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人生の大事なことは、すべてアニメで…?(笑) 

[2006/10/17] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 最近、古くからの友人との交流が少し復活してきて、友達の少ない私としては、とても嬉しいです。その中で、いい歳こいて昔みたいにアニメに夢中になり、毎日のようにブログを書いてる私は、いい話の肴になるわけです。(笑)

 先日、私は「芸術と藝術」という記事の中で、「藝術」というのは「リベラル・アーツ」の訳語、リベラル・アーツの原義は、「人を自由にする学問」、「自由学科」のことであり、それを学ぶことで、自由人たる教養が身につくもの、とWikipediaでにわか勉強したことをメモ程度に書いたんですけど、なんか、それを気に入ってくれて。
 エライ人の言うことを聞いて“奴隷”でいるほうが仕事はとりやすいんだけど、そんなことで大事なことを見過ごしたくないよね、とか。ただ、それでも“自由人”には、やっぱりお金がないと駄目なのかなぁと、お互いその辺で引っかかってしまうのでした。…それは結局、「お金がない」ということがひとつの制約になってしまうということなんだけれども。
 たとえば毎度、制約だらけの中で作品を作っている富野監督に比べると、宮崎監督のほうがやはり“自由人”なんだろうか、などと思ってみたり。制約の中でこそ、出来る何かがあるんじゃないだろうか、などと考えてみたり。
 で、いきなり話は東京国立博物館でみた「伊藤若冲」に転じて、この作家は比較的裕福で好きなように制作したらしいね、とか。(あと、ヤマトの話で、あの時代、わが友人ドノもやっぱり右傾化傾向だったと同感してくれたり、とか。)

もっと知りたい伊藤若冲―生涯と作品 もっと知りたい伊藤若冲―生涯と作品
佐藤 康宏 (2006/02)
東京美術

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「芸術」と「藝術」 

[2006/10/08] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 ウェブで目にとまって、ちょっと興味深かったので、自分用のメモに書き留めておきます。

なお、日本語「藝術」という言葉は、明治時代に西周 (啓蒙家)によってリベラル・アートの訳語として造語されたが、いまではアートの同義として使用されている。現在は漢字制限(当用漢字、常用漢字、教育漢字)により、「芸術」と書く。

しかし、「芸」の音はウン、「草を刈る」のが本義であり別字であり、日本国政府による日本語政策は文化破壊的である。本来「蓺」か「○」(○はくさかんむりの下に「乙」の漢字)と書くべきである。
芸術 - Wikipedia

 東京芸大は、昔はがんこに「東京術大学」と書いていて、最近はそうでもなくなった。うちは歴史のある由緒正しい大学なんだぞ、と威張っているのかと思っていたけど、そうではなかったらしい。…正直スマンカッタ。

 そこにジャンルの「例」が書かれている。たとえば音楽はクラシック限定で例示されているのは、“それが芸術であること”への異論が出にくい(コンセンサスがある)ということなのかな。その意味では、少し前だったら「デザイン」とは書きにくかったのかもしれないですね。もちろん「アニメ」なんてものがこんなところに出てこようはずがありません、ハイ。
 今では「工芸」が芸術であることを疑う人は少ないわけですが、そこへ至る歴史というのはなかなかに屈折に満ちたもので大変興味深いものです。

 それはさておき、「藝術」というのは「リベラル・アーツ」の訳語だというので、そっちもWikipediaで見てみたら、今日の日本で芸術といわれたときに一般的な「視覚芸術」みたいなものはほとんど含まれていなくて、むしろ「一般教養」だというのを改めて読んで、へぇ~…と感心しました。

原義は、「人を自由にする学問」、「自由学科」のことであり、それを学ぶことで、自由人たる教養が身につくものである。この自由人とは古代ギリシア社会においては「奴隷」と対である相対的概念であり、今日的な意味で「自由」を捉えると、原義はわかりにくいものになる。

 …ということで、奴隷ではない自由人を、自由人たらしめるために必要な教養こそが、本来の「藝術」なのである、と。
 今日の社会で、私のような貧乏人は、自由人であるなどとは到底いえないのかも知れず。…逆に言うと、お金持ちのためにしかならないようなものだけが、ゲージュツとなり得ることができるのか、とか。(工芸のたどった道は、厳しいことを言えば、それに似ています。)

 今日の社会にあって、たとえ貧しくとも、「自由人」であることが可能であるのか否か?くだらぬ趣味の話をしているだけのようであっても、突き詰めていけば、根本的な問題はそういうことに繋がっているのではないか、いやそうであるように努めねばならないのではないか。
 財政力だけではなく、教養もまた貧しい自分の身分も省みず、今日はなんとなくそんなことを、ふっと考えてしまいました。


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「メディア芸術100選」だとか 

[2006/10/01] | ネット巡遊記 | トラックバック(1) | コメント(2) | TOP ▲

文化庁メディア芸術祭10周年企画
日本のメディア芸術100選 結果発表


 今日はこんなところに目が留まりました。なんか分かるような分からないような(笑)。
 “メディア芸術”って何かという定義が確立してないつらさがあるわけなんですが、とにかく「アート」「エンターテインメント」「アニメーション」「マンガ」の4部門から各25点、計100点ということのようです。
 アートで言うと、岡本太郎「太陽の塔」がメディアアート? それとNHKスペシャル「驚異の小宇宙 人体2 脳と心」が同列? それとオノ・ヨーコの天井に小さく「yes」やハイレッドセンターの「首都圏清掃整備促進運動」が同列?…“メディアアートって何か”というイメージが分かりにくいので、きっと投票する人も困りましたよね。(そもそもノミネート作品からして指標にはなりがたい。もっともエンターテイメント部門などは、アート以上に何を基準に考えればいいのか分かりませんけど。)
 ただ、これアンケート概要を見ると、アート部門に投票した人はたったの1,043人。アニメの12,840人、マンガの13,070人と比べたときの人気の違いはどうなのよ、と。アニメやマンガに投票した人の中で、奇特な方がアート部門ものぞいてみて、たまたま知ってる名前に票を投じたというような現象もあったかもしれないですね。
 まあ、それに比べれば、アニメマンガは意識の高い投票者は多かったんでしょうが、ネットに強い世代の人たちの投票行動が大きいのは、当然の現象ですね。

 なので、むしろ興味深く見れるのは、年代別のリストでしょうか。こうやって年代別+部門別で見ていくと、(それでも知名度に引っぱられている印象はあるものの、)それなりなラインナップかもしれないですね。同じ年代で横に並ぶジャンルを見比べる面白さもあります。
 私の世代だと、60年代エンタメの「人生ゲーム」「わんぱくでもいい…」「カステラ一番、電話は二番…」あたりはけっこうツボ。アニメはやっぱり70年代で、「ガンダム」「カリ城」「999」「コナン」「ヤマト」と納得の顔ぶれの中に、「ハイジ」「ルパン3世(第一シリーズ)」「ガンバの冒険」などが入っているところはかなり嬉しいです。(特にガンバかな!)
 70年代エンタメではやっぱり「スペースインベーダー」でしょうかねぇ。(あー、あと『超合金』か。)
 80年代エンタメは何と言っても「ファミコン」ですが、アニメではジブリ黄金期の到来ですね。個人的には、「逆シャア」「Z」が入るぐらいなら、なぜイデオンが入らないのかと。(笑)
 90年代エンタメは「プレステ」か。(素直にゲーム機で追ってる?)おお、「ウゴウゴルーガ」!これは懐かしい!アニメは『エヴァ』『攻殻機動隊』ですか。(そりゃまあ、ブレンとか∀とか、知名度ありませんわなぁ…。)ふーん、「CCさくら」「セーラームーン」か。なるほどなるほど。
 「プレステ2」って2000年代だった?「DS」は妥当だよねぇ。おぉぉ、こんなところに「mixi」が出てくるの?(メディア芸術って…なんなの!? 笑)

 富野監督の10選の話は前に書いたような気がするけど、気のせいかなぁ。一応載せておきます。

1. 『鉄腕アトム』 手塚 治虫ほか
2. 『あしたのジョー』 出 統
3. 『アルプスの少女ハイジ』 高畑 勲
4. 『機動戦士ガンダム』 富野 喜幸(現・富野 由悠季)
5. 『キャンディ・キャンディ』 今沢 哲男
6. 『まんが日本昔ばなし』 芝山 努/りんたろう/杉井 ギサブロー
7. 『銀河鉄道の夜』 杉井 ギサブロー
8. 『となりのトトロ』 宮崎 駿
9. 『うる星やつら』 押井 守/やまざきかずお
10. 『頭山』山村 浩二

 いろんな意味で面白いですね。(笑)
 その下に専門家が選んだ上位も載ってて、「ナウシカ」「鉄腕アトム」「AKIRA」「カリ城」「まんが日本昔話」「エヴァ」「ガンダム」「サザエさん」「999」「ドラえもん」「トトロ」「頭山」…といった順。これも分かるような分からんような。(アニメの専門家49名ってどんな人たちよ。)


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「ロボットもの、アニメもアートになる可能性があるかも知れない。」富野由悠季 

[2005/12/01] | 御大 | トラックバック(0) | コメント(5) | TOP ▲

書きたいことの計画はどんどんと狂って行くものです・・・。

ガノタ界最凶と自ら名乗る(笑)G_Robotismさん。たいてい「停滞するかも」と宣言した、しばらく後ぐらいに見逃せない記事が載るんですよね。
「御大信徒の方につきましてはどうぞ直リンなり部分引用なり全文コピペなりで御自由にお役立て下さい。」って・・・私にこれを書けって言われてるみたいに読んでしまうのは気のせい?

今日の注目は 富野×HJ対談

東京のガンダム展に御大が作品を出品しているタイミングを狙って、1992年のホビージャパンに載っていた富野インタビューを引っ張り出してくる、引き出しの多さがスゴイ。

10年程前に朝日新聞『若者の広場』で
「子供の尊放する人No.1」に輝いた映画監督、
富野由悠季氏


とりあえず、この紹介の仕方、すごいね(笑)。以下、時期的にはF91以後ということで、元気なくなりかけ(「ノッていないと言っておきます」)の御大を、実にうまくくすぐる(?)インタビュアーの腕も見所です。「極端に言えば、どういう状況でも、それに上乗せできる“自分の持ち物″があるか、だけが問題なんです。」みたいに職人の自負くさいけど、いいセリフを引き出しているナイスインタビューですよ。
作品に込めた想いが、現場のスタッフやプロデューサー、スポンサーに理解されない状況への悲嘆は、この後にだんだんと落ち込んでいく時期らしい発言ですね~。しかし、やがてここから「∀の癒し」を経て、現場のスタッフたちとの関係が出来てくるわけです。
しかし、このインタビュアー何者だったんでしょ?例えば富野作品は“人間性”への回帰だけじゃなく、「生きていくために必要なこと、目の前にあることをいかにクリアしていくか、という事を常に訴えてきていたと思うんですが、いかがでしょうか?」・・・なんて鋭い質問、普通は聞かないんじゃないのか?(笑)
(“ロボットが好き”だけで作っていたらマクロスまでが限界ってのも、興味深い発言ですね。)

実は、ホビージャパンは毎月見させてもらっているんですが、見る毎に思うことがあるんです。それは、「モデラーの腕はあがった。もうこれ以上あがる必要はない。けれど、どうしてモデラーの仕事がアートにならないんだろう」


おお!kita082さんが読ませたかったのは、ここなのね。なんたってガンプラを寄せ集めて「アート」らしいものな、今回のガンダム展の御大の作品は!

僕自身のことですが、ガンダムにしてもそうなんですけれど、ロボットものの監督になろうとは思っていませんでしたし、今でも思っていません。意識として、映画監督になりたがっているんです。未だに。そういう点で“ガンダムの富野”のタイトルはかなり邪魔しています。決して不要だというのではありません。しかし“ガンダムの富野”だけで死にたくはない。


その想いが今回のガンダム展で必要以上にはしゃいで見える御大の根底にあるということ?「ガンプラとか作ってたかもしれないやつらが、今ではアーティストなんだ」というところに、今はロボットものとか作ってる自分をダブらせている?

しかし御大、ひとこと私の感想を申し上げれば、もしそうなら、それはイタくないですか?あなたは駆け出しの若手アーティストなんかとは比べ物にならない、現代日本アニメを代表する作家の一人なんだから・・・。

「変な卑屈感や屈折感を持たないで、ちゃんとした“人”でありたかったという事」って、・・・人間ってのは、自分と反対のことを目標としてしまうというのか。いや、分かってて自分に言い聞かせていると言うべきなんでしょうかね・・・。

「ものの見方っていうのは沢山あるわけですから。本当のようにひとつの物語、ひとつの世界として作品を作るのは非常に危険だと思います。・・・・・・ひとつの視点で判断しちやうと、ヒットラーのようになる。」この辺は、宮崎さんを念頭に置いて言っているんですかねぇ。

人間というのは、物事をかなりフラットに受け入れることが出来るということで、だったらその能力は大事にしてやりたいと思うんです。それでなくても自分の作品には“富野カラー”とでも言うべき主義主張が出てしまうわけですから、自分の主義であるよりも、ここではこうであった、ぐらいにとどめておく用心深さを持ちたい。


おお、御大!あなた自分のこと、こんなによく分かってる人だったんですね!

「富野さんにとっての嘘というのは何か実際にあった事柄が一方向からのみこれが正しいと決めつけた時点で嘘になる」なかなか深いまとめですね~。インタビュアーすげえや!

先程ちらっとアートの話をしましたが、ロボットもの、アニメもアートになる可能性があるかも知れない。その時……。



理想はいいと思うんです。
と言うか、たぶん中学生ぐらいのときから、私の頭の中には「アニメはどうしてゲイジュツじゃないんだろう?」というのが引っかかっています。激しく共感します。
ただね、ああいう形で「ガンダム展」のあることが、その答えかっていうと、私は違うんじゃないかと思ってるんですが。

しかしアニメを芸術アートだなどとは世間が思わない状況の中で、「ガンダム」の名を冠した展覧会が開かれ、大きな反響を呼んでいるだけでもすごいのか?「ガンダムの市場規模は云々」みたいな論点が多いような気はするが、どんな立派な「ゲイジュツ」とかにも負けないぐらい、アニメは既に影響力を持っているじゃないですか。
「死ぬまで嘘はつけないな」
そうでしょうとも!
死ぬまで見続けてやりますから、卑屈にならずに頑張って制作してくださいよ!!
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ガンダム展のこととか・・・ 

[2005/08/13] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

いつもお世話になっているシャア専用ブログ経由で「ガンダム、美術館に立つ!」という記事を見てみることに。やけにわかりやすく“夏休み企画”のこの展覧会、入場者数はどんな調子なんだろうか。こんなテコ入れ記事が出るってことは、意外と苦戦してるんだろうか。
はじめにファーストガンダムをテーマに展覧会をやるって聞いたときは「万難を排してでも絶対に見に行く!」と思ったもんだけど、内容を知るに従って、だんだん行く気がしなくなってしまった。だって「ガンダム」の展覧会じゃなくて、ガンダムをネタにしたゲンダイビジュツの展覧会なんだもん。あざとい商売根性には馴らされてしまっているガンダムファンとはいえ、何だか厭な感じが拭いきれない。私はね、ガンダムという映像作品をどう見て、何を思ったのか、ちゃんと美術館の学芸員が考えて、展覧会にしたのを見たかったの。
だけどアニメを美術館の展覧会で取り上げるって、やっぱり難しいのかな。アニメに限らず、映像作品ってのは難しいみたいね、やっぱり。
ゲンダイビジュツ好きの友達が金沢でやってるマシュー・バーニーだかなんだかの展覧会を見に行った感想を話してくれたんだけど、その人って映像の作家らしいのよ。(美術手帖だかなんだかでも取り上げられてたから、有名作家みたい。)でも、美術館の中に展示されてるのは、映画の特撮セットみたいなやつ。結局常時上映してるわけじゃないその映画を、別料金払って見なかったら、何のことやらホニャラララ~だって言ってた。(いや、その映画だって、ゲージュツに造詣の深い偉い人じゃなきゃ頭痛くなるようなイタタタタなものらしいですが。)
最近2本ぐらい、ゴダールって超有名(らしい)人の映画をビデオ屋さんで借りて見てみました。別にゲージュツに目覚めたってわけじゃなくって、インテリの学のある友人が「庵野はゴダールなところがイタタタタ」って言ってたのを聞いて、ふーん、エヴァにはどうも馴染めないけど、じゃあその元祖ってヤツを見てみようかぐらいの、すっごく不純で恥ずかしい動機。・・・で、庵野はゴダールってのは、あぁなるほどね、って少し分かったような気がした。(・・・それだけ、かも。)
エヴァを支持する人には、庵野の「底抜けの自分語り」に共感できるごく一部の人たちと、「こんな自分語りオッケーなんだ、ラッキィー!」と思ってる大勢の人がいるという分析を読んだことがあります。それもなるほど、と思うのです。・・・思うのですがね。いや、自分でブログ書いてみて、これもまた「底抜けの自分語り」だな、と反省もするのですがね。
そういうゲージュツ的なアプローチに対するアンチテーゼが、例えば最近富野御大がしばしば口にされる「娯楽性」とかなのかな、と考えてみたりしてるのですが、続きはまた今度にしましょう。
っていうか、ゲンダイビジュツとアニメオタクって、超マニア受けなところは瓜二つだな、と思うんですが、どうなんでしょうか。
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