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『逆襲のシャア』は難しいけど、いい作品ですね 

[2008/01/09] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(10) | TOP ▲

 「GyaOで放映してるから、みんなで見ましょう!」って書いて、それからも、この年末年始で何回か見たんですけど、やっぱりこれって難しい作品だなぁと思っちゃいました。見直すほどに何かあるんだけど、それにしたってこの物語のカオスっぷりはすごいですね。これは“SF”とかじゃなく神話説話の世界みたいなもんだと思って観たほうが楽しいです。理解・読解するっていうよりも、物語丸ごと体験するという種類の作品なんでしょう、きっと。
 見始めると途中でやめられないし、悪いけど正直言って、GyaOの画質では見られたもんじゃないぐらい、瞬時も画面を見逃せない気がしました。(笑)

 でも私は『逆襲のシャア』の物語は好きだけど、演出的にはうまくいっていないところもあるような気がします。細かいことを言うと、たとえば富野アニメにしては戦闘シーンがあまり好きでないですね。
 すばやく細かく動かすことに力を注ぎすぎていて、それは客観的時間軸のリアリズムなのかもしれないけど、登場人物たちの心情の動きを反映した感覚的表現を遠ざけすぎているような。なので富野節全開のセリフと画面が響きあわない場面がしばしば見られる気が。(逆噴射の描写とか入れてもいいけど、小技が目に付くのはマイナス効果の場合もありますよね。戦術で言ったらダミーバルーンとか。ちょっとガチャガチャと画面がうるさい・・・。)

機動戦士ガンダム 逆襲のシャア

 「富野監督の全ての作品のなかで『逆襲のシャア』が、もっともキャラクターの肉づきのある作品である」と、“アニメ様”こと小黒祐一郎先生もおっしゃています。けど、細部の描写に限らず、たぶん普通には、これって心情表現にしても“過剰”なんじゃないかと思います。庵野さんの『エヴァ』なんかは、こんな“カオス”でもいいんだという意識で、でもこの“過剰さ”を、もっとスマートにやろうとしたのかも。

 一生懸命みていても、やっぱり混乱しちゃうんですよね。意識がすごくあちこちしてしまう。クエスとか、ハサウェイとか、まあギュネイも含めて、イタい子ども過ぎて、むかむか気分悪くなってきちゃいます。
 とりわけハサウェイは、『Zガンダム』でのカツの再来かなぁ。いるんですよねぇ、こういうウザいやつ。でも、もっぱら嫌なやつのギュネイみたいなのも含めて、「いるんだよなぁ」って。自分がこのぐらいのガキだったときの姿に、何か思い当たる部分があったりもします。(いや、今でもけっこうあるかもしれないけど。)・・・だから余計に気分悪い!(笑)
 それで、その腹立ちをクエスに向けたくなるんだけど。“いくらなんでも、お前、イタ過ぎるだろ!いねーよ、こんなヤツ!”って。なのに、そんなやつに限ってひときわ丁寧に(セリフ外の細かな描写を含めて)、“あー、でも。この子はどうしようもなく、こうなんだろうなぁ。”って思わせられちゃうのが、また。うぐぐぐぐ・・・。
 『エヴァ』ってのは、このへんを特に前景化して、汚い大人の部分を背景へと押しやったのだったかも。そうすると、人間ドラマの構図としては分かりやすいですよね。なのにアムロやシャアの物語のはずの『逆シャア』は、このウザい子どもたちを、なかなか脇へも背景にも押しやらないから分かりにくい。

 それどころか、アムロが主役と思っていても、シャアのほうが立ち回りもうまいし口も立つし、しまいに余裕かまして敵に塩を贈るような真似までして。どっちが物語のオモテ面か、どっちが裏面か、かなり周到に分かりづらく作ってあるんですよね。言葉づらを追っていると、「アムロ、あんたちょっとセコイよ」とまで、小憎らしいガキに言われちゃうし。(この作品、言葉づらをまるごと真に受けて見ていると、わけ分からなくなりますけどね。心眼で観よ! 笑)
 よく観ていれば、連邦を騙すのはいいけど、年端も行かぬガキどもを口先三寸で騙しているし、(あのナナイにまで影で「いい子だ」とつぶやいていたりして、)シャアのやってることは、まさしくアコギなんだけど、愚直な対応に追われて振り回されてしまっているアムロに感情移入し続けるのは、けっこう難しいです。ついつい心が揺らぐ。

 主題歌で「メビウスの環」って言っているのは、このどっちがオモテか分からない物語のことなんでしょうね。表裏が相照らすことで、明らかになるのは、ぐるぐる無限に円環してしまう構造で、それは人間は、その背負った“業”を乗り越えることができるのかという問題に繋がっていて。
 だから決着らしい決着なんてつくわけがないんですよ。かつて『イデオン』で富野監督は、同じ問題を滅びの向こうの再生というかたちで仮定して見せたけど、多くの人は“再生”の可能性なんかには目も向けずに、“皆殺しの富野”としか理解しなかったんだと思います。それも無理もない、誰も彼も現世への執着は強いんでしょうね。
 『逆襲のシャア』のラストは、その流れで言えば、では現世で奇跡の可能性をぎりぎり垣間見せたい、と思ったのだったかもしれないけど。みんなシャアのほうが好きなんだなぁ。「しかし、これはナンセンスだ」で終わってる人が多いような気がします。・・・哀しい。

 今回は妙に文句が多くなっちゃいましたが、『逆襲のシャア』は、やっぱり見応えのある傑作だと思います。監督の最初に意図したとおりにできなかった“大人の事情”が小さくなかったらしいことも知ってしまったし、今の富野監督ならば『GUNDAM EVOLVE』で示したように、あの子どもたちとの別の関わり方も提示できたかもしれません。
 本当は公開時に劇場で、“ああ、これでガンダムも終わったなぁ”と感無量だった思い出もあります(笑)が、でも、『ブレンパワード』以後の今の目で振り返ってみても、『逆襲のシャア』は、アムロもシャアもその物語の中で精いっぱい生き、戦い抜いたように、当時の富野監督がなし得る限りの力を注いだ、その誠意が感じられる力作だと思います。

GUNDAM EVOLVE PLUS (ガンダムイボルブプラス)

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素直な言葉で語り合う難しさ 

[2006/02/13] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(3) | TOP ▲

今日は忙しかったっす。
仕事も忙しいんですが、他にもイロイロ。(浮いた話ではない・・・。)

ネット上とはいえ、某ものすごくカタイところで、ものすごくマジメな議論をしてました。自分の考えを押し付ける人って、どこにでもいますね。
そこはとてもマジメなところなので、丁寧に、感情的にならないように、相手の意見のいいところを聞きながら、「その言い方はおかしいですよ、それじゃ建設的な話に向かいません」ということを、相手の感情を害さないように言わなくちゃならない。

・・・いえ、本当は、誰が読むのかが特定されていない、こういうインターネット上という「開かれた場所」で話すことは、本来すべからくそうであるべきなんですけどね。私は皆さんに甘えているのかもしれないと、ちょっとそんなことも思ってみたりとか。(・・・少し反省。)

見えたこと、見て思ったこと感じたことを素直な言葉で語り合うということが、実はそこでの活動のポイントだったりするんですが、よく考えてみたら、ここでやっていること、やりたいと思っていることも同じであるのかもしれない、とも。
どうしても知ったかぶりをして、聞きかじった知識を語りたくなったりするものなんで。これが意外と難しいことなのですよね。

上記もすっかり世間話モードですが、追記はさらに雑談モードです。(笑)

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