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ドラマ派のアニメはもう、それだけで批判の対象? 

[2007/01/14] | アニメ全般な話題 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 WEBアニメスタイルは、特にインタビューもので面白い記事がよく載ってるのですが、宮崎駿監督関連の話題で、興味深い記事がありましたので、御紹介しておきます。

アニメの作画を語ろう:animator interview 三原三千夫(1)  『走れメロス』と『もののけ姫』

 アニメーターになったきっかけは宮崎駿ファンだったからという三原さん。(嗚呼、私と同世代・・・。)「僕らの世代は、『未来少年コナン』や『カリオストロの城』を観て、アニメファンになった人が多いと思うんですよ。」はい、そうだと思います。(『カリ城』の人気は“後からしり上がり”だったと思いますけどね。)しかし入口はそこだったけど、ユーリ・ノルシュテインなどのアート・アニメーションに早い時期に接して「自分の方向が、ある意味曲がってしまった(笑)」と仰ってます。
 これまでの大きな仕事として、1997年の『もののけ姫』を挙げているんですけど「やっぱり宮崎ファンだったんですけど、一時期かなり否定的になってしまって。画がとにかく嫌いに」なったと。キャラが「ふにゃけて」いると。

三原 あと、これも宮崎さんの批判になりますけれど、結局手塚好きだったんでしょうね。それも大きい……。
小黒 宮崎さんが、手塚治虫が好きだったという事ですか。
三原 ええ。手塚治虫を読んできた世代ですよね。だから、手塚治虫のマンガが好きかどうかは別にして、画的な面でその上に乗っかって仕事をしてる。あくまでキャラクターの画についてだけですけど。


 私と同世代でアニメ制作の第一線にいる人には、こういう意見があるんだなぁと、興味をひかれました。「宮崎さんのキャラは、どこまでいってもマンガですよね。アニメーションのキャラクターじゃないと思います。」とまで言われると、宮崎信者じゃないですが、けっこう動揺してしまいました。(笑)
 真面目な話、マンガとアニメのキャラクターの違いってなんだろう、と。
 「宮崎さんの作品は、とにかく画として完成してない場合が多くて、リアルな人間ドラマとか、そんなところにばっかりいってますよね。」、「日本のアニメがそういうふうになってしまっているのは、どうしてなんでしょうかねえ。」というようなことが、以前に連載されていたコラム「三原三千夫の万国博覧会」に書いてあったそうなので、これは見逃してたんですが今からでも読まねばならないような気がしてきました。
 “基本=ドラマ重視”で、その物語の上に、画は乗っけただけってのは手塚マンガが築いた様式だっていうのは前にも聞いたことがあった気がします。(大塚さんの本だったかな。)だけど、そのことがここまで強く批判されるというのには、少しビックリしちゃいました。
 WEBアニメスタイルは、全体的に“作画重視”っぽい感じがあって、こういうのを読むと、逆に自分がいかに「画として完成して」るかどうかがどうでもよくて、「リアルな人間ドラマとか、そんなところにばっかりいって」る人間かということを痛感します。
 なかなか見る機会が少ないんですが、アートアニメーションはアートアニメーションで、何も考えずに見るのは嫌いじゃないんですけどね。(というか、むしろ好き。)
 やっぱり私は旧式なんだなぁと。最近はもう、ドラマ重視傾向のアニメファンというのは少数派なのかもしれないですね。

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絵と声のバランス・・・ 

[2006/05/16] | アニメ全般な話題 | トラックバック(0) | コメント(3) | TOP ▲

 ブログの管理人として、言い訳なのかお詫びなのかを書いておこうと思いますが、『もののけ姫』の話から、声優さんの話題が広がってきているんですけど、残念ながらこれについて何か「こういうことじゃないかな?」と言えるだけのアイデアは、今のところ私には何もないんです。
 個人的な感想として、『王立宇宙軍』のボソボソしゃべりには好感を持てませんでした(『もののけ姫』も同様)。絵の部分での表現とのバランス(あるいは組み合わせ)というのは興味深い問題なんですが、正直、私のような低レベルでは考える材料が乏しくて、とてもとても難しい。(降参!)

 とりあえず・・・かなりバルタザールさんにまとめてもらっているので、管理人の出る幕無し。(汗)
 スカルさんはアニメ的なデフォルメ表現と声の演技のバランスということを言われる。アニメ作品の成り立ちという中では、それは私もナルホドと思います。
 ・・・私は一般論として、「実写フィルムに比べてアニメ絵の情報量は少ない」と考えたので、これを補う意味で、声優はオーバーアクションを要求されるんだろう、ということを書いたつもりでしたが、アニメ的なデフォルメ表現にも同じようなことが言えませんか?(前回の自分の書いた記事がかなり崩れた文章なので、意味が通じてなかったらすみません。)
 観客が満腹を感じるトータル情報量にはある程度の基準ラインがあるとして、例えば
『王立宇宙軍』デフォルメ少、声ボソボソ系、絵は緻密
『もののけ姫』デフォルメ多、声ボソボソ系、絵は並
富野アニメ  デフォルメ少、声オーバーアクション、絵は低調
・・・という解釈(情報量の総和は似たり寄ったり)をすると、スカルさんとは真逆なことを言ってることになります?
 個人的に、画面もぶにゅぶにゅ全開で、声までハイテンションというものを想像してみたら、それは見ていて耐えられないんじゃないかなぁって。

 富野監督のキャスティングの話は、富野さんが「声優」という、かつて日陰の職業だった人たちに光を当てる時代を生きてきたこと、監督自身も日陰ものの「漫画アニメ屋」から注目されるクリエイターへとなってきたこと、などの経緯も複雑に絡んでいるんじゃないかと思ってますが、実際よく分かりません。とにかくすでに名声を確立した人よりは、新しい表現の可能性を常に探していると解釈すれば、とても前向きだということになるのでしょう。

 全般的な流れの話として、絵のほうでの表現のインフレ的なエスカレート(特にグロい表現が目に付きます)と反比例して、声の方での表現はボソッボソッとつぶやくようなのがカッコいいとされる傾向があるように私は思うのですが、富野さんはしばしばその逆を行くような。(大衆はむしろグロが好きとすれば、流れは大衆に迎合する方向なのか?それとも技術の限りを見せ付けてみたいクリエイターの本能なのか?)
 そういういろいろなことについて、今の私には「こういうことなんじゃないだろうか」という、うまい解釈が出てこないので、なんだかとても残念なのです。

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表現のインフレ、慣れ??? 

[2006/05/14] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(3) | TOP ▲

「一番怖いのは妖怪でも幽霊でもなくて、普通の人間だ」


 説得力あるなぁ。(笑)
 そうですね。イデオンは人間の「業」を思い切り描いた作品でしたものね。

出発が演出とアニメーターの差ってあると思う。


 かなりそれは思いますよね。ナウシカで巨神兵を描いた庵野さんでもそうだし。気持ち悪いビジュアル、もう少し言うと心象的なものを描くビジュアル。そうしたものを表現する上で、アニメというものの可能性を一番知っているのがアニメーターだということなのか。

大なり小なり、全てのアニメ作品に当てはまる事なのではないか、と僕は思います。


 まさに言われるとおりなので。整理の難しいところです。
 アニメというのはどうしたって、絵から伝えられるディティールを含めた情報量というものは実写より少なくなる。だから声優さんたちがオーバーアクションなのも、絵だけでは表現しきれない情感を伝えるには、そうせざるを得ないんじゃないかと思うのです。
 ただ、表現というのは情報量だけの問題ではないので、逆に限定された情報量の中でこそ伝わりやすいものがあったり。

 作画をする人の立場からすると、持てる技術の限界に挑戦してみたくなる、というのは分かる。でもアニメの絵が実写の絵が持つ情報量に迫ったとしても、ただそれだけなら私はあまり意味を感じないのですよね。ほんの個人的な好みかもしれませんけど、アニメならではの動き方を見せてもらわないと。(「絵空事」の面白さですよね。)

 もののけ姫の「ぶにゅぶにゅ」気持ち悪い表現は、表現としてすげぇと思うんです。あんなグロい絵ヅラなのに、大衆の支持を受けているんだから。(大衆というのは深層心理の底では、案外グロいものが嫌いではなかったりするのかもしれないとも思う。)

 王立宇宙軍もそうでしたが、もののけ姫も声優ではなく俳優さんが声をあてていて、それは商業的な部分を除いて考えれば、絵の情報量に自信があるから声優さん的なオーバーアクションを必要としないという意思(あるいは判断)を表している面があると思います。しかし「ぶにゅぶにゅ」に命を懸けたのと同じぐらいに、人間の表情やしぐさでそういうことまでが本当に表現できているのだろうか、という「?」は残っています。
 作り手の側の「表現のインフレ」という問題、受け手の側の「表現への慣れ」という問題は表裏ですね。その中で「絵空事」を描いている意味みたいなことが互いにあいまいになってきてしまうと、形式主義の罠の中に入っていってしまうような気がしています。
 すみません。技術的なものが発展することはもちろん凄い事なんです。ただ、人々の生に密着していた「芸能」が、権威化する中で様式化を推し進め、「伝統芸能」という得体の知れないもの、特殊な人たちだけが楽しめる不思議なものになっていってしまうようなこと。
 問題意識はあるんですが、どうも上手くまとまりません。

そんな表現 あんな表現 

[2006/05/13] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(3) | TOP ▲

 『もののけ姫』をテレビで放映してましたね。改めて見て・・・けっこうグロいよなぁと。(笑)
 これが非常に多くの人々の支持を受けたというのが、(『千と千尋』でもそうなんですけど、)「人外のモノ」の気持ち悪いのには、意外と世の中は抵抗感がないというのか。そんなことの不思議さを思いながら拝見いたしました。・・・なんだか拝見いたしました、という感じです。
 あまりそういうことは、あえて言うようなことではないのかもしれないんですけど、それなりに「アニメならでは」の表現なんだろうと思います。これがもしSFXで撮られていたら・・・と想像してみると、やっぱり気持ち悪くって、こんなにも大方の支持を得ることは難しかっただろう、という気がしますがどうでしょうか。そうしてみると、アニメであることで、「絵空事」だという安心感を持ちながら見ているということになるのか。
 宮崎さんの表現としては(古い話で恐縮ですが)『未来少年コナン』の超人的な足の指の力(笑)とか、ああいうのを見てたときに、はじめは馬鹿にしながら見ていたのだけど、やがてぐいぐいと引き込まれていって、・・・ああ、そうか。アニメならではの表現というのはこういうのもあるんだよな、と再認識させられたようなことが、いわゆるアニメブーム初期の出来事の実体験として、私の世代などには強烈にインプットされているのではないかと自覚しております。(今の若い人は見たこと無い人も多いかもしれませんが、あれは本当に面白い作品ですよ。時代を超えて楽しめると思います。・・・劇場版は最低でしたからテレビ版を見なきゃ駄目ですけど、未見の人は是非一度見てみては如何でしょうか。)
 ・・・そういうのの裏返しの話として、もし『ブレンパワード』が実写特撮だったらどうだったろう、なんて(とんでもない)夢想をしてみたりするのですが。(笑)

 「…そう、ちょい右
 うわぁ嬉しいなあ!「…、いいシーンだった。いい夢だったなあ。夢って、さめちゃうんだな。」という気持ちが、私にはとてもとても強く共感できます。これって世代なんですかねぇ。(さらば、少年の日よ?)←違
 生きてると現実と向き合わなきゃならなくて、大人になんかなりたくなかった・・・とか、そろそろ言える年でもなくなってきましたが。(汗)
 気が付けば『機動戦士ガンダム』を作った頃の富野さんの年代を、私たちの世代はそろそろと超え、その先にさしかかりつつある、などということも頭の中に浮かんできます。

 「アンチ」じゃなくて「仮想敵」という感じ
 これも半分はなるほどで、でもさらに厳密に言うと、富野さんがよく言う言葉で言えば「カウンター」というか。対抗心ももちろんあるんだろうけど、それだけじゃなくて時代に対して打ち出したい、打ち出さなきゃならない、というような何か。自己言及、自己完結はあまり上手じゃないんだけど、その時代に対して愚直なまでに発したい思いの真剣さ、誠実さというのは、ただの笑い話にはしてしまいたくないものがあるのです。(これって信者?)

 『エヴァンゲリオン』も、たまに素になって見てしまうと「おえーっ、気持ち悪ー・・・」ってところがあるんですけど、宮崎アニメと同様で、首尾一貫してえげつないテンションなので、意外と大方は違和感を持たないのですよね。
 富野さんは「人外のモノ」よりも人間自体の描き方(絵的ではない部分の話ですが)がえげつないのか?(笑)
 それはそれとして、『キングゲイナー』の敵(オーバーマン)の造形なんていうのは、本当にわざわざビジュアルを整えるのを回避してたのかな、と思うと不思議に納得できたり。(笑)
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