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ΖΖが見たくなるなんてびっくり! 

[2006/08/01] | 御大 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

機動戦士ガンダム ZZ 1 機動戦士ガンダム ZZ 1
矢尾一樹、 他 (2002/03/25)
バンダイビジュアル

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 ZZもVも荒唐無稽な部分があるものの、Vの方が深みが感じられるのは、作品の方向性からなんでしょう。(わんこさん

ZZは覚えてないと言うくらい開き直って作った作品であるのに対し、Vガンダムはスポンサーや過去のファンへの反骨心で作り上げた部分があるので、そこがメッセージ性の強さの差になっているのかなと思います。(ルロイさん

 すごくいいコメントをいただいて、うれしいんですけど、白状すればΖΖはオンエア以来、見返していない私なのでした。まったくモチベーションが上がらなかったのですが、おかげさまで今なら見れる気がしてきましたヨ。でも、さすがにVガンダムを見終わってからにしたいと思います。
 あちこちネットを見て回っていても、ΖΖの作品論を書いている所を見ることは少ないですね。私の引き出し(ブクマ)を「がさがさ」と捜してみても、ルロイさんのところと子犬さんのところぐらいしかチェックしていませんでした。

 かつてファースト・ガンダムが型にはまったスーパーロボットアニメに一石を投じたのに対し、ダブル・ゼータはリアルロボットアニメに一石を投じたのである(ファーストのように革新は起こしていないが)。そう言った意味では評価すべき作品であり、また内容自体も悪くはないのだ。
 ダブルゼータの評価を限りなく下げているのは、この作品が「ゼータの続編」だからである。ゼータと同じ世界で同じキャラが出ているにも関わらず、登場人物の扱いがまるで違うのだ。それはリアル志向のファンどころかゼータを正当に評価したファンでさえ遠ざけてしまった。ダブル・ゼータもまた、ワン・オブ・ザ・ガンダムとして見なければ評価できない作品なのだ。そういう意味では、この作品はガンダムの続編としては完全に「失格」なのである。
M.S.Classify―ガンダムの、正統な続編とは

『ZZ』の前に『Zガンダム』をやるという企画をきいた瞬間に、ああこれでタガがはずれるということが判ったんです。それで実際にオンエアを始めてみたら、やはりそういう気配がある。案の定オンエアの2クールも終わらないうちに来年もまたやるぞという話で、ああほんとに外れた、と。それで別に外れたならば徹底的に外れさせてみせるということで作ったのが『ZZ』だった。だから『ZZ』というのは僕にとってはかなり気持ち悪い仕事なんですね。
LD-BOXライナーノートより ひびのたわごと―富野アニメ第一話大横断第十二回

 これも難しい作品だと思うんですが、見直してみる価値は充分あるような気が急にしてきましたよ(笑)。
 まだだいぶ先になると思いますが、見たらまた思ったことを書きたいと思いますので、そのときには是非また話に付き合ってくださいませ!
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Vガンダム 第6巻の補遺 

[2006/07/29] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

 機動戦士Vガンダム、20話ほどは辛抱しながら見てきたら、ここへ来てやっと見え方が変わってきたというお話を前回しましたが、今日はちょっとその続きを書いておきますね。
 この作品は「“ガンダムらしさ”からの離脱(レギュレーションの変更)の試み」という点で、ΖΖに繋がってるんじゃないかと考え始めたら、なんかいきなり視野が開けてきたような気がします。で、これに先行するものがΖΖだったとしたなら、後続するものが∀ガンダムだったという位置づけになるんじゃないでしょうかね。(Vガンダムの終了後にはじまった、最も“ガンダムらしさ”からは遠いと目されるGガンダムに対する富野さんのスタンスというのも、そう考えれば何だかうなづけるような気がします。)

 前回はストーリー運びの話をしてしまったのですが、もう少し分かりやすいところで戦闘描写の中で気になったことを少しメモしておきます。
 たとえばモビルスーツではなく「生身」の相手を撃つことへのためらいというのは、ファーストガンダムでも既に描かれていたことでしたが、「戦場でそんなものにこだわっていては死ぬだけだ」という方向へとどんどん流されていってしまった気がします。
 たぶん、実際に少年兵が戦場に立ったなら、そうした疑問を持つのはほんの最初だけで、すぐに「殺すか殺されるか」のゲームに順応してしまうのが、本当の姿でしょう。自分より明らかに弱いと思われる敵に遭遇した場合、せいぜいでもアムロのように「なぜ出てくる!」と言いながらためらいなくトリガーを引いて瞬殺。そして哀れな学徒兵の最期のほうを乾いたタッチで描くというのがガンダムのレギュレーションでした。
 そういう意味で言ったら、ウッソは名前のとおりに「嘘」ばっかりの少年で、こういう荒んだ戦場で戦ってきて、この期に及んでまだトリガーを引くのにためらうなどというのは、そうしたガンダムの世界観の中ではこれまで許されなかった作り事です。
 ΖΖ~Vガン~∀というのは、テイストも印象もそれぞれかなりはっきりと違いますが、ジュドー、ウッソ、ロランという主人公の少年たちに注目してみていくと、共感できるか、感情移入できるかというのは別にして、富野監督が描きたかったキャラクター像というものの連続性が見えてくるような気がします。

機動戦士Vガンダム 第6巻 

[2006/07/28] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

機動戦士Vガンダム 06 機動戦士Vガンダム 06
サンライズ、逢坂浩司 他 (2004/01/23)
バンダイビジュアル

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 第6巻は、第21話「戦略衛星を叩け」から第24話「首都攻防」までの4話です。
 ここまで、けっこう苦しみながら、ほとんど「次こそは良くなるんじゃないか」という期待で見続けてきたVガンダムです。でも前巻最後の予告編(まだ最終回も程遠いだろうに老朽戦艦でカイラスギリーに突入するというストーリーはベタに強行されるらしい・・・)を見て、正直、今回はあまり期待しないで借りてきたような気がします。TSUTAYAで手に取ったときにいちおうパッケージも見ますが、「なんだってぇー? ザンスカールの本国潜入ー!?」と、しばらく固まってしまったというのも本当の話。

 ・・・というわけで、かなり低い期待度で臨んだ第6巻でしたが、なんと!

 自分でも意外なほど、今回は楽しく見れましたヨ!(笑)

 これ、何て言えばいいのか難しいんですけど、「あ、この作品は、いわゆる“ガンダム”っていうイメージとは、レギュレーションを変えるのね」ということが、やっと呑みこめてきたと言いますか。レギュレーションってのはF1レースなんかで言うところの規則・規制ですが、ファーストガンダムから始まる「宇宙世紀」から地続きの物語は、どうしてもその世界観に縛られるところがあって、作り手の側も受け手の側も、双方がそういうお約束を自明のことだと思い込んでいる。それが目に見えない規制になっていると思うのです。
 そう考えてみると、ガンダムのレギュレーション変更の試みというのは、たぶんダブルゼータもそれだったのかもしれないんですけど、あのΖガンダムのラストからまったくの地続きで、考えてみれば無茶したもんですよねぇ。

 とにかくまずテレビアニメの原点に戻って、楽しいロボットアニメものにしたい。
 たとえば、主人公がなぜ13歳なのかといえば、それが最も見てもらいたい年齢層と重なるからです。同じ理由から、ストーリーもかなり主人公の”ウッソの目”を強調したつくりになっています。

Vガンダム製作段階(1993年2月8日)のインタビュー(ニュータイプ誌93年4月号より)・・・yasuakiの新批評空間

 第6巻の楽しさというのは、この感じだと思うんです。ガンダム“らしさ”の否定というのが、たぶんスタッフの間で共通理解できてきたんじゃないだろうか?
 前の第5巻でシャクティが敵側の手に渡るあたりの描写などでは、「ちょっと自棄?」という印象を持ったのですが、この巻の、例えばザンスカール本国の宮城に強行着陸してしまうVガンダムみたいな描写では、(こんなのはリアルっぽさを追求する世界観から見れば、ほぼ噴飯モノの荒唐無稽な展開ですが、)それを楽しんでアニメとして魅力的なものに描こうとしている気がしました。

 「とはいえ話は複雑でヘンなつくりなんですが・・ 」(富野監督)

 (笑)
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