スポンサーサイト 

[--/--/--] | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) | TOP ▲

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

買うべきだった!?ダンバインのプラモデル 

[2010/08/01] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(6) | TOP ▲

 今日の記事も日常雑記。

 今日は仕事で事務用品屋さんへ行ったのですが。

 はじめて入ったお店だったのですけど、何かの気配に引き寄せられて、奥のほうの棚を見に行くと、そこにはなぜか、ガンプラのコーナーがあり。まあ、私はガンプラはもう、ほとんど買うことはないのですけど。ごくまれに、こういう忘れられたようなコーナーの隅っこでイデオンの重機動メカのプラモデルを売っていることがありまして、そういうのを見てしまうと、つい衝動を抑えきれずに買ってしまったりすることがあるのです。(あれ、プラモとしての出来はよくないけど、安いんですよね。w)

 で、ついつい仕事を忘れて、棚の隅々までリサーチしてしまったところ・・・重機動メカではないのですが、気になるものを発見してしまいました。

1/72 聖戦士ダンバイン HGAB トカマクダンバイン
1/72 聖戦士ダンバイン HGAB トカマクダンバイン

 「トカマクダンバイン」!?

 トカマクって、あの、地上からショウと一緒に召喚されたけど、物語開始早々に、「えっ!?」ってぐらいあっけなく撃墜されてお亡くなりになる、あのトカマクさんの、搭乗機だったダンバインってこと・・・?

続きを読む
スポンサーサイト

“神の手”考 ― 「皆殺しのトミノ」は手塚治虫の直系の子孫 

[2009/07/15] | 御大 | トラックバック(0) | コメント(3) | TOP ▲

 諸事多忙で、なかなか更新できないでいます。過去記事へコメントいただいても、なかなかレスできなかったりして、いつも申し訳なく思っているんですが、『聖戦士ダンバイン』最終話の感想にいただいたコメントが、ちょうど今、考えていたことを記事にするきっかけになりました。

確かに地上に上がってからはグタグタ感があった。
しかし最終回が良かったので何も言う事はない
印象的な最終回でした。

ダイゴさんのコメント

理由はわかりませんが…最後の方で空母の艦長が「あれは…人のオーラが放つ光だ」というあたりから、優しい曲が流れる中、もうショウもマーベルもニーも… バーンも、いないんだと思うと胸が詰まってしまうんですよ。やはりどうしても忘れられない作品の一つです…私にとっても多分、バイストンウェルは…あの頃のバイストンウェルこそが、心のふるさとかも知れません。

通りすがりのコモンさんのコメント

 ウェルメイドに形式が整っているからといって「どうしても忘れられない作品」になるとは限らないんですよね。「最終回が良かったので何も言う事はない」というのも、そういうことでしょう。
 しかし、そう何度も皆でよってたかって「ぐだぐだ」って言わなくても、もう分かっていますから、まあいいじゃないですか。(笑)

日本動画興亡史 小説手塚学校 1 ~テレビアニメ誕生~

 で、ちょっと違う話題なんですけど、今、皆川有伽の『小説手塚学校』を読んでおります。その中に手塚治虫の『ある街角の物語』を見て、宮崎駿は手塚ファンをやめたというエピソードが載っていました。
 これがリミテッドアニメだからというんではなくて、「終末の美」を描いた悲劇的なラストに「神の手」を感じたのが許せなかったというんですよ。

 初期のストーリーボードでは、どうも物語の結末にもう少し救いがあったらしいんですね。それを「戦中派のセンチメンタリズム」と指摘した人があって、これを聞いた手塚先生は興奮し、『じゃ、全部殺しましょう。(登場人物を)全員殺しましょう』ということになったそうです。「そうすればリアリズムになりますから」と。
 お分かりかと思いますが、この部分を読んだ瞬間に、私なんかは、やっぱり富野由悠季は手塚治虫の直系の子孫なのかもしれないな!と思ってしまっているというわけです。(笑)

 この部分で皆川さんが“神の手”という言葉の位相をずらしながら使っているんで、流し読んでいたら一瞬「おや?」とひっかかったのでありました。

 「全員殺しましょう」という結末のほうが手塚にとってはリアリズムであって、それを救わなくちゃとするのは「戦中派のセンチメンタリズム」でなければ、ディズニーアニメのような「児童文学的」性格なんだけど、それこそ(手塚にとっての)“神の手”だと。

 ところが宮崎駿は悲劇的な結末をみたときに「背筋が寒くなって非常に嫌な感じ」を覚えたというんですね。 「意識的に終末の美を描いて、それで感動させようという手塚治虫の“神の手”を感じました」と。

 何が作家の「神の手」なのかという感じ方が、ここで逆の位相を示している。

続きを読む

こういう楽しみ方もありますねー(『聖戦士ダンバイン』リビルド) 

[2009/04/22] | ネット巡遊記 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 HIGHLAND VIEW 【ハイランドビュー】のTOMMYさんが、また面白い記事を書いておられました。みんなに読んでほしいので紹介します。

 何故かまだ、あまり注目されていないみたいな。人のことは言えませんが、TOMMYさんも文章長いからなー。(笑)
 結論のほうだけ読んでも話の大筋は分かりますが、前半だけを読んだときにいろいろ自分なりに想像したり考えたりしたのも面白かったので、皆さんもぜひどうぞ。

『ダンバイン』には、本来語られるはずだったプレーンな形の物語が存在していたと想像できます。 しかし、それはさまざまな要因により我々の前には姿を現さなかった。 その「幻の物語」を体験するには、同じ異世界バイストン・ウェルを舞台にした小説、『オーラバトラー戦記』や『リーンの翼』を読むのが一番てっとりばやいだろう。

・・・と言いつつ、「読んでしまえば全てが終わる。読むと妄想力(ちから)が弱まる。だからあえて、これらは読まずに『聖戦士ダンバイン』の物語を自分なりに考え直してみようと思います。」っていうのが凄いです。

 これは前の記事でもちょっと書いてた、資料を駆使する研究とか、批評とかとは一線を画したアニメの楽しみ方ですね。考えてみれば、昔のアニメ鑑賞は、けっこうこういう「妄想力(ちから)」を駆使した視聴のほうがスタンダードだったような気もします。
 ちょっとしたアニメ感想を書こうというのでも、研究者のように資料を積み上げこそしませんが、ささっとググってみたり、過去のブクマを漁ってみたりというのは、今では無意識な習慣のようにやってしまうことが多いです。こういうのって、アニメの技術的な製作水準が(いちおう外見的には)高くなって、「普通にウェルメイドだ」っていう感想があまり褒め言葉じゃなくなったのと同様に、オリジナルな感想を生み出す力を弱くしちゃっている面もあるのかもしれませんよね。

物語とちゃんと向かい合うには拙くてもいいから自分自身でぶつかる方がいいよね

 ここ重要!(笑)
 私なんかは、つい「富野監督が本当にやりたかったダンバイン」として、『オーラバトラー戦記』ほかの小説作品や、OVA『リーンの翼』の話を“答え合せ”のように持ち出さずにいられないんですけど、『ガーゼィの翼』なんてわりと入手困難だし。
 そういう参考資料の量に頼った話しかできないようでは、「なぜこれほどまでにアニメについて語ることが重くなっているのか。もっとアニメについて軽やかに語る方法というものはないのか」(metamorphosis - 来るべきアニメ批評について――津堅信之さんの記事を読んで)という問いかけに向き合うことができません。

続きを読む

富野由悠季 『オーラバトラー戦記』 ようやく読了。 

[2008/09/21] | 御大 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 いったい何ヶ月かかって読み終わったのかという感じですが、富野由悠季『オーラバトラー戦記』全11巻をようやくにして読み終えました。

オーラバトラー戦記〈11〉ハイパー・ホリゾン (角川スニーカー文庫)

 上が第4巻、下が第6巻あたりまでの感想でした。最初にブックオフで7巻ぐらいまでまとまって売っていたのを衝動買いしたのがはじまりなので、先行きのめどが立たない間はなかなか読み進む意欲がわきませんでした。皆さんとお話しているうちに、この本あたりは普通に書店で発注すれば入手できることを知り、さっそく全巻そろえてからは、なるべく早々に読み進めたいと思っていたのですが、それでもまさか、こんなにかかってしまおうとは。(笑)

 はじめは『聖戦士ダンバイン』の前史かと思って読んでいたものが、そうではなくて、総枠的な物語の再構築だということには途中で気付きました。大筋ではダンバインと同じ方向へ流れていきますが、展開はかなり異なります。特に、主人公ジョクらが一度地上へ行って帰ってきてからのストーリーは大幅に整理され、巨大戦艦が争いあうラストアクションの舞台は、地上ではなくバイストンウェルに設定されなおしています。全体の長さからすれば、ダンバインでおなじみの終盤は、思いがけずスピードアップしてるとも言えますね。
 人物の配置なども大きく置きなおされていて、主人公の名前が違うのもそうですが、例えばダンバインでは人気があったシーラ・ラパーナのキャラクターは、エレ・ハンムに集約されている感じで登場しません。このへんはファンにはがっかりなのかもしれませんが、物語の中での役割はすっきりしているような気がします。それから地上篇では両親とのグダグダはあまり描かれず、それよりも中臣杏耶子という女性が大事な役割を果たします。(それと、ジョクの祖母も。)

 「前史」として、蛮族ガロウランとの闘いに紙数が費やされている点については、文明の功罪の「罪」だけを描くのではならないという考えなのかもしれなかったですね。ダンバインのショウ・ザマは、早々にドレイク・ルフトと袂を分かつのですが、『オーラバトラー戦記」では、そこに至るまでで主人公も酷い苦衷も舐めながら、およそ半ばの巻数がかかっています。うん、まあとにかく重い、のかも。たしかにこれではテレビアニメにはならない。(笑)

 善良な市民さんの感想は新書版のそれのようです。私が読んだのは角川スニーカー文庫版なので、印象はかなり違うかもしれません。(たぶん新書版のほうがもっとカオスだったんでしょう。)
 やはり富野監督は小説の人ではなく、映像世界の人なので、読む側が汲まねばならぬ部分が大きいのは惜しまれますが、物語構造の再構築については、うまく行っていると思いました。(しかし、文字数以上に読むのに時間がかかる本です・・・。)

 富野監督も2001年と記されたあとがき(スニーカー文庫版)で触れていますが、終盤の描写は『伝説巨神イデオン』のそれに近づきながら、生(エロス)の方向に近づくことによって、無残なだけの印象に終わらぬよう腐心したもののように思われます。物語としてはイデオンのほうが整っている印象ですが、むしろ歯切れの悪いところにこそ、真剣な思索があるのではないかと感じました。
 どこまで事実かは読み比べていないので分かりませんが、スニーカー文庫に収めるときには、物語は触らずに、とにかく読める文章にすることを考えたように「あとがき」にはあります。でも監督には気の毒ですけど、現状でもすごく読みづらい文章だということは言わねばならないですね。

 各巻の「序」に記されたエッセイのようなものに、富野監督の「文明批評」的な要素は集約されて現れていて、富野スキーならこの部分だけでも興味深く読めるだろうことは請け合います。
 ただ、富野教の信者でない向きには、小説単体としてオススメできる自信はないかも(苦笑)。『聖戦士ダンバイン』の釈然としない部分(ただし、細部ではなく全体構造)を、感覚的に補う本としては読む価値はあるかと思います。まんざらテレビアニメでできなかった表現の意趣返しというだけの小説でもありませんでした。とにかく、決して楽な読書ではなかったですが、間違いなく濃密な“富野体験”でありました。

個人的富野小説史 接触篇 

[2008/07/22] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(3) | TOP ▲

 小説版の『ブレンパワード』の感想に、コメントをいただきましてありがとうございました。

Z以降のガンダムに関しては、御大が書ききれなかった部分を活字で補完しているので、必須とまでは云いませんが、読んでおくとかなり印象が代わるな、という気はします。 【2008/07/20 02:46】 | crow_henmi

 はい。前からよく言われているんですよね(笑)。
 どうもダメ信者なので、昔から活字媒体はアニメのようには楽しめなくて・・・。
 と言いつつも、ブックオフで“富野由悠季”という字が目に留まると、つい買っちゃったりとかは、少しずつはしています。鍵コメでご教示いただいたサイトを眺めていたら、ダメ信者っぷりを白状したくなってきましたので、順を追って見ていってみます。これ、昔の“惑星開発委員会”のコンテンツですね。

機動戦士ガンダム〈1〉 (角川文庫)

 まずは『機動戦士ガンダム』。さすがにこれは読みました。これと次の『イデオン』は、福井晴敏さんも「テレビシリーズと小説版がそれぞれ別個の魅力を放っていた」と書いてましたね。なんていうのか、ブンガクの外にいる人間が、小説というメディアに向き合ったときの、謙虚さとか一生懸命さが素直に出ている作品じゃあないかと思います。
 どうも私はちゃんと小説の感想を書くんじゃなくて、“あとがき”とかそういうところに反応してしまう悪い癖があるようで、善良な市民さんが「秀逸」と褒めている第2巻のあとがきに違和感を感じて、わざわざ記事に書いたことがあります。

 それと、『ガンダム』そのものの再解釈は、たとえ富野監督の手になるものであっても、ひとつの“俺ガン”(安彦さんで言えば『オリジン』とほぼ同格)なんだろうなと思っています。ただ、その後の作品を見る上では参考になる面もあるなということで、『逆襲のシャア』を考える際に参照した記事も書いたことがあります。

 次の『伝説巨神イデオン』は、アマゾンには書影がありませんでしたが、なんと絶版なのですか。個人的には、これこそ最初に買った富野小説であり、今も「これが一番」と思っているのですが(笑)。
 最近、読み返してないなぁと思っていたところだったので、そのうち読んで、何か書きたいと思います。昔の印象なのでアレなのですけど、これはアニメの細かい部分描写(特に人間関係の込み入った部分)よりも、“SF”的な(と言うとツッコミが入りそうですが)骨格がしっかり描かれていた印象が強くあります。善良な市民さんの評は辛いですが、アニメとは別物として、私は好きな作品です。

 『リーンの翼』。残念ながら、これは未読です。ブックオフで見かけたことがありません。噂はいろいろ聞いているので、一度は読んでみたい作品なのですが・・・。(笑)

 『ファウ・ファウ物語』。上巻だけ見つけたので、買いました。これはなかなか不思議な作品。子ども向けのファンタジーなんだろうか?一体全体これは・・・と思っていて、いよいよここからかというところで下巻へ続く、なので、後半が気にかかっている作品ではあります。(アマゾンで買うべきか悩んでます。)

機動戦士Z(ゼータ)ガンダム〈第1部〉カミーユ・ビダン (角川文庫)

 ここ、一番非難されそうなところですが、『機動戦士Zガンダム』。何度もブックオフで見かけて手にとっても見ているのですが、未だに買っていません。何とも言いがたい・・・。TV版の『Zガンダム』への屈折した心情はたびたび書いてきましたので、理由があるとすればそんなところです。
 あと、私は第一次のアニメブームを知ってる世代なので、アニメの作家がアニメ以外の媒体で怨念返しみたいなことをやること自体にうぶな抵抗感があるのです。うむ。でも、そろそろそういうこだわりも、もういいかな?今度見かけたら、買ってみようかと思います。

オーラバトラー戦記〈6〉軟着陸 (角川スニーカー文庫)

 『オーラバトラー戦記』。これは途中までの感想を前に書きました。現在6巻まで読んで、『ダンバイン』の前史じゃなくて、前史も含めた新訳のようなものなのかな、と認識を改めたところです。しかし、何しろ長いなー(笑)。続きは気長に探そうと思っています。
 善良な市民さんは『ダンバイン』の後半がダメだと書いてますけど、私はアレも嫌いじゃないので、この小説では結末がどうなるのか、気になっています。

 長くなっちゃったので、後半はまた今度。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。