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ある種のプロ論? 岡田斗司夫の『遺言』第五章 レポート感想 

[2008/05/05] | ネット巡遊記 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 引き続き、低空飛行継続中です。今月下旬まではこんな感じ。どうにもこうにも。

 期間限定とかいろいろあるんだけど、休めないし。もう基本あきらめる方向で。ちょこちょこっと空いた時間に気分転換であちこち覗いてみるのが精いっぱい。

 きょうはこちらで紹介されていたリンク先「冒険野郎マクガイヤーの人生思うが侭ブログ版」を拝見。

 「ふしぎの海のナディア」の話がメインで、ガイナックス好き、ナディア好きには美味しい話なんだろうと思いながら読んでましたが、私、あんまりナディアって得意じゃなかったんですよね。

日本アニメの黎明期ではなく、青春期に立ち会えたのは幸運だった。「俺達の熱い思いが伝われば、視聴率なんてどうでもいいぜ!」みたいな考えが受け入れられた。そして、アニメが生活の手段になる前に辞めることができた。

 明け透けに好きなことを言うなぁ。ついつい富野監督の顔を思い浮かべながら読んでしまいました。

そもそも、一年間のTVシリーズのような長いアニメを作る時は、最初の段階から一年分の脚本が完成しているわけではない。視聴者やスポンサーや様々な人間の反応をみて軌道調整していくわけで、シリーズの終わりのほうになると、色々な要素がどう転がっていくか分からない。

だから、シリーズ開始前の初期設定の段階で、布石となるキャラクターを置く。例えば富野さんは「ガンダム」において、カイ・シデンやハヤト・コバヤシが最後はあそこまで転がっていくとはシリーズ開始前に予想していなかった筈。あたかも将棋を指すかのように登場人物をうまく配置した結果、意外なところで活きてきた。

これが僕達の世代のクリエーターは苦手である。一見無駄と思えるキャラを容易に配置できない。将棋に対するチェス型で、終わりに近づく程どんどん動かせるコマが少なくなっていく。キャラが使い捨てられていく。

 でも、こういうことを率直に言えるのも、オタキングならでは。こういうキャラクター論はとてもよく分かります。

しかし、僕たち実際族の思いとは裏腹に、「ナディア」最終回はどんどんキャラクターショーになっていった。でもそれが面白い。庵野は予算的にも時間的にも不利な状況で、しかも「チェス型」のキャラ配置という理由から動かせるキャラが制限されていく中、よくこの最終回を作った。

 こう分析されると、『ナディア』という作品のこと、自分が感じた内容が少し分かった気がしました。

以前は「言いたいことを言わなければ損だ」と思っていた。

それが、BSマンガ夜話なんかでちょくちょくTVに出るようになって、「なるべく楽しそうな顔をして、楽しそうな話をしなくては」に変化してきた。

現在は「TVとは時間と季節を表すショーウィンドーである」と考えている。茶室の中にある花のようなもので、そうでなければあんなに黒くて大きな物体を部屋に置いておく必要はない。TVに出演するということは、その中のパーツの一つになりきるのが正しい。

大学で講義をするということも同様。アカデミズムとか良い授業をするとかが重要なのではなく、いかにも大学で講義していそうな人の顔をして、いかにも二十歳くらいの人の心に届きそうなことを言うのが重要。

これは、諦めているのではなく、「形から入る」という考え方に近い。そこで求められる風景の一部としての自分になりきる。その風景が空気を作り、時代を作る。

 今回、この記事を読ませてもらったことを書き留めておこうと思ったのはここの部分。

 まあ「アニメが生活の手段になる前に辞めることができた」と言える人だから、こういう考え方になるんだろうし、「そこで求められる風景の一部としての自分になりきる。その風景が空気を作り、時代を作る。」っていうのは、時代の空気の成り立ちについて的確な分析なんだろうなぁと感心もしました。

 だけど、やっぱり違和感があるのは、そういうアニメの「青春期」が過ぎちゃったことは百も承知で、製作の現場に向き合い続けている人もいるのになぁという感覚です。なんか、ちょっと悔しいんですね。(笑)

 求められる自分になりきって、対象世代の心にちゃんと届きそうなことを言いながら、なんとか「言いたいこと」を入れ込めるように、みんな苦労してるんじゃあないのかなぁと。
 ただ、それが必死さが出ては駄目なんで、「なるべく楽しそうな顔をして、楽しそうな話をしなくては」というところが、ある意味では現代のプロ論なんでしょうね。そこは納得。

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やはり私は“一人の観客”として富野監督のファンです 

[2007/01/05] | 御大 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 今年は正月から、モニターを前にして思わず小躍りしたくなるぐらい、スパッと気持ちいいコメントをいただいたので、記事にもしておきますね。

ところで富野由悠季氏にはふたつの面があります。監督と批評家です。
一般的にいって、批評家は、作品をカウンターカルチャーとかサブカルチャーとかいって分類します。一方、監督は分類を越えた普遍的な作品を目指します。
富野氏は批評家としては、分類を混乱していると思います。しかし、これは監督としては当然です。なぜなら監督は分類を越境しなければいけないからです。
オタキングは批評家です。脚本を書いた『トップをねらえ!』という作品はロボットアニメとスポ魂を掛け合わせる、という発想から企画されたそうです。逆にいえば、分類をする批評家ならではの発想です。
つまり監督と批評家は両立しないと思うのです。僕の感じる「反感」はここにあります。
h-nishinomaruさんのコメント


 個人的な感想かもしれませんが、「やったー!」ってぐらい嬉しいコメントです。なんか、体重が12kgぐらい軽くなったような気分♪
 そうですね、富野由悠季という人には監督と批評家の二面性を見ることができる。そして物事を分類して考える批評家としては混乱気味でダメな人だけど、分類を越境したものを創造すべき監督としては、それはそうあるべき姿勢だとも言える。
 h-nishinomaruさんが反感を感じると言われた、両立しがたい二面性という指摘で、私はむしろ、とても楽になったような不思議な気持ちがします。
 今日はルロイさんのところで、「“なんとか雑念を振り払って無心に物語を受け取りたい”と願いながら、実はなかなか果たせていなかったりします」などとコメントしてたりしたのですが、私の願いは作者と肩を並べるような創作者の視点でもなければ、作品を鳥瞰する批評家の視点でもない。「毎度うだうだ下手な長文を書き綴っていて何だ」って話ですけど、以前に珍しく御大への不満を書いたときにも触れたように、“一人の観客”として、作品の中で表現されたことだけを観たい、そこに没頭して味わいたいというのが、たぶん私の最大の願いだと思うのですね。・・・だから私は監督としての富野由悠季という人だけを見たがってるわけだけど、それがなかなかうまく果たせないという話。
 ああ、そうそう。私がオタキングのほうに抱いてるイメージは、以前に書いたこのへんが原風景だと思います。(→「王立宇宙軍 オネアミスの翼」)

「しかし、このページを見ている君も僕も、すでに観客ではない。」
「君と僕は、この富野監督の発言を聞いてもいい世界にいる。すなわちそれはアニメ界というムラだ。」


 私が「反感」を感じるのは、むしろこっちのほうだという、そういうことです。そんな自分の立ち位置がよく分かったということが、とても嬉しかったんだと思います。
 それでもよく分からないのは、富野監督自身が批評家気取りで喋っているのか、言葉を見聞きしているこちらのほうが、(彼は、あくまで“一人の監督”として言葉を発しているのにもかかわらず、)彼の言葉を批評家のそれとして聞いてしまっているのかというようなこと。モノーキーのkamimagiさんが、「ともかく、ファンは語り手に偶像を求める」と言っていたことなんかも(いろんな意味で)思い出したりしました。
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王立宇宙軍 オネアミスの翼 (1987年) 

[2006/01/27] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(6) | TOP ▲

気まぐれで「王立宇宙軍 オネアミスの翼」を借りてみました。感想にてこずっていたと言うのは、この作品のことです。

架空の星にある、オネアミス共和国の宇宙軍。うだつの上がらない若者たちが、初の有人ロケット打ち上げを目指すために奮闘するアニメ映画。異世界の描写、緻密なアニメート、坂本龍一の音楽などで話題になった。
ガイナックスは、この映画のために作られた制作会社。


はてなダイアリーの記述はあっさりしたものですが、作画スタッフは分かる限り名前を挙げているようです。

GAINAXの公式ページはこちら

ガイナックスの記念すべき初制作作品。バンダイの映像事業進出の第一歩として企画された映画であり、制作費8億、音楽には坂本龍一を起用とするという異例の大作でした。この映画を制作するため84年に設立されたのが、ガイナックスなのです。
監督の山賀博之をはじめ、メインスタッフのほとんどが当時20代、商業アニメ作品の制作経験もほぼ皆無。しかしこの作品の作画レベルは、当時の水準を遥かに凌駕するものとなりました。
それ以上に驚異的であったのは、アニメ映画の常識を覆す徹底したリアルな描写です。作画の緻密さもさることながら、オネアミス王国という異世界の精密な設定、そして決してヒロイックではない、等身大の主人公たち。その圧倒的なリアリティによって、アニメ映画という枠を超えて高い評価を受けました。



外堀ばかり埋めて申し訳ない。・・・お好きな方には申し訳ないのですが、私はこの作品、正直あまり楽しめなかったのです。楽しめなかった作品のことも書くべきなのかどうか、少し悩みましたが、あくまで個人的メモとして、思ったことは書き留めておきましょう。あまり作品のディティールに触れる話ではないので、重ねて申し訳ない。

嫌な人はここから先は読まないでください…。

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