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今夜は『メトロポリス』を見ました 

[2007/12/17] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(8) | TOP ▲

 昨日は杉井ギサブロー監督の『銀河鉄道の夜』を見たんですけど、今日はりんたろう監督の『メトロポリス』というわけで。超個人的に、いわゆる“虫プロ系”の監督の劇場映画祭り状態です。(笑)

メトロポリスメトロポリス
(2001/12/07)
井元由香、小林桂 他

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 手塚治虫原作、りんたろう監督、大友克洋脚本によるSFアニメ大作。制作はマッドハウスでクオリティは高い。キャラクターは、まぎれもない手塚キャラクターなのですが、これはまた何と豪華な美術でしょうか!CGもかなり使われているんですけど、あまり違和感を感じないのは、作品全体が“自然主義”的な作り方をされていないから、そのCGがそういう“表現”になって見えるのかな、と思いました。
 私のニガテな手塚系キャラクターも、不思議にその背景の中にきちんと納まっていて、ああ、そういう表現としてちゃんと確立されているな、と納得。たぶん私はへそ曲がりのほうですけど、この作品の豪華さは“ムダに豪華じゃない”と珍しく素直に感心しました。

 私は原作を読んだことはないのですが、ストーリーのほうは、原作からはけっこう変更しているようで。でも手塚らしいスケールの大きさは感じさせながら、手塚的いやらしさ(個人的にあの説教クサさもまたニガテです)は抑えられている気がしました。このゴージャスな作りの中で、盛大に泣かせるドラマチックな場面とかはあまり作らずに、淡々と物語を進めていっているのも何だかすごい。
 キャラクターは私の好みじゃないというだけではなくて、たぶん今の流行ともかけ離れたものだと思うのですが、こっちは画面から浮き上がらないようにだけして、手塚らしさを留めていて、偉大な先人へのオマージュというのはやはりあるんだろうなぁ、と。

 正直、かなり感動しました。感情移入しにくい手塚キャラクターで、このぐらい感動したのも自分で意外でした。キャラクターに入っていきにくいのは、絵づらの問題だけではなくて、感情の動きなども含めた人間の描き方が、悪いやつは悪いやつだし、イノセンスな少年はあくまでイノセンスだし、ってところです。そういう中で、ケンイチ少年とは終始対立していたロックの最期などは、胸にぐっと来ましたね。
 そのクライマックスで、ああいう音楽の使い方をしてくるという!これは洒落ている、実に大人向けのアニメーションですね。そこがちょっと、悪い言葉で言うと庶民ウケは狙いにくいところでもあるんでしょうが。
 そうなんですよね、手塚マンガのストーリーっていうのは、どうもそういう教養の高さみたいなところが、いい意味でも悪い意味でもあるような気がしてしまう。これだけ豪華な作品作りをしていて、客に媚びるところがここまでなくても大丈夫なのか、って心配になるぐらい。(笑)

 それでも大友脚本も良かったと思うし、りんたろう監督は“映画”を構成するのが、やっぱりうまいのではないかと私は思いました。昨日見た杉井ギサブロー監督の『銀河鉄道の夜』といい、印象が原作に引っぱられている部分はあるのかもしれないけど、大衆路線ではなくて芸術路線というか。(前に言っていた「表現主義」的というような言葉がうまくハマるのかどうかは、よく分かりませんけど。)
 『銀河鉄道の夜』はまだしも日本的にウェットな情緒性もなくはなかったですが、『メトロポリス』などはかなりバタ臭い感じもあって。やっぱり一概には言えないですねぇ。
 レンタル屋さんで探しても、このへんの作品を見つけるのはけっこう大変だったりして、やはり現在のアニメの本流からは、いわゆる“虫プロ系”というのは離れてしまっているんじゃないかと思います。それは表現の手法の問題なのか、それとももしかしたら文芸的な高尚さみたいなものが抜け切らないところがあるのか、そんなことを何となく思いました。(原作抜きのオリジナルみたいな作品を見てみないと、本当は何とも言えないんですけど。)
 それと、いずれにしても「~系」みたいなことが言えるのも、せいぜい富野由悠季監督とか高橋良輔監督ぐらいの世代までで、より若い世代の監督たちには関係ないのかな、などということも思ってみたり。そのへんもどうなんでしょうかね。

 いや、でも『銀河鉄道の夜』にせよ『メトロポリス』にせよ、実にウェルメイドな、いい作品でしたよ。
 DVDながらも“映画を見る”という緊張感があって、途中で止めることなど思いもよらず、夢中で作品を味わうことが出来ました。しつこいですがそういうところが、ネタ消費もできず、切り売りできる映像的快楽も少なくて、一般ウケをしにくいところなのかも知れませんけど。

参考:

公式サイト
Wikipedia

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銀河鉄道999 ~The Galaxy Express 999~ 

[2007/12/08] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(8) | TOP ▲

 先日来、急にすごく見たくなって、借りてきて見ました。なんとも久しぶりに見たなぁ~。もしかしたら劇場公開の1979年以来かなぁ。これはやっぱり傑作だと思いました。久しぶりとはいえ熟知しているストーリーなんですけど、クライマックスではじわーっと感動しました。

銀河鉄道999 (劇場版) [DVD]

 これぞアニメブームの真っ只中で制作された作品です。

『さらば宇宙戦艦ヤマト』が公開された1978年、翌年の1979年は日本アニメの黄金期でもある。出崎統&杉野明夫コンビは『宝島』と劇場版『エースをねらえ!』を、りんたろうは『宇宙海賊キャプテンハーロック』と劇場版『銀河鉄道999』を、富野由悠季(当時は喜幸)は『機動戦士ガンダム』を、高畑勲は『赤毛のアン』を、宮崎駿は『未来少年コナン』『ルパン三世 カリオストロの城』を発表している。後に名作と呼ばれる作品が次々と生み出されている。

WEBアニメスタイル アニメ様の七転八倒
第66回 TVマンガが「アニメ」になった時

 松本零士原作アニメの絶頂期でもあるんですが、私は初期の『戦場まんがシリーズ』以来、松本零士にハマってましたから、もう狂喜の中で劇場へ走ったという思い出の作品でもありますね。ただ、以前にも書きましたけど、今になって松本アニメを振り返ると悲喜こもごもなところがありまして。見直すのが怖いところもある作品群だったりもします。
 ただ、近ごろいろいろアニメ談義をさせていただいている中で、ようやく“りんたろう監督+東映動画製作の作品”という見方もできるようになってきたかなぁという思いを抱きながら、今回は観てみたような次第です。

 そういう視点で見ていると、当時はまったくそんなことは意識していなかったんですけど、すごく“映画”にしようという意識が強かったんだなぁと感心します。原作者の松本さんの意向なのか“テレビまんが”的な要素も多々見られるんですが、それを何とか“映画”にしようという、その間の激しい葛藤が、この作品の隠れた魅力の秘密かも。

 その“映画”という意識の現われなのか、ものすごく音楽を重視した作品作りがされていて、ほとんど音楽を聴かせるためのシーンが多々見受けられたのは、記憶には全然なかった発見でした。でも、これはたぶんはっきり意識されていることらしく、例えばDVDの音声切り替えメニューに“ミュージックプレイ”(セリフ抜き音楽のみ。あり得ねぇ!)というのがあったり、チャプターリストに“ミュージックチャプター”(BGMで場面を切り分け)というのがあったり。
 劇中の挿入歌で『やさしくしないで』という曲があるんですが、昔からこれが大好きで、久しぶりに聴いたらやっぱり感動しましたね。
 ただ、それが全部うまく行っているかというと、後半からクライマックス(特に“機械化母星メーテル”の崩壊場面)ではすごい効果ですが、前半から中盤では少し技巧的に思える部分があったりして、難しいところのような気もしました。だけど、ラストシーン。「・・・さらば少年の日よ。」のナレーションからゴダイゴ唄うところの主題歌が入ってくるタイミングなんてのは、何回見ても神がかってるなぁ!(笑)

 絵のほうの視点でも、“機械化母星メーテル”の崩壊場面はいわゆる金田伊功エフェクト炸裂!・・・で、見応え充分。こういうのを見ていると、最近のデジタルな表現っていうのは味気ないなぁとついつい思ってしまいますね。あと、メーテルがぞくっとするほど美しいときと、そうでないときの落差。アニメ的にはかなり難しいキャラクターなんだろうなぁ。
 ストーリーの面でもよく練られていて、2時間を超える大作でも「え、もうクライマックス?」ってぐらい飽きなかったんですが、(この私でさえ)どうしようもなくクサ過ぎると感じるセリフがごくまれに混じるのは、原作者の意向なのかどうか。(笑)

 松本アニメの“スターシステム”でキャプテンハーロックやエメラルダス、トチローといったキャラクターたちが続々と出てくるあたりが、当時の松本ファンにはサービス満点だったんですが、今の若い人には唐突に見えるのかもしれないなぁとも思いました。
 決して瑕疵がないわけではないのですが、だけど全般として、これはウェルメイドな力作だと言ってもいい。アニメ史を飾る名作なのではないかと認識しなおしたのでした。

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アニメスタジオの系譜をお勉強 

[2006/08/20] | アニメ全般な話題 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 「なるほど、虫プロ系と東映系ですか!」という記事を先日書いた所、takkunさんからトラックバックをいただきました。

 ∀ddict アニメスタジオの系譜

 数あるアニメスタジオの系譜を図示する試みをしておられるのですが、虫プロ系、東映系、のほかに、もうひとつ、タツノコ系という大きな流れがあるんじゃないかという指摘がありました。うーん、なるほど!

 せっかくだから、ちょっと私も勉強してみました。

 虫プロダクション - Wikipedia

・1961年、手塚治虫が創設
・1963年、日本初の本格的連続テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』制作
・1965年、日本初のカラーの本格的連続テレビアニメ番組『ジャングル大帝』制作
・従業員数400人を数える日本有数のアニメーションスタジオに成長
・1970年代に人材難から人件費が高騰。多く設立された他プロダクションとの受注合戦に破れる形で受注減少、資金繰り悪化、1973年倒産
・アニメーター尊重の社風
・テレビアニメの時代を切り開いた
・日本のアニメが漫画原作によるストーリー性の強いものとなる源流を築いた
・新興アニメスタジオのモデルとなった
・出身者がその後のアニメ界で活躍し人材の育成供給の場になった
・テレビ局から受け取る制作費は実際の経費よりも下回り、その赤字を関連商品の版権収入・海外輸出で補う日本のテレビアニメのビジネスモデルを確立した
・企画・脚本・キャラクター設定から動画や彩色、録音などのすべての工程を社内で行う内制システムをとり、作品を早く仕上げ、品質を保つことができた
主な出身者: 高橋良輔出崎統富野由悠季、豊田有恒、安彦良和、りんたろう など
虫プロ出身のアニメ制作会社: サンライズ、マッドハウス など

 東映アニメーション - Wikipedia

・1956年、東映動画株式会社発足(前身の日動映画株式会社は1948年に日本動画株式会社として設立。1952年商号変更)
・1963年、初のテレビシリーズ『狼少年ケン』開始
・1973年、海外への制作委託を開始
・1998年、東映アニメーション株式会社に商号変更
・劇場作品の制作スタイルをを踏襲し、劇場作品を「長編」、テレビシリーズを(劇場作品の短編と捉え)「短編」と呼ぶ

 タツノコプロ - Wikipedia

・1962年、吉田竜夫が兄弟らと設立
・1965年、テレビアニメ第1作『宇宙エース』制作(東映動画、虫プロからもスタッフ参加)
・1967年4月、カラー作品第1号『マッハGoGoGo』制作
・吉田竜夫が亡くなる前後の1970年代後半から創立メンバーが相次いで独立、一時勢いの衰えを見せる
・1970年代後半~80年代前半、タツノコ作品を支えた若手演出家4名「タツノコ四天王」の中に押井守
・1987年、竜の子制作分室が独立して有限会社アイジータツノコ(現・Production I.G)が設立される(当初タツノコプロは資本金の20%を出資、1993年に資本関係は解消)
・1990年代以降は、社外に去っていたかつてのスタッフを呼び戻し、旧作のリメイクを中心に作品発表
・ 2005年、大手玩具メーカータカラ(現・タカラトミー)傘下に
・漫画等の原作を元にしないオリジナルアニメを得意とする
・キャラクターのプロポーションのよさは評価が高い
・アメリカンコミックを思わせるカラフルでスタイリッシュ・肉感的なキャラクターが魅力の一つに数えられ、これは作品の海外輸出を強く意識した結果だと言われている
・映像の質の高さ・ユニークさには定評がある(代表作『科学忍者隊ガッチャマン』)
・アニメーターに湖川友謙
・企画から撮影まで社内のみで完結する一貫した制作体制が整い、東映動画や旧虫プロの合理化や倒産後も長くこの体制を維持(押井守は演出家の修業の上でそれが役立ったと証言)
・近年は他社同様に、正社員を減らして作品ごとに契約スタッフを採用(スタジオ経営のスリム化)
主な出身者: 押井守、大河原邦男、鳥海尽三、笹川ひろし など

 難しいものですねー。人間の出入りも入り乱れているみたいですね。富野さんの周りにいる(いた)人には、意外とタツノコ系の人も多いみたい。

 アニメ制作会社 - Wikipedia
 
 この辺とか見れば、もう少し系譜みたいのは辿れるのかな?



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なるほど、虫プロ系と東映系ですか! 

[2006/08/15] | アニメ全般な話題 | トラックバック(1) | コメント(1) | TOP ▲

WEBアニメスタイル COLUMN アニメ様の七転八倒 
第67回 虫プロブームとマイナーだった宮崎アニメ


 これ、私みたいにあまり情報通でない、ぬるいアニメ史マニア(笑)には、非常に面白い記事でありましたよ。

 70年代末の第1次アニメブームは、宇宙アニメのブームでもあった。

 『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』『機動戦士ガンダム』・・・なるほど。『サイボーグ009』の映画も見ましたわい。そうです、なんか唐突に宇宙へ飛んでいってました。「スター・ウォーズ」「未知との遭遇」・・・そうですね、SFが市民権を持ったのも、黒船来襲が契機だったかもしれないですね、うん。

スタッフに目をやると、実は、第1次アニメブームは虫プロブームでもあった。日本のアニメ界には幾つかのプロダクションやスタッフの流れがあり、東映動画(現・東映アニメーション)と虫プロダクションが、その2大ルーツなのだ。

 素人くさく、私が「へぇ~、ナルホド!」と感心したのはこっちでした。オフィス・アカデミーやサンライズは虫プロ系、スタジオジブリは東映系という流れになるのですね。富野さんは言うまでもなく虫プロ系で、宮崎さんは東映系、なるほどなるほど!

教養としての〈まんが・アニメ〉 講談社現代新書 教養としての〈まんが・アニメ〉 講談社現代新書
大塚 英志、ササキバラ ゴウ 他 (2001/05)
講談社

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 最近、こんな本を読み始めてまして、まだ大塚さんの《まんが論》のほうなんですけど、

「僕にとってのまんがというのは表現手段の符牒にしかすぎなくて、実際には僕は画を描いているんじゃなくて、ある特殊な文字で話を書いているんじゃないかという気がする」

・・・という、手塚さんの「まんが記号」論は、虫プロ系に脈々と受け継がれている気がします。対して東映系は手塚さんが捨てた絵心を大切にしているのかもしれないですね。

『宇宙海賊キャプテンハーロック』や劇場版『銀河鉄道999』は東映動画の作品だが、監督は虫プロ出身のりんたろうだった。

 ・・・うーん、味わい深いですね。

 ここはちょっと脱線ですが、「それまで高畑勲のパートナーとしての仕事が多かった宮崎駿が『未来少年コナン』『ルパン三世 カリオストロの城』で、自分の作品を手がけるようになった」というのを読んで、かねがね宮崎アニメには何故原作が必要なのかと疑問だったものに、「もしかしたら高畑さんから自立するために必要だったのかな?」と思ったりしました。
 それはさておき、『コナン』や『カリ城』といったアニメ史に残る傑作が、当時それに見合うだけの評価を得たとは言えない背景を、虫プロ系、東映系と読んでいくと、なんとなく「へぇ~」っと納得が。

勿論、例外はあるが、虫プロ系の作品は華美であり、表現に飛躍がある。先鋭的と言ってもいいだろう。それに対して東映系の作品はオーソドックスで、優等生的。野暮ったい、泥臭いと見られる場合もある。

 「華美」って言い方が馴染まないんですけど、「宇宙のロマン、派手な戦闘、美形キャラ」・・・そういうものを指しているみたいですね。ならば、なるほど。前者は若者向け、後者は子ども向け、ファミリー向きなわけですね。
 『未来少年コナン』に当惑した思い出も実はまったく同感!そうなんですよ、ダサいアニメだと思っていたのに実はスゲー面白いんだもの!そう、言うなれば「マンガ映画」!

 なんか不思議ですよね。偉大なる漫画家、手塚治虫を始祖とする虫プロ系ではなく、どっちかといえば海外のアート系長編アニメーションとかを意識してたっぽい東映系のほうが「マンガ映画」路線なんですから。ものすごく興味深い!!
 
 手塚さんの「記号」論は、リミテッドアニメとの関係とかでも語っておられる方がきっといるんでしょうが、「画を描いているんじゃなくて、ある特殊な文字で話を書いている」というのは、宮崎アニメと対比したときの富野アニメを考える上でも面白い視点ですよね。

 「アニメ様の七転八倒」のほうは、アニメ史をさらになぞっていくようなので、大変興味深く読み続けていきたいと思ってます。「教養としての<まんが・アニメ>のほうも、“教養”と謳うだけあって、私の好きな(笑)ビルドゥングスロマンの話を軸に展開していっていますので、こちらも楽しく読み進めていきたいと思っています。
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コメントありがとうございます。その2 

[2006/08/12] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

999やハーロックの最初のTVシリーズや、999の最初の映画のあの雰囲気って本当に良いものですね。(わんこさん)

 松本アニメの話になると、私は悲喜こもごもになっちまうのですが。松本零士さんの作り出すキャラクターと世界観の魅力はすごいと思うんですけど、どの物語もみんな同じようになっていってしまう苦さというのがあって。『宇宙海賊キャプテンハーロック』のマンガ版もなんだか変な終わり方で。マゾーンの謎はどうなっちゃうんだという苦しいところを、アニメで懸命にやっていたような気がします。なのでけっこう話の持って行きかたは難しかったですよね。あの時代で、テレビアニメで、精一杯やったほうになるのかなぁ。「雰囲気」は本当によかったので、映画のクオリティでやらせてあげたかったような気もしますが、そこまで盛り上がれませんでした。(残念)

 『地球(テラ)へ...』の話も懐かしくてちょっと残念な(笑)、アニメの思い出ですが、スカルさんも41さんも、やっぱりメカが気になりましたか。昔はほんとにねぇ・・・。でも、あの映画の変な貝みたいなデザインのメカが、案外よく動いていたような気がするのは記憶の間違いかなぁ。(見ようにも見れないと、記憶の美化がますます入っちゃいますかねぇ。)

ひょっとしたらアニメの制作過程を考えると、脚本の上原氏あたりの案かもしれませんね。
松本作品には、敗戦に対する複雑な心境が投影されているし、沖縄出身の上原氏も、問題意識をもった方だから、そのような引用も実に意味深く感じられますね。(わんこさん)

 キャプテンハーロック最終回の話延長戦ですが、・・・あー、なるほど。上原正三さんですか!! 

松本の原作が、脚本の上原正三と監督のりんたろうらのスタッフにより大幅に脚色されている。原作にはいないトチローの娘「まゆ」が創作され、このまゆの存在がハーロックが地球を守る理由付けになっている。これは「ハーロックの哲学」に関わる問題であり、この「改変」をめぐって、松本とスタッフ間で激論が行われたという逸話が残る(もっとも、原作中でもトチローと思われる中央大コンピューターのセリフの中に、娘がいると思われるくだりがある)。結果的には、アニメスタッフ側の熱意に松本が折れる形で承認を取り付けたと言う。
未完の原作に対し、アニメ版は、まゆや台羽ら若者に地球復興を託すという希望を持たせる形で終わっている。
宇宙海賊キャプテンハーロック―Wikipedia

 なるほどそういうことですね!長年のひっかかりが、少しすっきりしました。

身体が緊迫した状況に置かれ、死までの距離が近いほど「生」を実感するという松本作品(?)は、今さかんに問い直されている「身体性」を先取りしていたのかなあと、最近よく考えます。(ラジヨさん)

 「生は限りがあるからこそ尊い」というのも難しいテーマでしたね。やっぱり劇場版『銀河鉄道999』は傑出した作品だったと思います。ひとつひとつの作品で、きちんと物語の環が閉じないのが松本零士さんの良くないところだと思うんですが、この作品は別でしたね。終わりがあるからこそ尊いんで、あまり未練たらしく続編もどきを作り続けたりしないでほしいです。

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