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玉城真一郎を笑うものは玉城真一郎に泣くのだ 

[2008/10/02] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 いや、泣きはしないけど。(笑)

 「富野さんの作品の魅力はその世界観でいつまでも遊んでいたくなるところなのかも」とたんおさんもおっしゃっていたけど、『コードギアス』の物語も、まだしばらくは反芻したくなると言うか、私はそんな感じです。

 オレンジ君ことジェレミア・ゴッドバルトなどは、思いがけず人気が出てしまったのを受けて、話の勢いで物語の重要な部分を担っていったキャラクターのほうだろうと思います。第1期のラストで「なればこそ!オォォル、ハイル、ブリタァニアァァ♪」とか叫びながら戦い続け、ついには大事なヒロインの一人C.C.を道連れに深海へ没していった人が、物語の最後には美少女と一緒にオレンジ園で幸せに暮らすことになるとはね。(笑)
 同じような意味で、この玉城真一郎というキャラクターも、視聴者の反応を見ながら決まっていったキャラクターだと思います。オレンジ君以上に、物語を駆動していく重要な役割を果たすことは全然ないままで終わった人ですけど。

「何でみんなオレを馬鹿にするんだよー!」

 物語の重要なテーマをなぞりなおした最終回の緊迫した場面の中で、そんな彼が発した叫びが、どうも私には、後から後から気になってきてなりません。超人的な能力を持って物語の中を縦横無尽に活躍するキャラクターたちの間に放り込まれた、まるきり普通の人である玉城真一郎。
 作中で語られた彼の夢は、たしか公務員になることではなかったでしたっけ?まったく!何と凡庸な!
 身の程知らずに「俺はゼロの友だちなんだからよ」などと言い続け、いいところ見せようとはりきっては主役級の面々に鮮やかに瞬殺される最高の三枚目として、オーディエンスの嘲笑を集めまくった彼。物語の語り手からすれば、もともとは想定していなかったとっさのアドリブもこなすコメディリリーフ役を見事に演じきったと言えるでしょう。

 『コードギアス』は面白おかしくネタアニメとして見た人と、ベタに見た人の落差が大きい、ということをのりのりさんも言っておられましたけど、たぶんその通りなんでしょう。私なんかはベタに見たほうなのだと思います。ただ程度の問題で、ネタはネタとして楽しんだ面は当然のようにあるんで、私もまた玉城真一郎のイタさを嘲笑していた一人です。
 ただ、ねー・・・。(笑)

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コードギアスのヒロインたち 

[2008/09/30] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 ちょっと思い出したので、忘れないうちにメモしておきます。

 ルルーシュは自ら望んで「魔王」と呼ばれながら死んでいったわけですが、第1期の終わり近くでも「魔王」という言葉を使ってなかったかな?うろ覚えで書いてしまいますけど、たしか神根島でC.C.の過去に接してしまい、自らを「魔女」と言う彼女に対し、「ならば俺が“魔王”になればいいだけだ」というような会話だったと思います。
 係り結びといいますか、そういう形がきれいにできているなぁと思ったんですけど、大河内さんは第1期の終わりの時点で、既にこの終劇の迎え方までを見越していたのか、それとも、あれを念頭において(あるいは意識的にか無意識にか、その言葉に触発されて)物語の結末を描き出したのか。そんなことが何だか気になりました。

 『コードギアス』というこの作品には、主人公ルルーシュの周りに多数の少女(一部、魔女を含む)がいて、誰が正ヒロインだったか、みたいな話もあるんですけど、その序列みたいなことを言ってみてもしかたがないといちおう私は思っています。(まあ『マクロスF』みたいな話であれば、何か三角関係がどうなったのか結論を示さなくてはいけないとは思いますけど、それとこれとは違うから。)
 ただ、あえてどうかというと、シャーリーは死んでしまったし、妹ナナリーとはきちんと訣別していますし、やはりカレンかC.C.かという話ですよね。
 最終回のタイトルが『Re;』であるのは、ルルーシュが生命を賭けて行動で示したものに対し、残った者たちがどう生きて応えていくのかというようなことかな、と思いました。そして、それを代表するかのように、エピローグの中でルルーシュに語りかけていたのはカレンでした。

 “仮面の騎士”ゼロがルルーシュを襲撃した場面で、あらかじめ同様の自己犠牲を思い描いていたナナリーはともかくとして、カレンもまたいち早く“ゼロ・レクイエム”の真実に気付くのは、本当を言うと、これはちょっとヒロイン特権を行使してる(笑)と思うんですよ。フォローもしておくと、ナイトメア越しとはいえ一番スザクと刃を交えたライバルとして、偽ゼロの俊敏な動きから、その正体がスザクではないかと見抜けたというのはあります。ランスロットを倒したときの手ごたえから、スザクは本当に死んだのかと疑問を持っていたのかもしれない。
 でも、それにしてもどちらかと言えば彼女はスザクと同類の筋肉馬鹿(失礼!)系のキャラクターであったはずで、ここまで念の入ったルルーシュらの芝居の真意を一瞬で察知できるタイプではなかったはずじゃあないかなー、と。(まあ私の主観ですが。)

 ただ、この物語の語り部でもあるC.C.は、エピローグでのルルーシュへの語りかけも、最後の一番美味しいところ(「ギアスという王の力は・・・」)を持って行っちゃいました。「魔王」として死んでいったルルーシュの運命の女は、そういう意味であえて言えば、C.C.だったと言えるのかもしれません。

 非常にきれいに、見事に幕を下ろした『コードギアス』だったんですけど、こんなことに限らず、やっぱり簡単にくくれないものを多く残したという点では、何度も反芻したくなる作品だったのではないかと思います。(“名作”という言葉は、時代が決めていくものなのでしょうけど。)

コードギアス 反逆のルルーシュ R2 final turn 『Re;』 

[2008/09/29] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

「調子のいい話よね。でも、だからこそみんな、過去に囚われず、先に進めるのかもしれない。」

 いい最終回でした。印象に残るセリフはありすぎるぐらいありましたが、このエンディングを象徴するセリフをあえて絞れば、カレンのこれでしょうか。あと、セシルさんも美味しいところを持ってっていたような気がします。(笑)

「ささいなことよ。あとから考えてみたら何てことない、出発点ってだけ。」

 こういうのを、結局明かされなかったロイドとラクシャータの過去の因縁話に引っ掛けて、するっと言わせる。これ、壮大な悲劇に終わったこの物語全体にかかってくる、実に気の利いた暗喩でもありますよね。
 やぁーりおるわ、大河内一楼!!(笑)

「あなた、がんばったじゃない」
「がんばっただけじゃ・・・」
「んーん、がんばった!」

 「成功と失敗を繰り返してでも、前に進む」というのは、前回ミレイさんとリヴァルの間であったこの会話を受けて、この作品の基調テーマの分かりやすいまとめになっていたと思います。最後の最後まで、嘘とどんでん返しの連続で、非常に複雑な構成になっていた物語だったからこそ、“骨格”になる部分がしっかりしていなくてはならなかったわけですけど、この一点にきれいに収束したので、見終わった後の印象が心地よいものになっているのは不思議なぐらいです。たぶん、長く忘れられないぐらいに胸に突き刺さってきた悲劇の終幕であったにもかかわらず。

 “皆が皆、そうやって足を踏み出したときに、価値観が衝突しあうのは当然なので、そうした対立を解決するのに、再び旧来の“正義と悪”を持ち出すのがナンセンスだとすれば、じゃあ力が強いほうが勝つという、そういうやり方しかあり得ないのか。”
 これが前回、この『反逆のルルーシュ』という物語の落としどころをどう描くのかと私が注目していたポイントだったんですが、最も力の強かったものが、最も大きな自己犠牲であがなうという結末を迎えるとは。
 なるほど、それでこそ近しいものにこそ真意を打ち明けない“ゼロ・レクイエム”の構想であったかと納得もされましたが、最後の最後にカレンや、そしてナナリーには、その想いのありかが伝わったという描写は実にいいものでした。泣かせるなー。

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コードギアス 反逆のルルーシュ R2 turn24 『ダモクレスの空』 

[2008/09/23] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 さんざ振り回されてきましたけど、何だかんだ“ラス前”らしい雰囲気になってきました。(笑)
 次回で『コードギアス』も最終回とか言うと、何だかさびしいですね。毎度毎度、よくぞこんなに外れまくる予想を楽しませてくださった。テーマ的な落としどころはどこになるのか、最後の最後まで予断を許さないけど、まったく面白いアニメでした。これはラストを見てしまう前に言っておいたほうが良さそうですね。

コードギアス 反逆のルルーシュ R2 2009年カレンダー

 ラスボスはシュナイゼルだと思い込んでましたが、あっけなく(いろいろ駆け引きは面白かったですけど)ルルーシュの策に屈してしまって、「ありゃー」と拍子抜け。(笑)
 これも策士・大河内一楼さんの術中にまんまとはまってるんでしょうけど、最後まで本当に飽きさせない展開だなぁ。感心感心!

 それで真のラスボス(?)の役回りはナナリーってことなんだろうか。(普通はそうは思わないけど、この作品の経験則から言うと、一話あれば、また逆転技を何でも仕掛けてきそう・・・。)
 でも今回の最後で「目を背けていられない」って、カッと目を見開いたナナリーには(そういう予想もけっこうありましたが、それでも)インパクトがありましたね。

「あなた、がんばったじゃない」
「がんばっただけじゃ・・・」
「んーん、がんばった!」

 物語的に、一番どうでもいいポジションに行っちゃったミレイさんとリヴァル君の会話が意外にいい感じかな、と思ったんですけど、ルルーシュとC.C.の会話でも、結果はどうあれ“一歩を踏み出す”ということが大事だと言われていたような気がします。(ニーナの「私自身の答」とかも。)
 エンタメとして、「19秒とコンマ04秒」みたいな奇跡を成し遂げちゃう超人どもの活躍がストーリーの軸になるのはやむないところなんだけど、リヴァルみたいな普通の子のことも忘れてないよってところは少し嬉しかったです。

 ルルーシュとシュナイゼルの思想の違いも二人の会話で分かりやすく示されました。

  • シャルル・・・・・・・昨日
  • シュナイゼル・・・今日
  • ルルーシュ・・・・・明日

 人の本質は明日への希望や夢なんだ、と言われると、ここではいかにもルルーシュが正しいように聞こえますし、そういうふうに描写されてました。描写のバイアスを除いて理屈だけで考えると、本当は微妙なところですけどね。経験や知識を投げ出して、希望や夢という感情を頼りにあてのない虚構に足を踏み出そうっていう話ですから。
 いちおう、そうしたシュナイゼルの批判も一通り言わせているし、実はシュナイゼルはコーネリアを殺してませんでしたっていうフォローも入っているので、完全に思想の押し付けにはなっていないですが、それでもこの論戦を視聴者サイドから見ると、シュナイゼルにとってはえらくアウェー戦だったなぁと。(苦笑)

 それもこれも、とにかく“一歩を踏み出す”が、ここでの基調なので。ただ、いよいよ最終回まで持ち越された「ゼロレクイエム」構想の正体を聞かせてもらわないと、まだここまででルルーシュの主張を是とするわけにはいかないだろうと思いましたよ。

 あの場面で、ルルーシュが見てきた“抗い続ける人々”の中に、ユフィやロロがいたのは分かりますが、何でアッシュフォード学園で猫のコスプレをしてた絵が入ってたのかは・・・謎ですね。(笑)

 藤堂さんの「くるるるぎぃ!」という熱いセリフとか、期待通りの玉城とか。まあ何より“ジノ-カレン-スザク”という、この辺の情も絡めながら、最強無敵ナイトメアフレーム同士の決勝戦が、紅蓮v.s.ランスロットで争われるとか、エンターテイメントとしての作りも素晴らしいですね。

 最終回はほんと、どうなるんだろう?
 アーニャが何故か残ってるのは、どうキャラクターを使い倒すつもりなのか。相手がオレンジ君だけに、閃光のマリアンヌさんが再臨したりしないですよねー?(笑)
 サヨコさんらの“ミッション・アパテアレティア”(?)もシンクーらを欺いて、ただ合集国代表やプリン伯爵たちを無事に逃がすだけのものではなさそうだし。(ニーナはどうすんのよ。)
 もちろんルルーシュとナナリーの対峙の結末、ゼロレクイエムも気になるんですけど、エピローグ的な部分をたっぷり取るのか、何か最後にサプライズで終わるのか。ここまで来たから、文句のつけようのない物語のクロージングを見せてもらいたいと祈っています。

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『無限のリヴァイアス』 いつの間にやら第17話 

[2008/09/22] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(4) | TOP ▲

 見はじめに一度感想を書きました。その後も続けて見てはいたんですが、感想をブログに書くことはしていなかった『無限のリヴァイアス』です。
 『ガサラキ』(1998)の助監督を務めた翌年、谷口悟朗監督のテレビアニメ初監督作品。・・・なのですが、シリーズ構成の黒田洋介さんの印象が強いのかなー、と前に書きました。って言っても『ガンダムOO』と似たような重さだなーという程度の話ですけど、その印象は話数を重ねていってもあまり変わりません。
 あるいは“スペシャルコンセプター”(『ガサラキ』ではシリーズ構成を担当)の野崎透さんのカラーもあるのか? 世界観の設定というのがこの役職の仕事だとすると、物語の背景になっているSF的な部分(→ 無限のリヴァイアス | 用語解説)は面白いもののような気がします。ちっともそこに話が向かっていかないというところがいやはや何とも。いくら子どもばかりという設定とはいえ、登場人物の誰も「そもそも、このリヴァイアスって船は・・・?」的な疑問を示さないのには泣けてきます。(笑)

無限のリヴァイアス Vol.3 無限のリヴァイアス Vol.2

 まあ徹底して現代社会の戯画化をして見せているこの作品なので、そういうふうに「そもそも世界の成り立ちがどうなっているのか」といったような、考えても始まらないことなんかにかまってらんないだろっていうスタンスなのでしょうか。
 人間ドラマを重視しましたよっていう言い方も、もちろん可能なのかもしれませんが、ドラマっていうよりもシミュレーションを見せられているような印象が強いですね。この種の作品ではドラマがSF的なものと密接に絡んでこそ面白いというのは、ある程度鉄則だと思うのです。(この点ですごく良かった作品には、例えば『ゼーガペイン』などがありましたね。)
 だから良くないとまでは言わないのですが、何ていうか、もったいないなぁという印象があります。

無限のリヴァイアス Vol.6 無限のリヴァイアス Vol.5

 この作品には“ヴァイタルガーダー”という人型ロボット兵器も出てきて、いちおうロボットアニメというくくりもできる作品なのですが、何とか姿を現したのは第9話。がっつりそれらしいアクションを見せたのは、ようやく第15話という具合で。そこも全然やる気がないような。(笑)

 いや、別にそれも大いにけっこうなんですけど、最近メディアに露出度が高くなって、いろいろ発言している谷口監督の諸々の発言で触れていたような“娯楽性”の趣旨とは、一致していない部分も多いというのは思わざるを得ないです。

 特にロボットに関しては、アニメーションで最も有効なツールだと思っています。
 ロボットは、漫画や実写の映画にも登場しますけど、そこではメインストリームにはなり得ないんですよ。アニメにしたときに、初めてメインストリームになり得るんです。アニメーションはロボットが最大の武器なんですよ。

 うーん、すこしむつかしいいい方になりますが、ロボットは虚構でもあり、現実でもある、という事ですかね。それらしく見せることもできるし、ウソだけど気持ちよいでしょう、と表現することもできる。情報の整理がとてもしやすい記号なんです。

 “ロボットもの”にこんな前向きの言葉を与える人を最近あまり見たことがないような。(笑)
 だから、このリヴァイアスなんかは(もしかしたらガサラキなんかも)反省材料になっている点もあるのかもしれないなーと、そういう印象も持ちます。

 逆に『コードギアス』と比べても変わってない部分としては、「世界は自分には優しくない」、「抑圧した上で、突き破ろうとして出てくるのが個性だから」というスタンスは、このリヴァイアスからブレてないですね。これは薬じゃなくて毒なんだ、それがサブカルチャーなんだと言ってますが、毒を口に持って行かせるのが本当に上手くなったと。これははっきりと思いますね。(笑)

 それで、娯楽に乏しいと不満たらたらかというと、そうでもなくて、戯画化された人間模様の落としどころをどこに求めるつもりだろうかと。物語の成り行きを、あまり感情移入せずに眺めています。子どもばかりの集団の中で、いちおう上級生(エリート?)の“ツヴァイ”あたりは官僚なんだろうし、ブルーらの不良グループは政治をやったんだろうな、とか。あとファイナにはカルトっぽい宗教の気配もしてきたし。こんなに分かりやすく記号化しちゃうのか。
 描写であまり垢抜けないなと思うのは、劇中時間の経過なんかがほぼセリフで進行している感じで、アニメ的というより、これは小説の手法なんだろうと。エロチックなほのめかしの用法が少し下卑ているのも不快だけど、主人公周り以外の“その他大勢”をチャラかして描いているのも、娯楽の方向性を間違っている気がしちゃいます。人々がこんなことだと、普通にシミュレーションしていれば(主人公周りがどうあれ)、ここまで長い物語時間には本来耐えられずに、リヴァイアスという船はとっくに自壊していそう。
 その辺のリアリティバランスも考え直されて、後年の『ガン×ソード』とか『コードギアス』になってるんでしょう。善良な市民さんが、この『無限のリヴァイアス』と『コードギアス』にしばしば言及しているんですけど、両者を(批評的な目でなく一観客の目で)平たく見比べてしまうと、リヴァイアスの先駆性というよりも、’90年代的なものの残滓からゼロ年代的なものへの伸びしろというか、変化というか、私はそっちのほうを強く意識してしまいます。

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