なるほど、少なくとも、よく安易に“リアル系ロボットもの”とか言われるガンダム的なものが、どう設定で言い訳を付けても「リアル」ではないところが、実によく分かりました。

「他者とのコミュニケーションの断絶」「解釈と推測によってしか描き出せない《他者》と《戦争》」の存在。これらは「コミュニケーションとは断絶であり、理解とはすなわち願望に過ぎず、世界とはすなわち虚構に過ぎない」という徹底的否定の中で、己は己の限られた主観のみを生きていかざるを得ない/いかねばならないということの暗喩です。

 なるほどなぁ。「押井守にとって、このような徹底した否定を描き出すために、ロボットアニメというジャンルの表現方法は本来まったく正反対であったからこそ、逆倒した形とすれば最も使い勝手のよいジャンルであった」とすると、“ロボットもの”という存在は、ここでは見事にダシにされたというわけですねぇ。
 「陰画」というのはネガ、つまり裏返しのこと。反転した像を見せるためには、本来の像も存在していなければならないという意味で、この作品はロボットアニメという存在に依拠しており、そのために“ロボットもの”の形式でなければならなかった、ということでしょうか。――『パトレイバー2」という作品をどう見るべきなのか、丁寧に教えていただいたおかげで、ようやく少し分かったような気がします。

 ここで何となく私が、作品を見ただけでそういう風に理解できなかった自分を省みて思うのは、いわゆる“リアル系ロボットもの”の実はリアルではないところとオーバーラップして、(とりわけ戦場という)現実世界が、実はあやふやなものの上に立っていることもまた描かれているという、その構造の複雑さが、単純な私の理解力を超えていたんですかねぇ。いや、ただ単に私がロボットもの好きという視点からしか、アニメを見ることができないだけなのか。とにかく大変勉強になりました。ありがとうございました。

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「機動警察パトレイバー 2 the Movie」雑感 

[2007/04/17] | 感想系 | トラックバック(1) | コメント(3) | TOP ▲

 前の記事→ 「機動警察パトレイバー 2 the Movie」見ました。

 今日は久しぶりに少し早く帰れたので、ゆっくり見直してみました。この作品は、“音”が大事かもしれないですね。音楽とか、声優とか、そういうのもあるかもしれないけど、もっと全般的なこととしての“音”。昨日より、少しいい音の環境で見直したら、だいぶ緊迫感、臨場感が違いましたよ。

機動警察パトレイバー2 the Movie 機動警察パトレイバー2 the Movie
ゆうきまさみ (2004/01/23)
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 昨夜は、“これ、『パトレイバー』じゃなきゃいけないんだろうか? ・・・ロボットアニメじゃなきゃいけないんだろうか? ・・・っていうか、アニメじゃなきゃいけないんだろうか???”ってブツブツ言いながら寝たんですけど。(笑)

  • たしかに、パトレーバーである必要も、ロボット物である必要も、またアニメである必要も無いと思います。(charlieさんのコメント
  • パトレイバーがそれに向いている題材だったのは自明。「戦争」を語る際、ロボットアニメの陰画として、リアルに近接した世界であれを描くことに意味があった。(crow_henmiさんのブックマーク

・・・と、いろんな視点のコメントをいただいて。当時の押井さんはロボットアニメじゃなきゃ映画を作らせてもらえなかったというcharlieさんの指摘も、まあ富野御大もずっとそんなようなもんだし、わかります。あと押井さんは「元の作品を使い、自分なりの作品を作ってしまう」確信犯(特に二作目はそう、宮崎さんも同類)という指摘もなるほど。(エンターテイメントや芸能の話は簡単ではないので、すみませんが、いつかまた違う機会に続きを。)「個人的で押し付け」なんてことは全然ないですよ。むしろそれ、この作品の話をするのに私が一番困っちゃってることです。(笑)
 crow_henmiさんのおっしゃる「ロボットアニメの陰画」っていうのも、難しいけど何となく分かります。でも「自明」で終わらせないで、パトレイバー初心者にもわかるようにもう少し、ご説明いただけると嬉しいです。(これ、素直なお願いです。)

 常連の皆様はご存知かと思いますけど、私ってアニメのつたない感想を毎日のように書きながら、ときどき“たかがアニメ、それも、よりにもよってロボットもの”が何で好きなんだろうって、自分で自分が不思議になってる人なんですね。個人的には、その謎(笑)を解き明かすためにブログを書いてるって言ってもいいのかもしれないぐらいです。
 「機動警察パトレイバー 2 the Movie」は、そんな私を考え込ます作品、深く琴線に触れる作品だったということは、申し上げておきます。

 ちょうどそんなタイミングで読んだ「おまえらそんなにアニメが好きか」(忘却界抄:これまでじゃ…これからじゃ!)という問いかけは、けっこう重く。またそこから「素人が難題を勘と運で乗り越えるのではなくて、プロが知恵をしぼって解決するアニメをもっと見たい」(ARTIFACT@ハテナ系)を読み返してみて、けっこうこのパトレイバー2はそのリクエストに当てはまっているように思えたり。

 日本だと送り手側で左翼が強かったので「警察、軍隊=体制=だからダメ」という構図があり、プロより経験のない人間のほうが素晴らしい、となってきた感が。もちろん例外はあって、押井守氏なんか、左翼だけど警察や軍隊が大好きです。宮崎駿氏も軍隊(というか兵器)は好きだし。
 この話を人にしたら「SF作品やジュブナイル作品では経験より勘のほうが良い、という価値観があるのでは」と指摘されました。確かに。ニュータイプもそうだしなあ。

ARTIFACT ―人工事実―
アニメにおいてプロではなく学生が現場に出るのはなぜか

 そのへんの周辺で、例えばこんな話(↑)とか。
 実写とアニメ(特にリアルっぽさを追求しているもの)の境界はだんだん曖昧になってきているんですけど、(個人的な感覚かもしれませんが)私はなんだか普通のドラマのほうが、むしろチャチなものに感じてしまうことしばしばなんですね。(なんでかなー)

例えば「パトレイバー」は、あくまでロボットアニメの文脈で職業的な部分を強調したに過ぎない。

萌え理論Blog - なぜ職業ものアニメが少ないのか

 だけど、これ(↑)は、シリーズ全体ではどうなのか私には分からないですけど、少なくともこの映画二作目に関しては、“えぇ、そうかなぁ?”と私には違和感のあるご意見でした。

 「戦争はいつだって非現実的なものさ。戦争が現実的なものであったことなど、ただのいちどもありゃあしないよ。」
 「なぁ、俺がここにいるのは、俺が警察官だからだが、あんたぁ、何故、柘植の隣にいないんだ?」

 この作品の主役が後藤隊長だっていうのは誰もが認めるところでしょうが、もう一人挙げるとすれば、南雲しのぶさん(「あなた方はそれでも警察官か!」というハマーン様のお声♪)か、それか、ここでの話し相手である“荒川”(c.v. 竹中直人!)かって感じですよね。
 “ちゃんと仕事するプロの職業人”のあり方っていうのが、いくつかの層にわたってポイントになっている気がします。後藤や南雲の行動もそうだし、それこそハマーン様こと榊原良子さん然り、怪優・竹中直人然り。そして『パトレイバー』というロボットものの枠内で、こんだけきっちり作品を作っちゃう押井監督という人もまた然り。

 ただね、私この作品ですごく気に入っているの、駐屯地への警備行動派遣に抵抗していた後藤隊長が、しのぶさんのプチ絶縁宣言(?)に遭って、あっさりと「あ、しのぶさん、気、変わった。今、変わった」って、なさけなーく電話しているところだったりするんですね。(笑)
 これを裏返して言うと、第一作みたいに主役を取り巻く群像の一つとして後藤隊長がかっこよく存在するのと違い、ここでは後藤が主役なんで、彼のリアルな人間味が描かれる場面が私は必要だと思ったということかもしれません。――繰り返し言われていた「状況」ということのリアリズムだけではなくて。
 作中ラストで南雲が「今、こうしてあなたの前に立っている私は、幻ではないわ」って言いますよね。「モニター越しの戦争」「蜃気楼の街」みたいな危うさは、この作品の重要な要素だと思うんですけどね。これを両立しようとすると、作品が“きっちり”まとまらなくなりがちなんだろうなぁ。
 作中で“鳥”が象徴的に使われますけど、物語を鳥瞰する視点に、私はうまく馴染めないという、いっつも最後はそういう話になっちゃいますけどね。


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「機動警察パトレイバー 2 the Movie」見ました。 

[2007/04/16] | 感想系 | トラックバック(1) | コメント(3) | TOP ▲

 昨日も今日も、そして明日も仕事っす。今日は見ただけで精一杯・・・。

 明日また何か書こうと思いますが、ちょっと戸惑っております。前作とはだいぶ違いますね。

「これはアニメーション、特に「パトレイバー」というジャンルでなければ表現できない」と、アニメ作品としての評価も高いものとなった

 Wikipediaには、こう書かれていますが、見終わったときに私が思ったのは、“これ、『パトレイバー』じゃなきゃいけないんだろうか? ・・・ロボットアニメじゃなきゃいけないんだろうか? ・・・っていうか、アニメじゃなきゃいけないんだろうか???”ということでした。

 うーん・・・とりあえず一晩寝ます。(笑)

 続きは明日また!

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機動警察パトレイバー the Movie 

[2007/04/09] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(5) | TOP ▲

 いやぁー、なんともスカッと面白い作品でした!テレビ版はちらちらっとぐらい見たことあったんですけどね、押井監督の作品には疎いもので、劇場版がこんなに映画としてまとまってるなんて、知りませんでしたよ。ってなわけで、『機動警察パトレイバー』劇場版第一作(→Wikipedia)の感想メモを記しておきます。

機動警察パトレイバー 劇場版

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ヘッドギア、 他 (2004/01/23)
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 冒頭の暴走無人レイバーとの戦闘場面は、“おほっ、こりゃロボ好きにはたまらんサービス!”っていうか、作ってる人もこりゃ好きだわって感じで。(好きなことやってるっていう、その感じはわりと全編通じてありますけど、この場合はそこがいいところなんでしょうね、たぶん。)
 物語の背景になる“バビロンプロジェクト”の話をしながら、この世界観のベースになる“レイバー”と呼ばれるロボットについての解説も抜かりなく、“方舟”、“零式”、“HOS”などのキーになる要素も早々に顔見せして、「やだなぁ、問題なんてあるわけないですよ」とか、「何となく悪役っぽいと思わない?」とか、パトレイバー初見の人間も含めて、物語の導入への配慮(と、後になって分かる伏線の設定)は行き届いている。・・・と言いたいところですけど、キャラクターに関してだけは。それぞれに個性があって面白いんですけど、初見の私には正直ちょっと辛かったですね。(誰がシリーズのレギュラーで、誰が映画だけのゲストなのか、よく分からないですし。香貫花さんの登場シーンとか、先入観ゼロの初見の人間にはつらかったなぁ。だいたいこの作品、普通に人物名が凝りすぎですよー。)

 しょぼくれた刑事が歩き回っていた東京の町の風景っていうのが、重要な“役者”のうちってのは、まぁ分かりましたよ。あと、「時代遅れの技術屋」のセリフの重さとかもね。(重くて厚みがあるのは主に脇役で、主役級の二人はなんだか存在感が薄いですけどね。)
 そうそう、“シゲさん”(声:千葉繁)の長セリフ!好きですねぇ、押井さんはもう!(声優ネタで言うと、主人公遊馬の古川登志夫は“諸星あたる”ですしね~。あとハマーン様とか、今は亡きセイラさんとか、そのへんは声優ネタには疎い私なりにも嬉しかったですけど。)
 それよりも後藤隊長ですかね、この人カッコ良すぎ!「台風がしでかしたことであれば、それが何であれ、責任がどうこうという問題にはならんと思いますが?」とか、「四択」でも通じないところをそそのかしておいて、部下には「可哀そうなのはこっちさぁ」ですからねぇ。(笑)

 いちおう警察ものなだけにミステリー仕立てのストーリーなわけで、事件謎解きの要素については、ちょっと類型的だけど構成自体は巧みだなぁと。で、最後、嵐の中の山場の設定。「火災発生時に使用するエマージェンシー・システムでパージする」とかいう方法論は、ちっと強引だけど、娯楽作品の王道を行ってる見せ場でしたねー。これは劇場の大画面で見たかったかも!

 いやまあ、しかし、これが1989年の作品ですか。先見性もいろいろあるんだろうけど、今見てしまうと“バブル”=“バベル”だったんだなぁー、ってそっちの感も強く。(←「お上手でないのね。」)
 ただ、psb1981さんが言っていたように、「必要以上にシリアスにしない」っていうスタンスの妥当性っていうのは認めるしかないかなぁ、これだけ楽しんで見てしまうと。だからあえてケチをつけると、“楽しんで見すぎちゃうでしょ、これじゃ”みたいな話になっちゃう。・・・そのへん、どう考えればいいのか、まだよく分からないので、もう少しシリーズを見てみて考えてみたいかもしれません。(たぶんね、私もこのバブルな時代の感覚知ってる人なんです。だから余計、ちょっと考えなきゃって。)


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