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『雪の女王』(三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー) 

[2009/05/09] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

 差し引きだいぶ損している気はしますけど、いちおうゴールデンウィークの代休を少しはもらえたので、ちょっとリフレッシュ。何となく気分を変えてみたいところでもあり、ちょっと古典的な名作アニメーションを借りてきました。この『雪の女王』は若い頃の宮崎駿監督が強い影響を受けた作品ってことで、何年か前にスタジオジブリのプロモーションで上映もされたんじゃなかったっけ?

雪の女王 ≪新訳版≫ [DVD]

 検索してみたら立派な公式サイトがまだありましたんで、内容紹介なんかはそっちを読んでもらえれば。
 アンデルセン童話が原作。今の日本のアニメに慣れちゃってると、導入部なんかは少したるい感じもあるんですが、1957年に製作されたと言われれば、当時ならば観客を物語の世界に導きいれるのに、こういうやたらに丁寧な語り口が必要だったのかなぁとも。

 それでついつい、宮崎駿監督のいろんな作品のことを思い浮かべながら見ちゃうのは仕方がないって感じですが、絵の感じなんかを見ていると以前に見た『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)なんかは、『雪の女王』の強い影響下で作られたんだろうなぁと大いに納得。作劇のテンポなんかでも(これまた時代性なのかもしれないけど)似たような緩やかさを感じました。

 少年カイと少女ゲルダは幼馴染で大の仲良し。童話ですからねー。これがもう、この子たちがむちゃくちゃイノセントなんです。(私なんかは少し首を傾げたくなっちゃうぐらい・・・。)
 それがふっとした一言で、雪の女王の思わぬ怒りを受けてしまう。それで心を氷にされてしまった少年カイ(関係ないんだろうけど富野アニメ好きなら、ここは『キングゲイナー』終盤の“コールドゲイナー”なんかを連想しちゃうところ)。ってわけで、その後、氷の女王に連れ去られてしまったカイを探して、冒険の旅に出る主人公は少女のゲルダのほうなんですよ。アンデルセンの原作からそうらしいんですけど、少女のほうが活躍する物語というのが、なかなか面白いですねー。

 ところが彼女の武器は・・・「一途な心」、もうひたすらに、それただひとつ。

 主人公が飛んだり跳ねたり走ったりっていうアニメ的なエンタメ要素がほとんどない点では宮崎アニメとは全く異質な作品でした。でも、「主人公が何かを一心に想う気持ちでどんな苦難にもめげずに前進し続ける」という性質は、たぶん『未来少年コナン』(1978年)以来の宮崎アニメにも一貫しているものです。そういうところで『雪の女王』から受けている影響というのが強いんでしょうね。

 それともうひとつ、そういう主人公の前に立ちふさがる悪い心の持ち主たち(ここで非常に印象に残るのは、「山賊の娘」)が、彼女のひたむきさに接するうちに「浄化」されて協力者になっていくというパターンも同様に宮崎アニメに継承されていくもののような気がしました。私にとってはこの山賊の娘が、この作品の中で一番いい芝居をした、印象深いキャラクターで好きですね。

 ラスボスは最強無敵の雪の女王になるんですが、か弱いゲルダがどう立ち向かうのか、あるいは目が覚めたカイが大活劇を見せてくれるのか・・・などと思いながら見ていれば、うーん、そうか、こりゃまた不思議な・・・。(考えさせられます。)

 宮崎駿がこの作品を見たのは1964年ごろでしょうか(宮崎駿 - Wikipedia)。テレビで手塚治虫の『鉄腕アトム』がはじまったのが1963年。「テレビまんが」的なものの対極にある本当の「アニメーション」という感じで、大きな影響を与えたのかも。
 映像特典でけっこう長い宮崎監督のインタビューが入っていて、一部は公式サイトにも再録されています。ロシア語原版の音声が素晴らしかったって言っているんですけど、うーん、そうか?って正直思いました。(笑)
 「若い頃に見たり聞いたりしたものは、すべてビビッドだった」的なものが少しあるような気もします。もちろん、時代を考えれば、素晴らしい名作であることは疑いようもないですが。

 個人的には、やはり映像特典の中に入っていた、(劇場では同時上映されたらしい)短編の『鉛の兵隊』のほうが、実はビビッと来ました。20分ぐらいあるのかな。これは切ない話です。クライマックスは悲劇と言うべきでしょう。まあ、趣味の問題ですかね・・・。
 せっかくレンタルしてきても、「映像特典」の中に入ってるだけですからうっかりしていたら気が付かないかもしれません。これも名作だと思いますよ。どうかお見逃しなく。

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アニメの『批評』とか、『感想』とか 

[2009/05/05] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

 『批評』って何なんだろうと分からないまま、『感想』を書き続けている私なんですが、zsphereさんの上記の設問への反応に興味深いものがとても多かったので、自分の整理用に少しメモしておきます。

まず一応言っときますがいわゆる「アニメ批評」には興味はありません。興味があるのは(というかそうならざるを得ないのですが)、「感想」の方です。個人的には(もうはっきり言いますが)「アニメをダシにした自分語り」以外興味ないし、それしか出来ません。

中途半端な知識、伝聞で書きながらも、そういった用語を使うことで読み手に「批評」と誤解される可能性が高い。「感想」なら、そんな用語を使わなくったって書けるはず。「批評」じゃないんだから。でもそのハードルは高い。たかが「感想」なんていうな、「感想」は実は難しいんだよ。

 とぼふさんの、これは凄いです。実は、ちょっとうるうるっとするぐらいに感動しました。

 たかが『感想』なんていうな!

 『感想』は実は難しいんだよ!!

ぼくはなにが専門というわけではないけれど、批評とはなにかについてだけは、ここ15年ほどえらく真剣に考えてきたという自負があります。
そんなぼくにとって、批評という行為については、もはやなにを論じているか、その対象やメッセージはどうでもよくなってしまう傾向があります。言いかえれば、ぼくは批評をメタ作品というよりも、ベタにひとつの作品として読んでしまうところがある。

 それでちょっとこの文章を読み返してみたんですけど、『批評』という言葉って、普通名詞なのか、(たしか以前にnishinomaruさんがそういうことを言ってたような気がしますが)文芸の中の特殊な一分野を指す固有名詞的なものなのか、曖昧なところがありますよね。
 「批評とはなにかについてだけは、ここ15年ほどえらく真剣に考えてきた」という東浩紀さんの言う『批評』は、「個人的な愛の問題として、日本の文芸批評の伝統は生き残らせたいと感じる」という言い方を見ると後者に近いような気がします。
 ただ、それでも私がこの人の書く文章がけっこう好きなのは、「なにかを愛しているひとの行為は、それを愛していないひとには滑稽に見えるものです」という覚悟がそうさせているのかもしれないな、と思ったりもしました。その「なにか」の中身が『アニメ』な人もいれば、実は『批評』そのものだという人もいるらしいぞというのは、ちょっとした再発見でした。

 もちろん広義の意味での『批評』性(観念的には「アニメをダシにした自分語り」の対極に位置するニュートラルな性格)も世の中で必要とされているんでしょうけど、それはとぼふさんが「アニメ観賞のためのガイドブック的なもの」と言われたものに近いような気もします。(東さん的に言えば、データベース的な批評の消費?w)

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駄文日記(原作つきアニメとオリジナルとか批評とか、あれやこれ w) 

[2009/04/20] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(8) | TOP ▲

 感想にもならないような感想でも、何がしか書いておくと、それはそれで反応が返ってくるもので、もしそこに耳の痛くなることが書いてあっても、考えるきっかけをいただけるというのはありがたいことです。

 というわけで、前回に続いて駄文日記ですけど、昨期で終わった作品の話の次だから、今期見始めた作品の話をしようかなと思ってました。そんなこんなが入り混じりつつ。

 製作サイドの意識と噛み合わない「ガンダム語り」は、あまり世の中を豊かにはしないのではないか、という指摘。確かにそうです。ただ、そのようにばかり考えてしまうと、私なんかは失語症になってしまうので、世の中のためにではなく、自分のために何かを書いているとか、開き直りみたいですがそんな感じです。
 東浩紀さんが「ぼくは批評をメタ作品というよりも、ベタにひとつの作品として読んでしまうところがある。したがって、その社会的な影響力や「正確さ」なんてものは、究極的にはどうでもいい。」(批評について - 東浩紀の渦状言論 はてな避難版)とか言っていて、それにはビックリしましたけど、私の駄文は批評なんかじゃないし。まあ、批評とは何なのか、正直よく分かりませんけど。

 実を言えばまともな録画機器というものをもっていない私は、ネット配信されるもの以外は現在進行形のアニメを見る手段がほぼありません。そんな中で見始めたのは、とりあえず上記の三作品のみ。

 私の見ている範囲なんてあまりに視野が狭いので、傾向なんて話をしても無意味なんですが、たまたま重なったにしても『マジンガー』と『BASARA』のぶっ飛びぶりは、それはそれは凄くて強烈な印象です。(笑)

超合金魂 GX-45 マジンガーZ

自分が小学生の頃に永井豪作品に感じていたパワーと、『衝撃! Z編』1話に感じたものは、近い気がする。原作の物語をなぞってパワーのないものを作るよりも、よほど正しい原作に対するリスペクトだと思う。

 パワーっていうか勢いっていうか。アニメ様の感想は同じ年代的に分かるんだけど、永井豪の原作ってコミック?分かんないぐらいアニメの印象が強いです。
 で、難しいのはそこから『ガンダム』を経てきたのがわれらの世代なもんだから、このはっちゃけっぷりには正直、少し戸惑っちゃう部分もあるんですよ。こういうのでバッチリ育ってきたくせに、「これからのアニメはこういうのじゃないよね」ってタテマエを言ってきた世代だから。
 しかし、それにしたって、このノリは凄いな!圧倒的な濃厚さぢゃないですか!これはまいった。脱帽です。「衝撃!」ってのは看板だけじゃないですね。

戦国BASARA 其の壱 [DVD]

 『BASARA』のほうも、もの凄いノリ。(笑)
 戦国時代の歴史とか、わりと好きなんだけど、このむちゃくちゃぶりは完全にそんなものを超越しちゃってますね。ゲーム原作らしいので、ストーリーには何も期待しないほうがいいのかもしれないと思いつつ、『PERSONA - trinity soul -』と同じく、むとうやすゆきさんがシリーズ構成だということなので、案外、案外かもしれないなんて少し思ってみたり。ぜんぜん作品のタッチが違いますけどね。(笑)

 『あしたのジョー 2』絡みでも、そんな話をしましたけど、原作のあるアニメとオリジナルっていうのは、もうずっと昔からいろいろ思い惑うばかりのテーマで。

アニメブームの中で育った私はオリジナル原理主義者でしたけども。物語を生み出す力が全般に下がっているように思えてならない昨今は、何がその原因なのかと思い惑う日々です。

 こんなブクマコメントを書きました。
 何かを下敷きにしようがしまいが、アニメで表現される物語というものは、他の媒体で示されたものとは似て非なるもの。そういう覚悟が持てないところが、クリエーターである作品の創り手に比べ、ただの受け手に過ぎない私なんかの残念なところでもありますね。

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アニメ「批評」の問題は、アニメ史と切り離しては語れない気がする 

[2008/11/15] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(6) | TOP ▲

 WEBアニメスタイルでアニメ様が「アニメ様365日」という連載をはじめておられて、これが私には面白くて面白くて。驚いたことに毎日更新されていて、どうもこのタイトルからすると、1年間毎日書き続けるという決意なのかなと。内容はというと、アニメ様こと小黒祐一郎氏の個人的アニメ史とでもいうことになるようです。

『さらば』だけは特別だ。気軽に観られない理由のひとつは思春期に真剣に観た作品であるから。もうひとつは『ヤマト』シリーズに関するトラウマのためだ。トラウマについては同年輩の人間でないと理解できないかもしれない。

 以前から「近い世代かも・・・」という印象はあったのですが、「俺達が、あの時に劇場で流した涙はなんだったんだ」にあまりに共感(笑)してしまったので確認したら、やっぱり同い年ですね。

 WEBアニメスタイルって、アニメのクリエーターのインサイド寄りって印象があったんだけど、この頃アニメ史的な内容が多くなってる気がして、私にはなかなか嬉しいです。
 それで、ちょっと最近ネットで読んだ中で思ったことを書いておきたくなりました。

ぼくの考えでは、アニメ批評がいまなぜ低調かといえば、知識があるひとがいないとか情熱があるひとがいないとか以前に、そもそもアニメ批評は、読者の(読者の、です。書き手の、ではありません)質があまりに悪すぎて、いま批評を志す人間にとってコストが高いわりにリターンが少ないからです。

 具体的には「一生懸命なにか考えて書いても、ちょっとした名前のミスとかなんとかで鬼の首でも取ったように非難する、そしてそれを「見識」だとカンチガイしている読者が多すぎる」ということだそうで、世の中が“データベース”的になってるということを書いてた頭のいい人の頭脳が、けっしてデータベース的ではないらしいということを知って、けっこう共感(?)したりしました。

 「大人向け、すなわちアニメに関するリテラシーを相当に有するマニア向け」に創刊されたとおぼしき『アニメージュ オリジナル』というアニメ誌に関して、先の東さんのつぶやきにも言及しているこの記事の中で、津堅信之さんみたいな人が自分を中途半端な「アニメ・ウオッチャー」だとおっしゃるのには驚きました。

 すなわち、アニメを本質的に捉えようとしているのか、アニメ批評の本来形を示唆しているのか、マニアたちの渇望に応えているのか、新たなファン層を発掘しようと啓蒙しているのか、そのあたりの「落ち」である。
 正直なところ、私はたぶんついていけない。その私はといえば、文字通り半端モノであって、こういう雑誌の編集に関われる生粋のファン、ライターの知人は複数いるのだが、その人たちからは、「お前は、アニメーションのことは知っているが、アニメのことは知らない」と、お叱りを受けているのだ。
 その意味では、作品の完成形に至るまでの、単なる「メモ」「原材料」でしかない絵コンテやレイアウト、原画類の存在価値と読解能力をここまで求められるアニメというのは、他の芸術・芸能分野と比較して、著しく特異的といえるのかもしれない。

 この人もやはり同世代と言っていいと思うんですけど、「作画解説にあたって原画をひもとき、絵コンテやレイアウトの重要性を強調するなど、これは疑いなく1970年代にアニメに開眼し、ひいては80年代にそのことにこだわった「オールド・ファン」の視点」というような、歴史観を下敷きにした考察に、私はもの凄く説得力を感じるんですよ。

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アニメ産業は先細りの一途か? - あえて言おう?“ニッチ上等!” 

[2008/06/30] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 例によってコメントするつもりが長くなってしまったのでトラバします。

 タツノコは過去の遺産で食っていこうとしないで、新たに企画を起こす能力はもうないんだろうか?

 何にせよタツノコがこのまま零落していってしまうのは忍びないので、金を稼いだらオリジナルの企画たてて欲しい。

 昔のタツノコ作品のファンとして、涙が出そうになるお話。

 また、今回のパネルでは、この新しいキャシャーンの物語の一部も公開されている。そのプロローグでは、なんとキャシャーンはブライキング・ボスの部下で、謎の少女ルナを殺害するところから始まるものになっている。また、キャシャーンのイメージも、大きな目が特徴になっており従来と異なった印象を感じさせる。

 元記事のほう。“な、な、な・・・なんだってぇー!”と思わずのけぞりますけど、「アニメ制作はマッドハウス」と言われると、それなら期待もしていいだろうかと。正直、今のタツノコが自分のところだけでやるという話だったら、失礼ながら不安でいっぱいだったかもしれません。

 これを読んで、お隣のマウンテンサイクル(2008/6/26付)で先日発掘されていた昔の記事のことを思い出しました。

 ガンダムは年間500億円をコンスタントに稼ぐニッチ産業だということ。ユーザーのパイがそんなに大きくない中で、どれだけ深掘りできるか?という商売らしい。

 ガンダムブランドを消費するだけのビジネスなど無駄以外の何者でもない。
 しかし、ビジネスサイドからすると売れるから売る、ぶらさがれるからぶら下がるのは当たり前の判断であり、結局、ガンダムブランドを無駄に消費しているのは、それを買う側のファンに過ぎない。

 だからこそ、ガンダムだから何でも良いというのではなく、本当にガンダムというブランドを生かそうとしている商品のみを購入するべきだ。消費者が正しい目を持って選択することのみが、本当にブランディングを考える商品を生み出すきっかけになる。

 「どれだけ深堀りできるか?」という商売なのは、タツノコブランドも同じだと思う。むしろ、汲めるだけのリソースがそこに眠っている(「ビジネスサイドからすると売れるから売る、ぶらさがれるからぶら下がるのは当たり前の判断」)と思ってくれる人が、まだある程度はいるらしいことを喜ぶべきなのかもしれません。(かつてのヒット作が、いまや・・・という嘆きはありますがね。)

 しかしかなり手堅いはずのガンダムですらニッチ市場と呼ばれるんでは、アニメビジネス全体が「どれだけ深堀りできるか?」という商売と言わねばならないんでしょうか。(もっとも、日本テレビと組んだスタジオジブリだけは別格か・・・?)

 しかしOVA作品は、ビデオやLDを買うか借りるかしないと見ることはできなかった。
 ところが今では、そんな作品もでわざわざ無料でテレビ放送してくれる。『コードギアス』なんていう徹底してオタク向けにチューニングされながらも高い質を維持している作品が無料で全国放送されているなんて、本来なら夢のようなことだ。

 こういう見方もありました。当たり前のようですが、「ガンダムだから何でも良い」、「タツノコ原作だから何でも・・・」、「アニメだから何でも・・・」というのを注意深く退け、何を見るのか、何を買うのか、しっかりと選ぶことが大切ですね。
 もしかすると作り手も、そういう切磋琢磨する環境にさらされているという意味では、“ニッチ上等!”な側面もあるのかもしれません。(ジブリブランドだから安泰という環境よりも、老舗のタツノコであっても、今、勢いのあるマッドハウスと組む、といったような。)ただし、富野監督がよく言っておられるように、隙間産業だけに安住する志の低さでは、業界全体が先細りになっていくだけなのはもちろんですが!

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